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いーちゃん「へえ、雛見沢ですか」  三日目

2011年01月25日 21:14

いーちゃん「へえ、雛見沢ですか」

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142. 以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 2009/04/22(水) 22:25:51.12 ID:Au9//.Ao

三日目



逃げたい。どこかに逃げ出したい。
だから逃げれない。



バットに白球が当たった独特の快音。瞬間ボールはぼくの頭上を通過した。
ぼくはボールの通過した場所をぼけっと眺めていた。
……あいにくながら、空は雲一つない晴天なり。雨は降りそうにない。
さて、なぜぼくはこんなところにいるのでしょうか?
いったいぼくは誰なのでしょう? カレー? ……それはもういい。
正解は青空の下で座っている、酷く健康的な戯言遣いでした。

「――という話ですのよ」

「ほう」ぼくは適当に頷き。
「……えっと、多分、赤坂さんの使い、って言えば分かってくれると思うよ」

「分かりましたわ。少々お待ちくだ――って初日!?」と、乗り突っ込みの沙都子ちゃん。

「いや、沙都子ちゃん、きみは間違っている。その台詞は二日目だな」ぼくは指を二本突き出した。

「え? だって着いてすぐに家に来たんでしょ?」

「うん、そうだよ。沙都子ちゃん、よく考えてみなよ。深く考えるんだ。裏の裏まで見通すんだ」

沙都子ちゃんは額に手を当て、熟考。
そうして、その姿勢のまま数分悩んでいた。
しかし考えても分からないようで、ぐでっと倒れこむようにベンチに横たわり。

「分からない……どういうことなのですか? あれは初日のはずですわよね?」

「うん、初日だよ。だって嘘だし」

「なんですって!?」

「沙都子ちゃん、きみはまだ社会の厳しさって奴を知らない。だからぼくはきみの為を思って泣く泣く嘘をついたんだよ」

「なんという人でなし」

「そう思うのはとても良い事だよ。一つ経験を積んで、また一つ賢くなったね沙都子ちゃん」

ぼくは親指を立て沙都子ちゃんに向ける。――露骨に嫌な顔をされた。


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本日は雛見沢三日目。
ぼくは市民球場の隅にあるベンチに座っているのであった。
前日していた約束通り、輿宮のコンビニの前で待っていると。
自転車の一団が出現しぼくを拉致。
そうして、この市民球場に連れてこられた、というくだりなんですよね。
球場には入江さんもいて、ぼくを見つけると柔らかな笑顔で一礼された。

「それにしてもさ。ぼくはあまり野球を知らないからよく分からないんだけどさ」ぼくは相手のピッチャーを指差し。
「あの子プロなの? 投げる球が結構早いんだけど」

ボールがミットに吸い込まれる。……すげえな。距離からいって130Km以上は出てるだろう。
傍から見ててこんなに早いんじゃ、打てるわけねえよな。
 二段変化シンカーとか使われないだけましなのかもしれないけど。
ぼくはスコアボードに視線を移した。得点は0対0。
雛見沢チームがなんとか守備で頑張っているって感じか。

「どこだかの高校球児らしいですわ。きっとあの人の活躍が漫画化されたら最終回辺りで死にますけど」

「……なんで野球で死ぬんだよ?」

「試合に向けて猛特訓、そして」指を立て、真剣な沙都子ちゃん。

「ふむ」

「過剰な減量苦で死ぬ」

「死ぬ前に食え! いや、その前にそれは野球じゃない、ボクシングだ。野球に体重制限はない」

……たぶん体重制限なんてないよな。微妙に自信がない。

しかし沙都子ちゃんは続ける。

「状況は圧倒的なリード、しかし」

「……ほうほう」

「火山弾で宇宙に射出され諦める」

「考える事をやめるな。それにここはヴェネチアじゃないし、彼は究極生物でもないから、鉱物と生物の中間の存在になったりしない」

「スコアボードに刺さって死ぬ!」

「地獄だっ!?」しかし地獄ならしょうがない。納得。
「しかしさ、ちょっと不謹慎だぜ。彼らだって死ぬために野球をやってるわけじゃないんだしさ」

「いいじゃありませんか。アストロ球団なんて試合をするたびに死者続出ですのよ」

「アストロ球団と一緒にするな」

なんでそんなアニメ知ってるんだよ、この子は。
ぼくも話を聞いただけで見た事がないぞ。
 たしか陰腹を切ってバッターボックスにあがったりするんだよな。

「物語での人の生き死になんて、極論でいえば読み手の感情を上下させるシステムでございましょう?」

「今日一日できみに何があった!?」ろくでないほど冷静な意見だった。

「一つ成長したので大人っぽい意見を」

「……そういう考えは止めた方がいいよ。いや、実際そうなんだろうけど。そういうのをさ、きみみたいな少女が言うのはどうかと思うんだ」

「沙都子さんじゅうよんさい!」

「それは穿ちすぎだ」もう何がなんやら。

そして圭一くんの打順が終わったのか、打席から帰ってきた。

「いやいや、ありゃ早すぎだ。まともに打てる気がしない」肩を伸ばしながら言う圭一くん。


「アストロ球団出身らしいからね。……それにしたって実際大したもんだよな」

 甲子園とか目指してるんだろうな。球とかやたら速いし、坊主だし。
 それが町内の野球チームで出場ってのは大したことなのかはわからない。
 しかし正直なところ、いまいち凄さが分からないのが困りどころ――
 いや、別にぼくが困る訳ではないんだけれど。
 野球を詳しく知っていたら、その凄さとかが分かるんだろうが、ぼくがバッターボックスに立つわけじゃねえからどうでもいい。
 むしろ早く終わって欲しい。なんとも前振りじみた思考だが、この際どうでもいい事にしておく。

「アストロ球団? なんだそれ?」

「いや、そういうどうでもいい話は拾わなくていいよ」ぼくは話を打ち切るため適当に話を振る。

「そういやさ、圭一くんはどうしてこの試合に出る事になったの? もしかして野球少年なのかい?」

「入江先生に頼まれたんだよ。なんでも欠員が出たそうな。ちなみに後者の質問はだな、――野球なんて小学生以来かな。
特にスポーツに打ち込んでたって感じでもないしな、勉強ばっかさ。いや、……前は勉強に打ち込んでたという方が正しいな」

「ふうん、……そうなんだ。まあ、それにしたってこの場所じゃ、皆あまり受験勉強に必死って感じじゃないもんな」

 魅音ちゃんにしたってレナちゃんにしたって勉強に必死ってタイプじゃあないし。
 日本の大学に行くのは学びたい人間だけじゃないしね。……巫女子ちゃんとか。
 そういえばこの村に合いそうな人だよな巫女子ちゃんとかって。
 アグレッシブ過ぎるところとか、案外なじめるんじゃないかね。

「近くに大学もないからしょうがないんだろうけどな」

 成程。地理的な問題もありですか。しかし下宿とかも……ああ、成程。成程。納得。
 そういえばそうだったな。
 ぼくは圭一くんに気取られないよう頷き、適当に問いを振っておく。

「圭一くんは進学?」

「今のところはその予定だな。正直さ、学力面での不安は残るけどな」と肩を竦め言う。

「……実際ここじゃまともには学べないから独学で何とかするしかないんだよ」

 しかしこの子勤勉だよな。姫ちゃんには圭一くんの爪の垢を煎じてあげたい。
 ものすごい勢いで拒否されるだろうけど。

「へえ、大変だね。ま、昨日見ただけで決めつけるのもよくないんだけど、圭一くん頭良いから大丈夫じゃない」ぼくは軽い調子で言う。

「そりゃあんがとよ」と、苦笑いの圭一くん。

「ああ、皮肉とかで言った訳じゃないよ」ぼくのとりあえずの訂正に、圭一くんは頭を掻き。

「ああ、悪い悪い。そういう意味じゃない……それにさ、いーちゃんはそういう、皮肉とか嫌味とか言いそうにないじゃん。
というより、そういうこと自体に興味がないって感じだよな。なんてーか仙人みたいな感じか」

「ふうん……そっか、そう見えるんだ」ぼくは事も無げに呟く。

 よく見てるな。ぼくとしても、それについてはあまり意識はしていなかった。
 しかしそれを知られたところであまりぞっとするわけじゃないが、問題は圭一くんがその意味をどこまで理解しているのか、でしょうかね。
 ぶっちゃけそこら辺は無視しておきたいところなのだけど。

「なんてな」圭一くんは、にいっと口の端を上げ笑い。

「そういうのって知り合ってすぐでそうそう簡単に分かるもんでもねーよな」と言い、一人でうんうんと呟いた。 

「そうかもね……そういえば圭一くんって最近引っ越してきたんだよね? ずいぶん馴染んでいるように見えるんだけど」

「そろそろ一か月経つか経たないかでございましょう?」

 進路の話などで所在なさげにしていた沙都子ちゃんが割り込むようにそう言った。

「圭一は口が良く回るので、すぐに村の人にも覚えてもらったみたいなのですよ」

 梨花ちゃんの答えに、ぼくは曖昧に頷きながらつぶやく。

「ふうん。口が回るねえ……」

 そういう印象はなかったな。どっちかっていうと頭が回るって印象。
 それにしても、言葉を駆使して周りに馴染むってのは嫌な表現だな。
 そう感じるのは、ただ単純にぼくがひねくれているだけなんだろうけど。
 ふと、考える。何故だか少しだけ緩んでいるような気がした。
 それはこのくだらない仲良しごっこに付き合っているからなのだろうか。
 それとも、また別の要素なのだろうか。ぼくはそれを考えない。

「こういうのも戯言だよな」溜息交じりで呟く。

「うん? 独り言なんてどうかしましたか」

 梨花ちゃんはぼくに問う。

「いや、いつも通りの独り言だよ。きみだって独り言を呟く事ってあるだろ?」軽く流し、質問を更に返してみる。

「しょっちゅうあるのです。ボクはもう妄想性障害――いや、二重人格の領域なのです。にぱー☆」

「……笑顔で言うな。というか事もなげに言いすぎだろ」衝撃的事実だった。どうせ嘘なんだろうけど。

「梨花は夜中に一人でぶつぶつ呟いてますのよ」誇らしげに言う沙都子ちゃん。というか何故に誇らしげ?

「あらあら、沙都子は寝たふりをして聞いていたのですね」きらりと眼が光る梨花ちゃん。

 というかマジネタですか……。いや、この子の事だから実際はわからないけど。

「まあ、最近の子供は多感な時期っていうからね……」意味が分からんフォローをするぼく。

 それにしてもやはり雛見沢の人って濃いなぁ、と感心せざるをえない。
 これ自体が欺瞞ゆえの寒心かもしれないけどな。
 それはぼく個人としても、あまり楽しい話ではないので話をずらす。

「そういえば魅音ちゃんはまだ復活しないのかい?」

 朝からずっと頭を抱えながら、虚ろな目でぶつぶつと何か危険な事を呟いている魅音ちゃんを指差し、誰に聞くでもなく問うてみる。

「見ての通りなのですよ」

 見るまでもなかった。
 そう簡単にあの呪縛からは逃れられないようで、魅音ちゃんは今も、朝と変わりなく震えている身体を自分の両手で抱いていた。
 そうなる気持は分かるが――いや、そうなる理由は分かるが、事実ぼくも破壊されかけたしな。
 ……あの時ぼくは――あれ? 
 あの時の事を思い出そうとすると、何故だか身体が勝手に震えだした。
 どうやら脳があの時の不条理と恐怖を思い出すのを拒否しているらしい。
 梨花ちゃんを見てみると、ぼくと同じなようで、目の光が明暗に点滅していた。

「……いや、えと、ごめん」なんとなく謝罪してみる。

「……いえいえ、こちらこそ」死線を共に越えた二人が通じ合う瞬間だった。戯言以外のなにものでもないけど。

 ふう。やはり疲れるなよな、こういうのって。五月の件でも、それ以前でも分かってたけど。
 ぼくはベンチから腰をあげた。

「ん? いー、どこかへ行くのですか?」

「……ちょっとトイレに」

「ふうん」梨花ちゃんは思わせぶりに、にこやかに笑みを浮かべた。

 それの方が立派にらしいじゃないか。とは言わない。
 ぼくは目を合わせないようにしながら後ろに振り向き。

「まあ、すぐ戻るさ」と言い、歩きだした。

 さて、これからどうしようかな。
 これからの事も。
 これからの事も。


 ~~~~


 いつだっただろうか、ぼくは哀川さんに言われたことをふいに思い出していた。
 『お前の基底は《諦観》と《妥協》だ』と。
 諦観。あきらめること。超然とした態度をとること。妥協。
 譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決すること。
 言葉にすれば、それはとても陳腐で、ありふれてて、つまらなくて、認めなくてはならない言葉。
 ぼくにとってそれは事実だ。理解しきってる。
 それは、どうしようもないくらいに。
 それならば、いまぼくは何を諦観し、何を妥協しなくてはならないのだろうか。
 けれど、ぼくには何の意志もない。それを決めるだけの――それを決める為の意志が。

「そういうのって諦めていたんだけどなぁ。それとも単純に主体性が無いだけなのか……」

 歩き始めて約五分ほど経ったところにあった図書館で、ぼくは何を読むでもなく、適当な本を開いたまま呟いた。
 中はクーラーが効いていて中々に涼しい。人もあまりいないので騒がしくないのはちょうど良いしな。
 どうやら相当に疲れているらしい。そうしてほんのすこしだけ時間が経った頃。

「こんにちわ」と。ぼくの正面の席に誰かが座った。

 ぼくは視線を上にあげ声の主を見上げた。
 目の前に座っていたのはロングの髪を見事に金色にし、おっとりとした印象の美人だった。
 ……誰、このおねえさん? ひょっとして知り合い……とかじゃあねえよな。
 アニメオリジナルの新キャラだろうか?
 ここ雛見沢に来てから結構沢山の人と会ったから、ぼくの人を覚える器官の処理能力はいっぱいいっぱいなんですよ。
 などと失礼な事を考えつつ、ぼくは挨拶を返す。

「……ええと、こんにちわ。あの失礼ですけど初対面ですよね?」

「ええ、そうよ。うふふ」と、知的に微笑まれた。この状況も含めてだけど、なんというか露骨に妖しいよな。

 彼女はそれだけ言い、じっとぼくを見つめる。

「……」それっきり無言だった。

 これはぼくの質問が悪かったのだろうか、彼女は今もぼくを見つめている。
 見られているのかもしれない。

「……あの」さすがに視線に耐えられなくなり口を開くぼく。

「なにかしら?」柔らかい物腰。でもどこかひっかかる感じだった。

「何かぼくに用でしょうか?」

「あらあら、うふふ」何が面白いのか分からないが笑顔を作り。

「あなたはいっきーよね?」と、質問に質問を返された。

「ええ、そうですけど。あなた誰です?」

 ぼくの名前を知っているという事はなんかの関係者ってことだよな。一応は警戒しておく。
 ちなみにこの界隈で、ぼくの事をいっきーと呼ぶのは。
 えっと――春日井さん、はもういないので……あとは入江さん関係だろうか。

「あら、やっぱりそうだったのね。あなたが死んだ魚のような目をしているから、きっといっきーだと思ったのよ」

「……」いきなり失礼な事を満面の笑顔で言う人だった。

「本当にとても死んだ目をしているから――うふふ、私もびっくりしちゃったわ」口に手を当て微笑まれても……。

「……ぼくの目がどんな感じだなんてどうでもいいですよ。さっきの質問に答えてくれませんか、それと用件はなんなんですか?」

「あらあら、せっかちねえ。私は鷹野三四。入江診療所で看護婦をしているのよ――それと」

「入江機関の人、ですか」

 鷹野さんは口元だけでうふふ、と笑い。

「せ、い、か、い」と、鷹野さんは、まるで語尾にハートマークが付いているかのように言う。
「これでも責任者なのよ、私は。一応階級も言っておくと三佐ね」いいながら、窓の外に視線をうつし、遠くを見るようにした。

「へえ、責任者ですか。それはD・L・L・R症候群、いや、雛見沢症候群の研究者としての意味ですか?」

 相槌を打ちつつ、問うてみる。そしてぼくはさらに鷹野さんを観察する。

「ううん……研究者、責任者」否定とも肯定とも取れるように首を振り。
「しいて言うのなら指揮者、もしくは統率者……かしらねぇ。勿論いっきーのお友達の玖渚友さんのようにはいかないけれど、
それが正しい表現なのかしらね。――あら、そんな怖い顔しないでほしいな。別に玖渚のお嬢さんになにかあるって話じゃないのよ」

 と、訂正するように微笑む。ああ、成程ね。この人はこういう人なんだな。
 勿論これだけで判断できる相手でもなさそうだけど。
 そういえば入江機関も玖渚機関の下部組織だったっけか。
 ついでに国も関わってるって、どういう状況なんだか。

「いえ、別に気にしてませんよ。少し気になっただけですよ」ぼくは言う。そして、警戒をさらに引き上げる。

「そう、なら続けようかしら。あなたに声をかけたのはね、客観的な意見として雛見沢の人はどうかしら、と聞きたかったのよ」

「……どう、と言われましても。普通の人達ですね、としか返せないですよ」

 ぼくは用心して答える。

「ふうん。それなら質問を変えてみようかしら」鷹野さんはにっこりと笑い、まるで子供を諭すかのように、ぼくに問いかけた。

「いっきー個人の主観として、雛見沢症候群の患者は、零崎とどれくらい相似しているのかしら?」と。


 そう言い、鷹野さんは確信犯的な笑みを浮かべた。
 驚いた……そこまで調べられたとは思ってもみなかった。
 実際のところ、零崎がぼくと一緒にいたのは、ほんのわずかな時間だったんだけど。
 ……ああ、智恵ちゃんのマンションの監視カメラとかだろうか。
 ぼくがあのマンションに忍びこんだ事は沙咲さんにはばれていたしな……
 まあ、他にも考えられる事はいっぱいあるんだけど。

「……それで、どうなのかしら?」

 鷹野さんは、押し黙っているぼくに返答を促してきた。
 痺れを切らしたのではなく、期待しているかのような口調だった。
 優しそうに細められていたその目を、まるで子供のように輝かせながら、そわそわと落ち着かない様子だった。
 なんなんだろうこの人。……天然なんだろうか? ただの純粋な興味みたいに感じる。
 ともかく、このまま黙秘は出来ないだろう。ぼくはわりと正直に答える事にした。

「その零崎は五月に京都で起きた連続殺人の犯人、つまり零崎人識の事ですよね」

「ええ、そうよ。……他の零崎一賊の人間も知っているなら教えてほしいわねぇ」

 零崎一賊、ねえ……。そこら辺の情報は哀川さんや小唄さんからの情報しかないんだけど。
 ……しかしあいつとはよくよく縁があるな。

「ぼくはあいつ、つまり零崎人識しか知りませんよ。……それに一応言っておきますけど、あくまでたまたま関わった程度ですから」

「そう、残念ねぇ……」と露骨に落胆した顔を見せ、すぐにさっきまでしていたような顔に戻る。
「じゃあ、その零崎人識くんはどういう子だったのかな?」そしてそう続けた。

 その後、ぼくは鷹野さんに、ある程度の虚偽を混ぜつつ、肝心なところは誤魔化しながら、ある程度の事を簡単に伝えた。
 ある程度の風体や、ある程度の経緯を、もれなく曖昧に伝えた。
 何となくだが、零崎をかばうことになった気もする。
 そして鷹野さんはぼくが殺されそうになったところは興味深そうに頷いていた。

「それとも、零崎という存在が殺し名ってだけなのかしら」ひとり言のように呟き、
「ふうん。やっぱり殺意だけで殺人技能は特化するものなのかしらねぇ?」そうぼくに問うた。

 たしかにあいつの殺人技術は図抜けて凄かった。それは、ぼくではなく、人類最強をして『人類最速』と言わせるほどだしな。
 けれど、それは殺意に関係あるってのはどういうことなんだろう。

「その、ぼくは他の零崎一賊の人を知らないので何とも言えないですけど、たとえ零崎がDLLR症候群にかかっていたと仮定しても、
一般の人間には到達できない領域だと思いますよ。たとえ機関銃を持ったとしても普通の人じゃ殺せないでしょうね。
そんなのは殺意だけじゃ埋めようもないでしょうから……」

「へえ。やはりそういうものなのかしらね……」

 思わせぶりに言いやがる。どっちかっていうとこの人も春日井さんみたいなタイプだよな。
 まあ、春日井さんがここにいたら、間違いなく話は進まないだろうけど。絶対に進まないだろうけど。

「他には何かないのかしら?」小首を傾げる鷹野さん。

「ええ、そんなもんです」

「……ほんとにぃ?」甘えたような声を出し、疑いの目でぼくを見てきた。……キャラ変ってるし。

「ええ、ぼくが知ってる事なんてほんの少しですからね」それ以上は言いたくないってのもある。

 鷹野さんは微妙に納得のいかないような顔をし、そして何かを思い出したように開いた手の平に、逆の手のこぶしでぽん、とついた。

「まあ、いいわ。思い出したら教えてね。もし何か思い出したら猫耳メイド服姿で『ご主人様のミルクのみたいにゃー』くらいやってもいいわよ」

 言いたくなってきた。
 しかし猫耳はいらない。
 いくら人間失格で殺人鬼の鏡写しである欠陥製品の人でなしであるぼくでも、その程度の矜持は持っている。
 動揺からか、軽く意味が通っていない事は無視する。……まあ、そんな事なんてどうでもいいよ。
 それより、ぼくとしては聞かなくてはならない事がある。

「あの、鷹野さん。少し聞きたい事があるんですけど、いいでしょうか?」

 ぼくの前置きに、鷹野さんはゆっくり「いいわよ」と頷いた。
 
「あなたは、雛見沢症候群に対し、何か思うところはあるんですか? そして、それを治せるものと思い、研究を続けているんですか?」

 それに続けるべき言葉をぼくは言わない。それは感傷ではなく、純粋な興味でもある。

「うーん。……私個人としては、思うべき事は何もないわね。珍しい病気っていうだけの、ただのサンプルかしらね。あとは後者の質問ね……」

 鷹野さんは顎に手を当て悩むような格好をぼくに見せ。

「今のままじゃ治せないんじゃないかしら。入江さんじゃちょっと無理かもね。
もうちょっと優秀な研究者でもいたらいいのかもしれないけれど……その観点で見たら春日井さんの辞職は痛かったんじゃないかしらねえ」

「なんだか他人事みたいな物言いですね……それと入江さんじゃ無理ってどういうことなんですか?」

「言葉の通りよ。入江さんのやり方じゃ無理なんじゃないかしら。本当に治す方法を確立したいなら研究者らしく、
被験者の頭を片っ端から掻っ捌いて調べればいいのにねぇ……まったくもう、そういう職業に向いてないのかなんなのか分からないけど、
可哀そうだとか、人道的じゃないとか、綺麗ごとばっかりでつまらないのよねぇ。ほんと馬鹿みたい」

 鷹野さんは独白のように呟きながら、ぼくを見つめ。

「ほんともう、お姉さん困っちゃうわ。いっきーもそう思わない?」

 と、優しそうに笑った。先程までの会話の流れからだと、この微笑みが非人間的に感じられる気すらする。

「……さあ、ぼくは研究者ではないので判断がつきませんね」ぼくは分からないとでもいったふうに、両手を広げ答える。
「研究者とすれば、鷹野さんが言ったのが正解なんでしょうけどね……」

 あくまで実験対象……本当にそれだけなのだろうか。
 それは、ぼくにとっても、入江さんにとっても、この鷹野さんにとっても……。
 そして、それを知ることは、ぼくにとってあまりプラスになることじゃない。
 ましてや……今の状況だったら、尚更。

「うんうん。まあ、そういうのが普通よねぇ。とりあえずこんなものかしら。……ああ、そうだ。いっきーは祭が終わるまでここに居るんでしょ?」

「ええ、一応その予定ですけど」

 ぼくの頷きを見ると、鷹野さんはテーブルに置いていた鞄からノート的な物を取り出し、それをぼくの前に置いた。
 期待に溢れた感じの鷹野さん。見ろって事なのだろうか。

「……何ですか、このノート?」あまりに怪しすぎる。

「うん。私の個人的な趣味なんだけどね、雛見沢の民間伝承とか、例の殺人事件とか、雛見沢症候群を曲解して、悪意とオカルトで混ぜこぜにして、
最終的に全て宇宙人の所為にしてみたっていうお話書いたノートなんだけどね、ちゃんと本筋を知っている人間に読んで欲しいのよ」

「……さすがに宇宙人の所為ってのは突拍子が過ぎるんじゃないでしょうか?」

 誰に見せるって訳じゃないんだろうけど、すごい趣味だ。一瞬本気で逃げようかと思ってしまった。

「そうよねぇ、さすがにこんなの信じる人はいないわよね」残念そうに呟き。
「まあ、一応読んで感想を聞かせてほしいな」そう言った。

「はあ、分かりました」

 なんか面倒くさい事になった気がする。しかし暇つぶしにはなるだろうか。 
 鷹野さんはちらりと腕時計を見る、そして椅子から腰を浮かせた。

「うん。それじゃあ、帰ろうかな」

 そうして席を立ち、ぼくの表情をじっと見つめた。そして思わせぶりに、

「今年の鬼隠しは誰になるのかしらね。いっきーも気を付けた方がいいわよ」と言い、微笑んだ。

 ふうん。……鬼隠し、ねえ。
 ここでそれを持ってきますか。そういやぼくも一応登場人物の一人だもんな。

「どういうことですか?」

 ぼくは問う。
 ただ怖がらせたいだけの可能性もあるが、やはり圧力って線だろうか。

「うふふ……どういうことかしらね?」

 そう言い残し、鷹野さんは図書館から出て行った。
 テーブルに残されたノートを拾い上げ鞄の中に放り込んでおく。
 ぼくは背筋を伸ばし、手を上に上げた。そうして、鷹野さんが完全に出た事を確認し呟いた。

「えっと……東京だったっけか。うん、たしか東京だよな……」

 今時秘密結社ってのはどうなんだろう。いや、そりゃあるんだろうけど……。
 腕時計を見ると約一時間ほど経過している。どうやら結構話していたようだった。
 その割には要領を得ない会話だったな。まるっきり無駄だったってわけじゃないんだけど……。
 今更だけど、意味のない言葉遊びに感じられる。
 嘘つきと嘘つきの話し合いは、嘘つきの勝利に終わりました、ってか。
 結局それも、

「戯言だよな」

 ぼくは天井の蛍光灯を見つめ、そう呟いた。


 ~~~~


「ふう、しかしやたら暑いな。まあ、八月だったらこんなもんか。どっちかっていうと湿度の所為で京都はもっと暑いんだろうし」

 益体もない事を呟きながら、ぼくは先程の球場に戻ろうと歩いていたりする。
 時刻は午前十一時。
 道は休日ながら人の通りは少ない。
 京都のように、年がら年中観光客や修学旅行生がいないからだろうか、酷く歩きやすく感じる。
 そういや、トイレに行くといって出てきたんだよな。
 さて、どういう言い訳をすべきか。
 ……まあ、今のところいい人に徹している訳じゃないので、なるようにはなるんだけど。

「しかし微妙に世話になっているので、悪い人に徹しようとも思わないんですけどね」

 軽く自虐してみる。
 ……なんだかなぁ。人はこういうふうに流されていくっていう見本のようなぼくであった。
 かといって今のぼくに、何か他の選択肢があるわけもない。
 はたしてぼくはこのまま流され続けると、どこに漂着するんでしょうね。
 あるいは漂流し続けているのが正しいのか。
 それとも、ずっと前に漂着して、既に終わってしまっているのか。
 それとも、ただ単に止まっているから、始まっていないだけなのか。

「……だから流されるのかな……」

 なんだかんだで、ここの皆は楽しそうで幸せに見えるもんな。
 もちろんぼくには何も分からないので、ぱっと見の判断ってだけだけど。
 いや……馬鹿馬鹿しいな、何を考えたところで結果は変わらない。
 どこまで行っても――――ぼくは、ぼくだ。
 ぼくは頭を振り、それについて考える事を止めたところで。

 ぼくを見つめる視線に気付いた。

 その方向、道の向こうを辿ると。
 誰かは分からないが、大人と歩いている沙都子ちゃんがぼくを見ていた。
 ぼくの視線に気づいた沙都子ちゃんは、にこりと儚げに笑った。
 沙都子ちゃんの前を歩いていた大人の人は、随分とガラの悪そうな感じで、向かいから歩いていたぼくをじろりと睨んだ。

「どうしたのかな、沙都子ちゃん?」

 誘拐とかだったら困るので、足を止め話しかけてみた。
 沙都子ちゃんは快活そうににっこりと笑い、ぼくの問いに答えず、嫌味っぽく。

「あーら、ながーいトイレでしたわねぇ?」と、言った。

「……ちょっとお腹が痛くてね」考え得る限り、最悪の返答だろ、これは……。
「まあ、それはいいよ。それでどうしたの?」ぼくに向けられているおじさんの視線を無視し、再び問いかけた。

「伯父さんが帰ってきたので、北条の実家に帰ろうかと思いまして」沙都子ちゃんはそのとうの伯父さんであろう人に目を向けた。

「へえ、そうなんだ」

 ぼくが曖昧に頷いた時、その伯父さんは乱暴な声で沙都子ちゃんに、

「沙都子ぉ、はようせぇ!」と怒鳴る。

 それを聞いた沙都子ちゃんは、一瞬だけ表情を硬め、すぐに元の笑顔に戻り、明るい声音で返す。

「はい、分かりました」

 そして、ぼくを一瞬だけ見つめた。
 それは、とても、色々な感情が入り混じった目で、
 哀しそうに、
 悲しそうに、
 苦しそうに、
 優しそうに、
 愛しそうに、
 懐しそうに、
 壊しそうに、

 ぼくを見つめた。

「ええ、そういう訳で、私急いでますの。ではごきげんよう」そう言い、ぼくから目を逸らし、また歩き出した。

「ああ、そっか、引きとめてごめんね。それじゃあ、ぼくは球場に戻るとするかな」

 ぼくは戸惑いながら別れを告げた。

「……にー」

 消え入るような声が聞こえた気がする。とても悲しそうな声が。

「うん? 何か言った?」ぼくは離れていく沙都子ちゃんの背中に聞いた。

 沙都子ちゃんは、振り向かずに、

「球場にお弁当があるので、食べてくださいね」そう言い、去って行った。

「……ああ、うん」

 ぼくは首を傾げる。いったい沙都子ちゃんはどうしたんだろうか。
 実家に戻るって言っていたけど……。それだけで、ああもなるものか……?

「分かんねえな……。とりあえず球場に戻ってみるとするか」

 呟きながら、欠陥製品は歩みを進めた。


 ~~~~


 何故だかふと思い出していた。それは五月のある日に交わした会話。
 殺人鬼とぼくの会話。

 殺人鬼はぼくに言った。

『お前は欠陥製品だ』と。

 だからぼくは殺人鬼に言う。

『それじゃあ、きみは人間失格だ』と。

 殺人鬼はぼくに言った。

『お前はいったい何人殺した?』と。

 だからぼくは殺人鬼に言う。

『ぼくは誰も殺してなんていない』と。

 ぼくは殺人鬼に問い返す。

『ならばきみは何人殺した?』と。

 殺人鬼は笑いながら答える。

『俺は誰一人として殺しちゃいない』

 と、水面に映った殺人鬼は笑った。
 だから、ぼくは笑わなかった。

 それは、ぼくにとって、深いところで根付いていた記憶。
 何が起ころうと、ぼくは止まったままだった。
 四月も、五月も、六月も、七月もぼくは変わらなかった。
 その前からも、今でも、ずっと、ぼくは変わらなかった。
 それを見て、鏡移しのぼくは言う。

『それはそれは、とても傑作だろう』と。

 目を開け、ぼくは呟いた。

「いいや、結局それは戯言だよ」

 球場が見え、ぼくは思考を振り払う。
 試合は終わっていないらしく、ユニフォームの白が、土の茶色に映えていた。
 ぼくは坂を下り、雛見沢の皆が座っているベンチに向かう。
 メンバーは沙都子ちゃんを抜かし、全員揃っていた話し合っていた。
 それは前日の部活の時のような軽さではなく、真剣に何かを議論しているような感じに見える。
 梨花ちゃんは、近づいてきたぼくに気付き、ぼく以外の誰にも見えないように、ある種の達観したような微笑みを見せた。

「いーも、こっちに来てください」そう言い、手招きをした。

 何となく所在がないので、輪には入らず少しだけ外れた場所に、ぼくは座った。

「どうしたの?」

 ぼくは問う。
 たぶん、沙都子ちゃんの事だろう。それは分かり切っているはずなのに……。

「沙都子が連れていかれました」

 梨花ちゃんは、淡々とぼくに告げた。
 それから、皆がぼくに事のあらましを説明し始めた。
 ぼくがいなくなって少しした後、沙都子ちゃんの伯父さんが現れ、沙都子ちゃんは自分から着いて行ったらしい。
 そして、沙都子ちゃんはその伯父に虐待を受けている、と。
 ぼくが頷いていると、圭一くんは声を荒げて、言う。

「虐待されてるのに、なんで沙都子は着いて行ったんだよ!?」

 圭一君の問いに、誰も答えなかった。
 魅音ちゃんは俯き、レナちゃんは何かを考え込むように、梨花ちゃんは瞳を閉じ、三者三様の様子。

「……なあ、なんで黙ってるんだよ? なんで助けてやらないんだよ……? あいつは、沙都子は俺達の友達だろ?
あいつは助けを求めているかもしれないんだぞ! 信頼している友達に助けて貰いたいだろ!」

 青臭い。圭一君は言っている意味が分かっているのだろうか。
 本当の意味で本来の意味で分かっているのだろうか。
 それはいともたやすく壊れてしまうような意見だ。
 ……それにそれを言える責任を持っているんだろうか。
 いたたまれずに、ぼくは口を挿もうとすると。

「少し黙って」と、レナちゃんは有無を言わせない口調で圭一くんに言った。

「けどよ!」

 圭一君は座っていた椅子から立ち上がり声を上げた。
 それを見たレナちゃんは先程と変わらない、いささか冷たいともいえる視線を圭一くんに投げる。

「それじゃあ圭一くんには何か出来るの? 解決出来る策や方法があるのなら言ってみて。出来るのならさっさとやって」
レナちゃんは目を伏せ、「そんなに簡単に解決出来る問題じゃないんだよ」そう言い、乱雑に頭をぼりぼりと掻いた。

 やっぱり皆助けたいんだよなぁ。しかしこういうのって……当人の問題なんだよな。
 たとえ友達が何を言ったとしても……。
 ぼくは口を開く。これこそあまりスマートな手段じゃないんだけど。
 それこそ、ぼくの流儀ではないんだけど。

「あのさ、ちょっといいかな? こういう家族親族間の事に口を挿むのって、ぼくとしては本意じゃないんだけどね、
児童相談所に相談したらいいんじゃないかな。多分だけど、ここの市役所にもそういう機構があるはずだよ。
昔に虐待されていたってんなら、曖昧な情報でも聞いてくれるんじゃないかな。もし相談所側がきみ達の言葉を信じられなくっても、
誰か信用できる大人、そう――たとえば知恵先生や、そこにいる入江先生の意見だったら聞いてくれると思うしね」

 ぼくは言う。しかしながらぼくが出来るのは、この程度の誰でも考えつくような事しかない。
 他にも方法はあるんだろうが、この子たちが頼るべきなのは社会という枠組みだろう。
 ……なんか歯がゆいな。こういうのって。
 何故そう思うのか――理由は分からなくもないから考えないんだけど。

「ああ、それいいと思う。根本的な解決にゃあならないけど、すぐにでも出来そうだ。それじゃあすぐにでも――」

「それは無理なのです」圭一くんの言葉を遮るように、梨花ちゃんは首を横に振る。

 ひどく大人びた雰囲気――いや、違う。
 ひどく老成したような、この世界の物を全て馬鹿にしたようなぞっとするような雰囲気だった。
 何度も思う。どうしてこの子はこんなにも、全部諦めているような目をするんだろうと。
 そして梨花ちゃんは、つまらないとでもいったふうに。

「もう、それは試したのですよ」こう言った。

「試したって……」

 圭一くんは茫然と呟く。つまりはそれで解決しなかったわけだ。
 という事は児童相談所が動かなかったのか。それとも……。

「圭一がここに来る前に、虐待が一番ひどかった頃に、悟史がいなくなり、沙都子の精神が一番すり減っていた頃に」

 梨花ちゃんは訥々と語る。何か根が深いっぽいな。
 それに悟史? ……多分、自信はないけど知らない名前だろう。
 判断するには早いが、それが関係あるんだろう。

「知恵先生と入江先生が沙都子の事を心配して、相談所に行ったのです。ですがその行動は無駄に終わりました」

「……なんでだよ? それに悟史って誰だ?」

 圭一君は話の腰を折るように梨花ちゃんに問うた。
 なんつうか若いよなぁ、こういうふうに話を振れるのは少年ならではなのだろうか。
 おかしくはないけど、愚かしくはある。
 まあ、いいんだけど。それに……ぼくだって気にならないって訳じゃない。
 梨花ちゃんはにこりと笑顔を繕いながら、

「沙都子の兄なのですよ。……悟史は失踪したのです」と少しだけ寂しそうに言った。

 ……ふうん。
 それよりも、だ。……今更だけど、ぼくはこの話を聞いていいんだろうか。
 ぼくが聞いてしまっていいんだろうか。
 なんか腑に落ちない。
 気の所為だろうが、ぼくが粗筋に組み込まれてしまっているような気さえする。
 たしかに偶然は起こりえる、だがしかし――いや、こういうのは早計がすぎる。
 自意識過剰が過ぎるだろう。
 ぼくは思考を梨花ちゃんの語りに向ける。

 少しだけ沙都子ちゃんのまねをしたような口調で言う。
 ぼくの気の所為かもしれないが、それが少しだけ哀れに見えた。

「沙都子は『あらあら、誰がそんな事を言ったんでしょうかしら? そんな事はありませんわ』こう言いました」

 それを聞いた圭一くんは怪訝な顔で返す。

「それは……あのおじさんを庇っての事なのか?」

「いいえ、それはないのです」

 梨花ちゃんはゆっくりと首を横に数回振り、否定の意を示す。
 そうして、呟くように。噛み締めるように言う。

「沙都子は強くなりたかったのです」

「……成程な」ぼくは誰にも聞かれないよう口の中で呟く。

 けれど、それは駄目だ。それじゃあ駄目だ。他の誰かに誰かを投影したところで、結果は同じ。
 このぼくと同じだ。このままじゃ、欠陥製品であるぼくと同じになってしまう。
 ぼくが玖渚に対し、妹を写したように。
 ぼくが姫ちゃんに対し、玖渚を写したように。
 ぼくが零崎に対し、吐き気を催しながら自分を投影したように。
 あの子は、ぼくに、その悟史くんを写していたのか。

 そうして、ぼくは気付かない振りをして、あの子で、あるはずのない事を夢想していたのか。

 やっぱりここには来るべきじゃなかった。
 ぼくは素直に、そう思った。

 それから、少しだけ色々な話を、蚊帳の外にいるような気分で聞いていた。
 北条家の事、その伯父の事、魅音ちゃんの家の事、沙都子ちゃんの事、他にも色々。
 圭一くんは納得していない様子で、憤っている様子。
 レナちゃんは落ち着いているように見えるだけで、その実すぐにでも暴れだしそうで、それこそ爆発してしまいそうな、危うい感じ。
 魅音ちゃんは家の事もあるので、何も言えずに、ただすまなそうに俯き、耳を傾けている。
 そうして、話は何も進まないうちに、入江さんはぼくを呼び。

「いっきー。この試合が終わったら、少しだけお話よろしいでしょうか?」

 物腰は変わらないのに、妙に疲れている感じで入江さんは言った。
 きっと沙都子ちゃんの事だろう。……羨ましいな、そういうの。ぼくには分からないけど。
 ぼくは「分かりました」と頷き、時間と場所を聞くと、近くにある喫茶店の場所を教えられた。
 さすがに今日はエンジェルモートじゃないか。などと不謹慎な事を思ってしまう。
 そうこうしていると、梨花ちゃんは少し離れているぼくに近づき。

「いー、今日の夜は空いていますか?」そう問うた。

「入江さんと話があるから、少し遅くなるかもしれないけど、それでもいいかな?」

「はい、いつでもかまわないのですよ。にぱー☆」

「なんでかわからないけどその『にぱー☆』って随分久しぶりに感じるよ」ぼくは少しだけ皮肉げに言っていた。

「あはは」

 ほんとこの子はわかんねぇな。……こんなふうにも笑えるんだ。
 ああ、そういえば夜はバスもないので歩くことになるな。
 それなら少しだけ遅めの時間を指定しておけばいいだろうか。
 そう思い、ぼくはある程度の時間になると梨花ちゃんに伝えた。
 依頼主だしな。可能な限り希望に答えておく。それで何かが解決する訳じゃないけど。

「梨花ちゃん、ぼくホテルに帰っていいかい?」

 梨花ちゃんはすぐに、頷く。ぼくはそれを見て、皆に別れを告げた後、球場を後にする。
 ほんの少しだけ、

 やることが出来た。


~~~~


 では少しだけ思考しよう。
 人間が幸せになりたいと思うこと。それは間違った願いではない。むしろ正しい。
 ぼくだって幸せになりたいけれど、幸せになるべきだとは思わない。
 それはぼくが汚濁と汚泥にまみれた人間でなくてもそうだっただろう。
 それに、押しつけられたような幸福が、正しい事だとはどうやっても思えない。
 たとえそれが善意からの行動であっても、人によっては傲慢にすら感じられるだろう。
 何も考えないのなら、それでも良いのだろう。
 それだって与えられた状況を善意という事で押しつけられれば、たぶん流されるからという理由でだけど。
 それでも幸せになりたいから。ただそれだけ。
 でもそれって、自意識過剰の押しつけがましい好意としか思えないんだよな。
 それが逃げた人間の意見なのだろうか。それとも、また別の要素なのだろうか。
 ぼくには分からないし、誰かに置き換えて分かったつもりでいるのも傲慢としかいえない。
 たとえそれが誰かのためになる事だとしても、世の中にはどうしようもないほどの悪意や、悪行が溢れている。
 どんな聖人であっても、それら全ての悪意を回避することなど不可能だろう。
 つまり誰だってありふれた不幸であり、誰だってこれ以上ないほど不幸になりえる。
 ならばそれが自分であっても、隣にいる誰かであっても驚くべきところではない。
 それらは全てが全て、誰にとっても当たり前の、誰にでもある絶望ということでしかない。
 少なくとも、ぼくはそう実感している。けれどそれはぼくの実感であって、それを他人に適応しようとも思えない。

「……はあ」

 なんだかな。情にほだされたって感じなのだろうか。
 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。けれど実際のところどうなのかが全く分からない。
 ……。
 それにしたって――ぼくがこれからしようとする事が、正解だという保障があるわけじゃない。
 むしろ誰かが今以上不幸になる可能性だって大いにある。それでもな……。
 ま、今時点じゃ何も分からないし、とりあえず準備しておくのは悪い事じゃない。
 と前向きなようで後ろ向きの思考を終えた。

「よし、それじゃあ少しだけ行動しますか」

 呟き、ぼくは目を開けた。
 目に映る光景ははホテルの一室であり、ぼくの滞在している狭い部屋だった。
 ぼくはズボンのポケットに入っている携帯電話を取り出し、ぼくが唯一記憶している番号を押し、電話を耳に当てる。
 ほどなくして、電話は繋がった。

「うっにーっ! いっえぇーい! いーっちゃーん元気ー!? 僕様ちゃんはすこぶる快調なんだよー!」

 電話の相手、すなわち玖渚友のテンションは、いきなりレッドゾーンに突入していた。
 変わらねぇなぁ……しみじみ思う。
 そんなに永い間会ってないって訳じゃないんだけど、このテンションは懐かしく感じる。
 いろいろ放り出して、京都に帰りたくなってきた。帰れねえんだけど。

「いーちゃん今雛見沢とかいう所にいるんだっけ。そんでどしたの? どしたの? いーちゃんが電話くれるなんてめっずらしぃ! そうだ! 記念塔を建てよう! むしろ電波塔! 遠距離記念電波! きゃははは!」

「いや、建てないでいい」ぼくは冷静に突っ込む。

「なんだとー! まあいいよ、記念は僕様ちゃんの電子の海の中さ!」

「友、ちょっと頼みがある」ぼくは言う。
「来る前に秘密結社東京って言ってたよな?」

「うん? 東京? 言ったよん! なんかどっかの政治家の木端組織だよね! 秘密結社なのに全然秘密結社してないという男らしい秘密結社だよね?バッタ怪人とかの製造もしてない普通の組織だよ!」

 たぶん普通に秘密結社してるんだろうけど、玖渚にとっては秘密でも何でもない組織らしい。

「それで頼みってなに? 僕様ちゃんに出来る事だったらなんだってしちゃう気分だよ! もう身も心も捧げちゃうくらいだよ!」

 なんか機嫌がいいな。何かあったんだろうか。
 ……まあ、いいや。とりあえず要件を話しておく。

「その秘密結社東京の下位組織、入江機関の事を調べて欲しい。それと雛見沢症候群の患者の情報も」

「ふうん……いいけど。多分だけど、それって結構な量になるよ」

「ああ、構わない。……頼めるか?」

「うん、いいよ。いーちゃんはまためんどくさい事になってるのかな?」

「……さあ、よくわからないな」正直な感想。

「そんじゃ、調べ終わったらいーちゃんの泊ってるホテルに届けるよん」

「ああ、頼む」

「それじゃあねー!」

 そうして電話は切れた。ぼくは電話をベッドの上に置き、一つ息をつく。
 さて、どうしようか。すぐさまやることがなくなってしまった。
 約束の時間までまだ結構あるし、とりあえず今できる事といえば……。

「弁当でも食べるかな……」

 呟きながらベッドの上に置いてあった弁当箱に視線を移す。
 球場から帰るとき、梨花ちゃんに渡された物。沙都子ちゃんが作ってくれたお弁当だった。
 丁寧に包まれた布を取り蓋を開ける。
 小さな弁当箱の中には色とりどりの料理が入っていて、おかず一つとっても一目で手が掛かった物だとわかる。

「美味しそうだな。それじゃあ、いただきます」

 素直に感嘆の声を上げていた。
 誰にも聞かれていないから出たのか、誰かに聞かれていても口に出していたのか……。
 とりあえず目についた煮物を口に放り込む。薄口の醤油と出汁がよく効いている。
 ほどよく煮込まれ、味の染みた蓮根だった。
 あの島の料理人、えーと何て名前だっけ? ……まあいいや。
 あの人と比べる訳じゃないが、ほんとに美味しい。
 思いのほか箸が進み、五分ほどで平らげてしまった。

「ごちそうさん」

 と、それを聞く対象がいないけど、感謝の意を示しておく。
 まだ時間が結構あるので、そのままベッドの上に寝転び、鷹野さんから借りたノートを広げてみた。
 とりあえずこれでも読んで時間を潰すしかないか。
 待つのは嫌いじゃない。

 それから数時間経ち。
 読み終わったぼくは手元のノートを閉じ、一言呟いた。

「……あの人本当に性格悪いな」微妙に絶句していた。

 ちょっと首から上、主に頭部辺りがメルヘンな人だったら、信じてしまうかもしれない話だった。
 事実を的確に湾曲させ、真実を適度に捏造している。悪意たっぷりの、偽物の物語。
 表で起きた事だけを知っていて、裏側の話を知らなかったら、ぼくも信じてしまっていたかもしれないな。
 まあ……鬼や宇宙人まで出演者に入っているので信じる事はないけど。
 でもそれ以外の理由だったらあるかもな、と思うような内容だった。

「でもな、さすがに宇宙人はないよな……時間つぶしにはなったけど」

 そういや、感想を教えてくれって言ってたな。
 なんていうのかな……POV映画とかそんな感じの一人称的な楽しみはあるけど、最終的にダークファンタジーになってしまったのがちょっと残念だった。
 とりあえず次に鷹野さん会った時に、そんな感じの適当な感想を言えばいいだろうか。
 ぼくは腕時計を確認、そこそこに時間は経っていた。今から出たらちょうど良いくらいだろうか。

「それじゃあ、行きますか」言いながら、ぼくはベッドから身体を起こした。


 ~~~~


 夕方だってのに外の気温は高い。
 太陽とアスファルトに挟まれてない分、昼よりはましなのだろうけど、暑いものは暑いのだ。
 そんなだらけたくなるような暑さの中、ホテルから数分ほど歩くと目的地の喫茶店が見えてきた。
 住所からいってこの店で間違いないだろう。
 外観は落ち着いた感じの、もうこれ以上ないってくらいの喫茶店。
 通りにあるガラスから店内が見えるが、中を覗き込んでみるも見える範囲に入江さんは見当たらない。
 
 ……来るのが早かったかな。
 ぼくは腕時計で時間を確認していると、

「おや、もう来てたのですか。遅れて申し訳ありません」と、声を掛けられた。

 振り向くと、野球のユニフォームから白衣に着替えた入江さんが微笑していた。
 さっき時計を見たときに、まだ約束の時間ではなかったから問題ない。

「いえ、ぼくも今来ました」

「そうですか。まあ、とりあえず入りましょうか」入江さんはそう言い、ドアを開け店内に入って行った。

 ぼくも入江さんの後ろについて入る。
 中は外から見た通りで、広いってわけじゃないが、狭すぎるというわけでもない。
 まあ、話をするくらいだったらどうにでもなるだろう。人もあまりいないし。
 ぼくがきょろきょろと辺りを見ている間、入江さんはこの店の店主らしき人と話している。
 会話から察するに、どうやら奥の席を取っているらしい。
 そうして奥の小さい席に通され、ぼくと入江さんは向かい合って座った。

「お呼び立てしてしまい申し訳ありません」入江さんは言いながら、深く頭を下げた。

「いや、構わないです。ぼくとしても聞きたい事があったので」

「ここにお呼び立てした理由はですね、大変に申し訳ないのですが、エンジェルモートでは出来ない話でして、ここなら誰かに話を聞かれる事もありません。いっきーとしては残念でしょうが、ご勘弁を」

 ……なんか分かんないけど、ぼくがとてもエンジェルモートを楽しみにしているような物言いだった。 
 しかし突っ込まない。というか突っ込めない。……怖いから。

「それで本題なんですけれど、ぼくに何の話でしょうか? やっぱり沙都子ちゃんの事ですか?」

「はい、そうです」入江さんは眼鏡を治し、ぼくの目をまっすぐと見つめ。
「いっきー、僕はね――」少しだけ躊躇ったようにぼくに言う。

「――沙都子ちゃんをメイドにしたいんですよ」

「は?」ぼくの呆けた顔を見て、入江さんは慌てて続けた。

「失礼、噛みました」

「噛む要素が全く無いです……」

「本音でした」

「何言ってんだあんた?」

「ま、まあ冗談はこれくらいにしておきましょう」大人の切り返しだった。
 
 ……しかし目が泳いでいる。この人本当に侮れない。

「とにかく、沙都子ちゃんの事です。ある程度の事は聞いていますか?」

「はあ、ある程度の概要程度ならですけど。もしよければ、そこら辺も説明してくれると助かります」

「ふむ、どこから説明したものか……」そう言い腕を組み、悩む素振りをみせる。
「回りくどくなってしまいますが、初めからでよろしいでしょうか?」

 ぼくは首を縦に振り、構いませんと促した。

「沙都子ちゃんの親御さん――いえ、この場合は北条家と言った方がいいですね。北条家は、雛見沢では数少ないダム建設の推進派だったのです」

 ……それで村八分か。
 異端を迫害ということ。こういう閉ざされた村ではそういう事もいまだにあるんだよな。
 どこかの誰かが言っていた、社会の変化は人の意識を変化させる、だったっけ。
 それに準拠するなら、変化しない社会の人間は停滞しているともいえる。
 行為の代償に伴わず差はあるものの、魔女狩りの時代と何も変わらないな。
 こういうのって、しょうがないんだろうけど。
 諦めるしかないんだろうけど。
 そういや、ダム建設を反対する団体ってのが……えーと園崎家だっけ。
 あー、えっと、つまり……魅音ちゃんの家か。
 そこら辺の村事情はあまりよく分かってないんだよな。
 入江さんは目を伏せ、恥じるように俯いた。

「……ダム建設の件に関しては、機関も一枚噛んでいましたからね」

「反対派で、ですか……」 

 ぼくの呟きを聞き、入江さんは重く頷いた。風土病の研究の為にだろう。
 ……情報がある分、どうしても穿った見方をしてしまう。少しだけ話に集中した方がいいだろう。

「ええ、後から知ったというのを言い訳にするつもりはありませんが……。妨害工作に一枚噛んでいたというのは本当です。当時ダム建設に関わっていた大臣の子息が機関付きの隊に誘拐されました。それでダム建設の話は、件の殺人事件もあり白紙になったのです」

 たしか誘拐された男の子は、無事に帰ってきたんだよな。それで犯人は捕まらなかった。
 うん、話は繋がる。

「聞いておきたいんですけど、その殺人事件は入江機関とは関係がないんですよね?」

「全く関係がないとは言い切れませんが、直接関わったのは誘拐だけだだと聞いています。
そして、殺人事件は犯人、被害者、共に雛見沢症候群を発症していた。その所為で起こった事件かと思われます」

「なるほど……誘拐事件の経緯は分かりました。それじゃあ鬼隠し――いや、行方不明ってのはどういう事なんですか?」

 そこら辺の事情は気になっていたので、一応聞いておきたい。

 「そうですね……言い方は悪いですが、犯人の方は今も機関で研究材料になりました」

 嫌な過去形だ。科学の為にという免罪符はやはり慣れるもんじゃない。

「なるほど、それでですか。それじゃあ……ここの警察も、機関の存在は知らないんですよね?」

「秘特事項です。実際に、こう軽々しく喋っているのも異例の事態なのです。一部を除けば、誰も診療所の地下に研究所があるなんて知らないでしょう」

 それをぼくに話すのは、やはり人類最強が後ろに居るからなのだろうか。
 富竹さんの話ならそうだったが、色々と思惑がありそうな感じだな。

「それじゃあ警察に手が出せるはずもない。……鬼隠しで済ませたくなるでしょうね」ぼくは適当に相槌を打つ。

 自分で言いながら納得していた。そりゃ捕まらないよな。
 警察にも圧力やらなんやらが掛かっているのだろう。真相にたどり着けるはずもない。
 国に、軍に、秘密結社。おまけに玖渚機関ときたもんだ。まったく……どんな戯言だよ。

「ええ。まともに考えたら鬼隠しなんてありえません。しかし分かりやすい逃げ口としては適しているのでしょうね」

 まあ、そうだろうな。誰だって理解できない事があると逃げてしまう。
 ほとんどの人間は危険だと理解できるものには近付きたくない。
 そういう意味では、何も知らない事件の関係者が鷹野さんのノートを読んだらやばいんだろうな。

「それでは二年目の事件……これが本題なのです。北条夫妻――つまりは沙都子ちゃんの親御さんの事件です。 祭の後、北条夫妻が崖から転落し亡くなりました。北条夫の遺体は見つかりましたが、婦人の遺体は見つかりませんでした」

「……この事件の原因は分かっているんですか?」

 自分でも驚くほど冷たい声音だった。
 こうなる可能性もあるってのは、ある程度の予想はしていたけど。

「現場には沙都子ちゃんがいました」目を閉じ、口ごもるように思い口調で言う入江さん。

「それは、沙都子ちゃんが犯人という事ですか?」

「……状況的に考えると、ほぼ間違いないでしょう。発見された時、沙都子ちゃんの症状は末期の一歩手前まで進行していました」

 ……成程。しかしなにかが引っ掛かる、だが理由が分からないので無視しておく。

 さっきも考えた通り、ぼくが余分な事まで知ってしまっているせいだろう。
 多分……なのだろうけど。
 何ともここら辺の話が曖昧なんだよな。

「ふむ、なんだかな」

「? ……どうかしましたか?」

「ああ、いや、なんでもありません。たんなる独り言です……続けて貰えますか」

 入江さんは、「……それでは」と前置きを付け、再び語り出す。

「次は翌年の事件です。古手夫妻の事です……」

 梨花ちゃんの親御さんの事か。……そういや梨花ちゃんの事は全然知らないんだよな。
 あの家で、沙都子ちゃんと二人で暮らしているって事くらいか。
 垣間見せる達観しすぎた感じは、両親が亡くなった事と関係でもあるのだろうか。
 それにしたってあそこまではな……。
 ぼくだって褒められたような少年時代ではなかったけど、そこまで達していたわけじゃない。

「梨花ちゃんのお父さん、神主は病気でお亡くなりなってしまいました」

「それは機関の手で、とかじゃないんですよね?」

「ええ、診察した限りでは普通の病気でした。進行の具合があまりに早かったので、対処する暇もなくお亡くなりに。
そして、婦人はそれが原因で雛見沢症候群を発症しました。神主の死、それが機関の仕業だと思い込み、末期症状に……」

「それじゃあ婦人は研究材料になり、行方不明ということですか」

 ぼくの発した問いに、少しだけ言いづらそうに口を噤む。
 そうして、数秒後に、

「……そういう事になります。……それで、梨花ちゃんは一人になりました」

 目を伏せ、珈琲を一口啜りながら入江さんは淡々と言った。
 確かに――理由としては通る。
 死を間近に感じすぎて、それに対しての事全てが麻痺してしまったとかだろうか。

「では、次の年の事件――つまり去年の事件についてです」語るのを躊躇うかのように、少しだけ間を開けた。

「北条夫妻の義妹が祭の日に撲殺されました。そして数日後に薬物中毒の男が犯行を自供後、自殺。
当初、重要参考人として警察のマークを受けていた沙都子ちゃんの兄、北条悟史くんが行方不明になったのです。
そして、これは警察の見解であり事実ではありません」

 なるほど、これは薬物中毒者の犯行だな。などと納得できるはずもない。
 この村の事件には裏がありすぎる。これも機関がらみで隠蔽やらなんやらがされてたのだろう。
 北条悟史くん、ね。ぼくはその名前を口の中で反芻していた。

「その悟史くんは雛見沢症候群の患者だったんですか?」

「……いいえ、違います。彼だけは違います」

 入江さんは悩みながら答えた。そうしてたっぷりと間を置き、口を開いた。

「悟史くんは雛見沢症候群の患者ではありません。悟史くんはD・L・L・R症候群でした。いいえ、こう表現した方がいいでしょう、

 ――北条悟史くんは零崎でした。ある日、突然、零崎に成ってしまいました。

彼は叔母を殺害した後、僕のところに来て、沙都子を頼みます。そう告げて雛見沢から出ていってしまったのです」

 告げた言葉は、まるで予測できない展開だった。
 零崎。よりにもよって零崎とは……。どうやらぼくはつくづく零崎に縁があるらしい。
 そういやあの人、鷹野さんもぼくに色々聞きたがっていたが、これが原因だったのだろうか。
 本人としては隠しているようだったが、彼女の零崎に対する執着は尋常じゃなかったしな。
 なんかすげぇ踏みたくない話題だけど……一応聞いておこう。

「それにしても、鷹野さんがよく見逃しましたね。」

「まさか。……彼女が興味の対象を見逃す筈はありませんよ。悟史くんがいなくなり、彼女はすぐに捕獲の為に一隊を差し向けました。
ですが連絡が途絶え数日後に、県境で彼を追っていた自衛隊員四名の死体が発見されました」

「……悟史くんって一般人ですよね。それが自衛隊の人をって事でしょうか?」

「はい。状況から見てまず間違いないかと思います。小銃などの装備はしていませんでしたが、それなりの装備はしていたそうです。
ですが結果は先程言ったように全滅ですよ。
……それが零崎の殺意によるものなのかはわからないのですが、彼等は高校生一人に殺戮されました……」

 今まで普通の高校生だった人間が自衛隊員四人を殺害って……いったいどこの伝奇小説だよ。
 ぶっちゃけ荒唐無稽過ぎてにわかには信じられない話だが、入江さんの口調に冗談の要素は一切含まれていない。
 確かに零崎人識の殺意という物は、僕がいままで生きてきた中でも最上級の殺意といえるものだろう。
 ……けれど、それだけで殺人の技術が上昇するものなのだろうか?
 なんだかどうにも話の連結が甘い気がする。

「とにかく、悟史くんの行方は完全に分からなくなりました。これで今年までの事件は終わりです。
大体の事は説明できたと思いますが、何か分からなかった事があればどうぞ」

 ぼくは首を横に振る。それを見た入江さんは語り疲れたかのように目を伏せ、深く溜息を吐いた。
 その様子だけ見ると今までの若々しい印象が作られたものだったようにすら感じる。
 
「あんまり長く話したので少し疲れてしまいましたよ。メイドの事ならいくら話しても大丈夫なのですけどね」

 おどけるように言いながら、柔らかい笑みを作りぼくを見つめた。
 その微笑みは、何故だかとても悲しそうに見えた。
 そうして、その表情のままごく自然に次の話題を続けた。

「それでは、今年起きる予定の事件です」

 やはり――それか。
 ……さて、どう答えたものか。
 それがぼくの本来の役目であるとしても、ここで切りこんでいいものなのだろうか。
 入江さんだって分かっているんだろううけど……いや、それすら知らされていない可能性もある。
 刹那の逡巡――ぼくは問うた。

「それは……もう決まっているんですか?」

 ぼくの何も知らない振りをしての問い。
 それを知ってか知らずか入江さんは声を低めて言う。

「いっきー、僕はね……殺人事件ではなく、沙都子ちゃんを被害者とする鬼隠しを起こしたいと思っています」

 これは完全に予想外だ。
 ぼくにとっては先程の情報より、更に超展開といっても誇張ないほどに想定外だろう。
 茫然と口を開く。

「どういう、ことです?」

 入江さんは、まるですがるような目で、ぼくの視線と自分の視線を合わせる。

「非常に不躾なお願いで申し訳ありませんが……沙都子ちゃんをこの村から出す手伝いをしていただきたいのです。
そして、少しの間あなたに沙都子ちゃんを預かってもらいたいのです。もちろんそれについての費用は僕が払います」

「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてそんな……」

 ぼくの言葉を遮るように入江さんは、
「沙都子ちゃんはもう限界なのです」真剣な声でそう告げた。

その響きに圧力を感じるほど真摯な声で。

「いきなりこんな事を乞われて困惑するとは思います――ですがもうこれ以上の時間と機会はないのですよ」

 ……言いたい事はわかるけど。
 この時期で……いや、この時期だからって事だよな……
 でもそれを選択するってのはこの人は知っているのだろうか。
 知っていて、ぼくにその役目を押し付けるのだろうか。
 知っていて、ぼくにその罪を押し付けるのだろうか。
 それとも、知らずに踊らされているだけなのだろうか。

「鉄平が雛見沢に戻ってきた所為で、沙都子ちゃんの精神は限界に近づいています」

 言いながら、ぼくに向かってテーブルに額が着くほど深く頭を下げ、続く言葉を紡いだ。

「――助けて、あげたいんです」

「少し……考えさせてください」

 熱の籠った入江さんの声に、あくまで保留を望むぼくの声は冷たかった。


 ~~~~


 喫茶店を後にしたぼくはホテルに戻らず、その足で梨花ちゃんの家に行く為に雛見沢へと向かっていた。
 腕時計を見ると、時間は七時を超えている。結構長い時間話したもんだ。
 あれから話は何も進展しなかったけれど。
 結局のところ、この問題だって、与えるか。奪うか。大抵はそれで解決するんだろうけど、

 ぼくはそれを決めれるのだろうか。
 ぼくはそれを委ねる事が出来るのだろうか。
 ぼくはそれを受け入れる事が出来るのだろうか。

「どうしたもんかね……こういうのって人類最強の役目だろ。諦観と妥協を愛する戯言遣いに、この問題は少々荷が重いんじゃないんだろうかね」

 恨み言を呟きながら、うす暗い山道を歩いて行くと見覚えのある人影を見つけた。
 ファッションはノースリーブのベストにハーフパンツ。
 いたって平均的な夏の少年ファッション――平均的ってなんだろうとは考えないでおく。
 特に目を引いたのが、肩に担いだ金属のバット。
 野球のユニフォームでも着てれば違和感はないのだろうが、
 ケースに入れずにそのまま持っている光景は少々物騒だよな。
 ふと、視線を顔に移してみた。
 ……声をかけないでもいいかな、とも思ったが、無視すると面倒くさい事になりそうな気がするので一応声を掛けておくしかない。
 こっそりと溜息を付きながら、

「こんばんは、圭一くん。きみはこれから帰るのかな?」ぼくは圭一くんに声をかける。

「おう? なんだ、誰かと思ったらいーちゃんか。俺はさ……」少年臭い笑みをぼくに向けながら、数瞬悩み、口を開いた。

「ちょっくら沙都子の様子でも見に行こうかなと思ってさ」

「ふうん、そうなんだ」嘘ではないんだろうけど。

「それにしたって、バットをそのまま持ちながら道を歩くのは少しばかり物騒に見えるぜ」 

「レナなんて鉈を持ちながら道を往来してるぜ。それに比べたらバットなんて鞄と変わらないさ」

 鼻の下をこすりながら、都会じゃ逮捕されてるな、と小さく笑った。

「それで、だ。いーちゃんはどうしてこんなところにいるんだ?」

「ちょっと沙都子ちゃんの家に行こうと思ってね。それが終わったら梨花ちゃんの家に行くんだよ」

 反射的に答えてしまった。
 保留していた事柄をいとも簡単に決めてしまった自分に、少しだけ驚く。

「……どうして沙都子の家に行くんだ?」圭一くんは疑うような眼差しを僕に向け、問うてきた。

「ちょっと入江さんに頼まれてさ。……それに沙都子ちゃんをほっとくってのも気分が悪いしね」

 ぼくの適当な答えを聞いた圭一君は、吃驚したような表情を作り言う。

「へえ、そういうキャラクターだったのか。いーちゃんってさ……あれだ、ほら、何もかも興味がない。
誰に何が起ころうが、自分には関係ないみたいな奴だと思ってたよ」

「……失礼な事を言うね。それじゃまるでぼくが人でなしみたいじゃないか」冷静を装いながらぼくは言う。

「いや、悪い悪い。そういう意味じゃないんだ」

「まあ、いいけどね」それはそれで正解なのだろうし。

 圭一くんは肩に乗せていたバットを降ろし、ふう、と溜息を吐き。

「それじゃあ沙都子の様子を見るの、任せていいか? ……正直さ、現状で子供である俺が行っても、沙都子の為になる事なんて何も出来なそうだしな」力なく呟いた。

「そうでもないんじゃないかな。……ぼくにはその方法なんて分からないけど」

 分からないけど。
 圭一君がやろうとしていた、その方法を行使する理由が解からないけど。
 それに、他にも手段なんて転がってるんだろうけど。

「まあ、そうだろうな」

 ぼくの言葉をどれくらい理解しているのかは分からないけど、圭一くんは肩を竦めながら目を細めた。
 まあ、とりあえずめんどくさい事にはならないだろうかな。

「とにかくさ、ぼくが沙都子ちゃんの様子を見に行くよ。……ぼくに沙都子ちゃんを任せろ、とまでは言わないけどね。
圭一くんもさ、そんな人でも殺してしまいそうな表情でバットを持ちながら道を歩いていたら、警察の厄介になっちまうぜ」

 ぼくの言葉を聞いた圭一くんは、一瞬だけ目を丸くし、

「表情はともかく、バットは野球の道具だぜ。それに今は野球の帰りだしな」と笑いながら言った。

「そうなんだろうけどね」

「そういやさ、いーちゃんは祭まではここにいるんだよな?」

「うん。明後日まではいる予定だけど――それがどうかした?」

「いや、特に意味は無いんだけどな。部活の皆で一緒に行こうって約束したんだ。もし良かったらいーちゃんも一緒に回ろうぜ」

「考えとくよ」

「それじゃあ、俺は帰るよ。沙都子の件は大学生に任せたぜ」

 ぼくの短い答えに肩を竦ませながら、背を向け歩き出した。
 しばらくその背中を見ていると、やがて小さくなり、見えなくなった。
 そうして一つ嘆息をつきながら、ぼくは呟く。

「任されても困るんだけどな。結局、こういうやりとりも戯言なのだろうかね」

 自信なさげな決め台詞の後。ぼくは少しの間目を閉じ、開けた。
 さて、本当にどうしたものか……。
 この後の事を考えながら、ぼくは沙都子ちゃんの家へと向かうのであった。


 ~~~~


 圭一くんと別れた後、腕時計で時間を確認すると七時半を少し過ぎていた。
 畑に囲まれた道を歩いていると、遠くに木造の平屋が見えてきた。
 入江さんから聞いた話が間違っていなければ多分あの家だろう。
 しかしこの村広すぎるだろ。端から端までどれくらいあるのか考えたくないほどの広さだった。
 まあ、土地の大部分が山と畑なのでこれくらいなのは仕方ないのだろうが、
 普通に大災害とかが起こった場合どうすんだろうな。いや、だから人が下の街に移り住んだのか。
 などなどとつまらない事を考えていると。

「目的地についてしまったんですよね」

 家の前まで行くと、表札には北条と記されていた。
 このまま沙都子ちゃんを呼び出して良いものか悪いものか。
 未だにぼくはどうすればいいのか決めかねている。
 いや、ここに来てしまった段階でもう引っ込みもつかないしな。
そこら辺は後でいくらでも後悔できるだろう。
 冷静に考えなくとも、既に流されすぎな気がしないでもないが。
 どうやらこの村ではぼくの主体性は欠如してしまっているらしい。
 まあ、もともと存在しない物に思いを馳せても仕様がないわけだし。
 ……そういや夜分遅く女子中学生を呼び出す男子大学生ってのは……やはり怪しすぎるよな。
 更に呼び鈴を押さずに家の前をうろうろしてるってのも、怪しさレベルを上げるのに一役も二役もかっているわけでして。
 このままここをうろうろしてると駐在さんに逮捕されかねない。
 辺りには人っ子一人歩いてないけどな。

「しょうがない。やはりぼくが諦めるしかないんですよね」

 言い捨てながら、扉の横に慎ましく設置されている懐かしいタイプの呼び鈴を押した。
 なじみのある電子音ではなく、金属の打ち合う甲高い音が鳴る。
 少しだけ待つと、家の中で何かが動く気配がした。そして玄関の扉が少しだけ開けられ、

「どなたでございましょうか」と、怯えているような少女の声音が聞こえた。

「ぼくだけど。沙都子ちゃんだよね?」

 玄関の扉は開けられ、何故かバスタオルを巻いただけの沙都子ちゃんが出てきた。
 髪の毛も濡れていたのでお風呂上りだったのだろう。
 ……それにしたってそのまま出てくるのは年頃の少女としてはどうなのだろう?
 そりゃあ夏真っ盛りだし、暑いから服を着たくないってのは分かるのだけれど……。
 だが沙都子ちゃんはそんな事が常識だとでもいうような普通な対応をしてきた。

「あら、あなたでしたか。てっきりおじさんの友達かと思いましたわ」

 おじさんの友達って……。
 家族ならまだいいんだろうけど、親族以外の応対にその格好は不味いだろ……。
 一応やんわりと注意しておいたほうがいいだろう。
 いくら相手が子供とはいえ、そのおじさんの友達が近代国家で認められていない性癖だった場合危険だし。

「……あのね、ぼくとしても夜分遅く訪ねてきたのは悪いと思うし、さすがに人のハウスルールにとやかく言うつもりはないんだけどさ、やっぱり外に出るなら服くらい着てもいいんじゃなかろうか」

 ぼくの言葉を聞き、沙都子ちゃんはぼくに向けていた視線を自分の身体に写す。
 数瞬の間――後。

「ぎゃああああああっ!! そうでしたわっ!!」

 叫びと共に、玄関の戸は嵌められた曇り硝子の窓が砕けるのではなかろうか、というほどの速度で堅く閉ざされた。その前に気付けよ、おい。

「……少々お待ち頂きたいのでございまするが」

 硝子戸越しに聞こえる声は、少々キャラ付けを失敗した感のある、つつましやかな少女の声だった。

「……ぼくが訪ねてきたんだし、そりゃあ待つけどさ」

「それじゃ、少し待っててくださいましっ!」

 言い終えると同時に、玄関の中で少女の疾走が開始されたようで、木の床を踏みつける音が外まで響く。
 それにしても、おじさんの友達だったら問題ないのに、ぼくだったら駄目なのか?
 これは、もしかしてだけど……ぼくは沙都子ちゃんに変態と思われているのだろうか?
 そんな引かれるほどの変態的行為などしてはいないと思うんだけど……そんな事していないよね。
 いや、……もしかしたら忘れてしまっただけかもしれない。
 少しだけ考えてみても分からない。
 やはり思春期特有の何かなのだろうと無理矢理自分を納得させる事にしておく。
 崩子ちゃんや姫ちゃんとかもそうなのだけれど、こういう年頃の女の子って複雑なんだよな。
 よく分からない行動や言動をすることがあるし。
 そうこうしている内に十分ほど経ち、沙都子ちゃんは再び玄関に現れた。
 さすがに今回はバスタオル一枚ではなく、普通の服装だった。
 靴を履き、踵を軽く地面に打ち付けながら外に出てきた。

「それで、こんな時間にどうかしました? 私に何か用事でもありまして?」

 沙都子ちゃんは不安そうな口調で、ぼくの顔色を窺うように言う。

「用事というかなんというか……きみと話がしたくてね。そういや、おじさんは家にいるのかな?」

 少しばかり時間がかかりそうな話なので、もしも居るのなら
 『ちょっと沙都子ちゃんをお借りします』くらい事は言った方がいいだろうか。
 だがぼくのそんな心配をよそに、沙都子ちゃんは何ともいえない微妙な笑顔を作る。

「今は居ないですわよ。少し前にどこかへ出かけましたわ」

「ふうん、ならいいんだけどね。……それじゃあ、少しいいかな?」

 沙都子ちゃんは怪訝そうに「ええ、いいですわよ」と答え。

「それで……あの、そのお話は、私のことでしょうか」と、続けた。

「あー……まあ、そうっちゃそうなんだろうけどね」

「それは、私の事を……皆さんに色々と聞いたってことで宜しいのかしら?」

 沙都子ちゃんは感情を読ませないほど酷く曖昧な表情で薄く笑い、ぼくから視線を外した。
 まずったか……そりゃそうだよな。
 会って間もないよく知らない人間に、自分の事を色々と知られるってのは……嫌なものだよな。
 ぼくは頭の隅に発芽しかけた謝罪の言葉を飲み込む。

「うん……そういう事になるな。みんなね、きみの事を心配してたよ。
だからって勝手に、きみ都合も考えずに、きみの事を聞いてしまったのは、ぼくが悪いんだけどな」

「その言葉は正しすぎて、それ故に残酷でしょうね」

「だろうね」

 軽く見透かされた感じ。それを狙ったのだけれど。
 分かっていたことだが、嘘を飾らず卑怯に作られた言葉を見透かされるのはあまり気持ちの良いものじゃない。
 それが故にぼくは、なんて劣悪なのだろうな。そう無意味に実感する。今更なのだけど。
 本当に、今更なのだけれど。

「……別に誰かを責めてるって訳じゃありませんのよ」沙都子ちゃんは呆れたような声色を作り。
「それで、お話って何でしょうか? このままじゃ話が進みませんのよ」と、外していた視線を上げ、手の平を上向きに広げながら肩を竦めた。

「それじゃあ、本題に入らせてもらおうか……」

 この地点まで来ても、ぼくは迷っていた。この終点に到達してしまった状況まで来てしまっても、
 ぼくを見上げる沙都子ちゃんの目が、歪とも表現しえるほどに、真っ直ぐに見えてしまった。
 何も知らないように見える少女へ、続く言葉を告げる事を、ぼくは迷っている。
 だがぼくが言葉を発する前に、沙都子ちゃんはあっさりと、何でもない事のように、

「されてるのでしょうね――自分の保護下にある者に対し、長期間にわたって暴力をふるったり、世話をしない、
いやがらせや無視をするなどの行為を行うことを虐待と言うのなら、わたしは虐待されているのでしょうね」

 明るく振舞いながら、そう言った。その雰囲気に、ぼくは言葉を失う。
 沙都子ちゃんは立っているのが疲れたのか、庭先に置かれたぼろぼろの椅子に座り、ぼくを上目に見つめながら、

「まあ、立ち話もなんですので、どうぞ座ってください」もう一つの椅子に指をさし、寂しそうに、優しく笑った。
「申し訳ないのですけど……私ね、あまりこの家に居たくないんですよ。良い思い出もそれなりにあるんですけど……。
でも、そのほとんどが無くなってしまいましたけどね」

 それなりに。
 それなりに、としか言えないこの子に、ふいに自分を投影しそうになる。
 けれど……それは。
 ……流されそうになりながら、ぼくは言う。

「別に気にしないよ。元々家に上がらせてもらおうなんて思ってなかったしさ……」一度言葉を切り、舌を甘く噛んだ。
「この椅子の座りごこちだって、そんなに悪いもんじゃないさ」ぼくは嘆息しながら、続けた。
「……それにしてもさ、案外はっきりと言うんだね。きみは、そんな事実なんてありません、って言うと思っていたんだけどね」

 沙都子ちゃんは黙った。それから顎に指を当て少しだけ悩むふりをしながら、

「この村の人になら絶対に言わないですわ」と、自嘲気味に呟く。
「……やっぱり、あなたが外から来た人だからでしょうかね。だって、お祭りが終わったら京都に帰ってしまうのでしょう? それに……」

「それに?」

「ううん」言いながら首を横に数回振り、
「いえ、何でもありませんわよ。たんなる気まぐれみたいなものですわね」ぼくを見て悪戯っぽく微笑んだ。

「まあ、そういうのもあるのかもしれないね」ぼくは素直な感想を口にした。
「でもさ……こんな事を部外者であるぼくが言うのも嫌なんだけどね、誰かに頼ってみてもいいんじゃないのかな」

 答えの分かりきった問いをぼくは言う。部外者だからこそ、ぼくに言ったのに。

「こんなふうになっている私にも、矜持っていうのがあるんですのよ。……こういうキャラ付けでそう言うのも変ですけどね」

「キャラ付けを認めるんだ……」つらっと衝撃発言だった。

「こんな尋問みたいな状況だとぶっちゃけたくもなりますよ」

「尋問って……人聞きの悪い」
 ぼくの呟きを聞いた沙都子ちゃんは、にやりと悪い笑みを浮かべる。

「ところで尋問の『尋』という字にエとロが入っているからってエロ展開を期待しないでくださいね」

「……してない。まったく期待してないから上手い事言ったみたいな顔しないでくれ」

 ……畜生、ちょっと面白いじゃねえか。

「けっ、つまんねえ糞野郎ですわね。……まあいいです。さ、早くエロ問を続けましょう」

「酷い事を真顔で言うな、っていうか完全に消すな」

「ヨエロ寸問」

「話を戻すな、続けるな」

「ところでエロ寸っていうのは何となく想像できるんですが、ヨエロっていうのはいったい何なんでしょうね? 地名?」

「……知らねえよ、そんなもん」北海道辺りにそういう地名がありそうな気がしなくもない。いやない。
「というかまともにしてくれ、このままじゃ漢字の発案者が泣くぞ。いや、それよりも……」

「まあまあ、そんなことはどうでもいいんですよ」続くぼくの言葉を遮り、自分の手の平を拳で、ぽん、と打った。
「そうだ、折角なのであなたの運勢を占ってさしあげてもよろしくってよ」

「いらん。というか何故に占い?」

「えー、あなたの運勢は……でました! おめでとうございますあなたは大エロです!!」

「大吉みたいなノリで言った!? たしかにちょっと合ってるけど……いや、漢字が! ――まあいい、話を戻そう。
えっと、確か……沙都子ちゃんのおっぱいって子供のくせに少しだけ膨らんでるからけしからんよね、って話だったよね?」

「……全く戻していない、むしろ斜め上に飛躍しています。ついでに目を閉じてさっきのシーンを回想するな」

「じゃあどうしろってんだよ!」

「どういう逆切れですの!? というか何に対しての怒り?」

「ぼくの心はね、九十パーセントが悪への怒りで構成されているんだよ」言いながら、ぼくは空を見上げた。

「なんか意味の無さが格好良い気がしてきましたわ……そ、それじゃ残り十パーセントは……?」

「……ふっ、前向きに善処する心さ」

「その言葉があるだけで、怒りが実行される気がしないですね」

「なんなら遺憾の意を表明するのも厭わないんだよ、ぼくは」

 色々な意味で危険な表現だと言ったらまずそうだから、言わなかったということにしたりしなかったりしておきたいような気がしていたい。
かといってそういうわけでもなくそれを前向きに善処したりするようなことを検討するということはやぶさかでもありながらもかつ……馬鹿ですか?
 そんなぼくの思考を読んだのか、沙都子ちゃんは無言のままで鷹揚に頷いた。意味わかんねぇ。
 それから数瞬の沈黙。後に、

「あはは」

 と、沙都子ちゃんは愉しそうに笑った。
 年相応の子どものように、表情のどこにもしがらみの欠片も見当たらないくらいに、本当に愉しそうに笑いながら、
うんうんと一人で納得したように頷く。それから、ゆっくりと独り言のように呟いた。

「ああ、なるほど……なるほどな――そうだったんだ、こんなので良かったんだ。いや、こんなことで良かったんですね」

「……どうかしたの? いきなり笑いだしたり納得しだしたりして」ぼくは訊いた。

「いえいえ、なんでもないですのよ。ずうっと分からなかった事があったんですけどね。ふっと気付いてしまったんですよ。
それはそれはとても簡単な事でした……まったく、どうして忘れてしまっていたんでしょうかね?」

 しきりに頷きながらも、沙都子ちゃんは答えにならない答えを答え、問いにならない問いを問うてきた。

「えっと、つまり……なにか忘れていた事を思い出したって事でおっけい?」

「いえす。そういう事ですわね」沙都子ちゃんは無邪気に見える、可愛らしい笑みを浮かべ答え。
「あなたは、一番人間らしくない感情って何だと思いますか?」そう問うてきた。

 うーん、それにしても『人間らしくない感情』と来たか。
 ぼくとしても思い当たることがないわけでもない。しかし……どう答えたものか。

「そりゃ、たくさんあるんだろうけどさ――そういうのって『人』って奴の捉え方にもよるからね。
今現在の文化形態としては美点として考えられていない、あまり良くない動物的な感情。他にも悪意や害意……それと、殺意とか。
そういうのはあまり人間らしくないと言えるんじゃないのかな。少なくとも、理性で抑えられるような劣情っつうのは人間らしくないといえるんじゃないかな」

 逆説的に考えれば、これは酷く人間的な感情でもある。だがぼくはそれを無視しつつ、何度か突っかかりながらも、あくまで機械的に答えておく。
これにしたって、何となく話の雲行きが怪しくなりそうなので、何個か予防線を貼っておくってだけ。
ぼくの感情が動いたわけではなく、あくまで、ただの、反射としての対処。
 それにしても、なんとも……云い得て妙だよな。
 そもそも戯言遣いたるぼくにとって、言い得て妙というのも可笑しいのだけれど。
 そもそも欠陥製品たるぼくにとって、この質問に答えるられるというのも、おかしいのだけれど。

「なるほど。あなたにはそういう感情が人間らしくないと、そういうわけですのね……」

 ぼくは意識して頷き、肯定する振りをした。沙都子ちゃんはそんなぼくをじいっと見てから、目を伏せ口を開いた。

「私はですね。その『理性』という感情が一番『人間らしくない』感情だと思います」

 と――。
 それは本当に、唐突だった。
 注意していなければわからないレベルの、小さな変化。だが、圧倒的に変質していた。

「ふうん……そう、なんだ」

 唐突過ぎて、一瞬、呆気にとられそうになりながらも、身体が硬直してしまいそうになるのを堪えながらも、それを脇に置きぼくは曖昧にうなずく。
 
「ええ、そう思っていますのよ」

 云いながら。沙都子ちゃんは、薄い笑みを浮かべていた。
 他の誰でもなく、ぼくだけを見詰め、気配だけを変貌させながら。
 ぼくは沙都子ちゃんの表情から目を離せなかった。そこから感じられるのは、静謐な強さ。それと、狂気だった。

「あなたは、耐える事ってなんだと思いますか?」ぼくの返答を待たずに、沙都子ちゃんは薄笑いを浮かべながら続けた。
「たとえば、臭いと言われ熱いお湯に延々と浸からされ、のぼせても外に出れずに苦しくなって頭が回らなくなっても、理性があれば耐える事が出来ますよね?」

 なかば独白のような問いに、危険を感じながらも、ぼくは答えられない。
 意識だけでもなく空気中にすら、ある種の血なまぐささのようなものを感じさせながら、少女は呟くように言う。

「たとえば、理由も意味もなく、ただなんとなくというだけで殴られて、とても痛い思いをしたとしても。
自分の中に理性があるということを意識していれば、そんな行為は蚊に刺されたと同一に思えますよね。
毎日毎日理由すらなく虐められて、攻撃を受け続けました。殴られたり、笑われたり、無視されたり、
……他にも、たくさんたくさんあります。けれど言いたくありません。だから喋りたくありません。故に私は耐えていました。耐え抜きました。
死のうかと思いました。けれど、私は壊れているから、持っているから、そこには到達できませんでした」

 既に自己完結を経ている言葉に、ぼくの言葉は割り込めない。
 いや、そもそも答えられないのでなく、こういう物言いが

                               ――考えるな。

 本当に、嫌になる。ぼくが卑屈に過ぎて。
 いつのまにか、沙都子ちゃんを見る目をすりかえていたことに。
 ぼくがやろうとしていた事は、免罪符としての行為になっていたことに気付かなかった。
 いや、もしかしてすり替えられているのは沙都子ちゃんに対してではなく、ぼくがすり替えられている所為でなのかもしれない。
 ……きっと、たぶん、おそらく、あるいは、もしかしてではなくとも。
 彼女も、ぼくの事を他の誰かと重ね合わせているのでは、
 止めよう、悪い想像は。

「あなたは、どう、思いますか?」

「さあ、ね。そうなのかもしれないね。そんなこと……よりもさ――」

 答えるべき言葉をぼくは答えずに、話を逸らした。
というより、逸らしてしまわざるを得なかった、というべきなのだろう。
 曖昧を不条理で濁し矛盾を不合理で汚しきった矮小で卑屈で脆弱なぼくらしい。
まったく恐ろしいほど――笑えてしまうほどに。
 沙都子ちゃんは、ほんの少しだけ、躊躇するようにした。

「ちゃんと答えてくれないんですね。ほんの、ちょっとだけ期待したのにな……」

 呟いて、沙都子ちゃんは家から遠ざかるように、ゆっくりと歩き出した。まるでついてこいとでも言うかの如く、ぼくに一瞬視線を向け、外した。
数歩遅れてその後に続く。街灯の光が届かない場所まで来ると、兎のいない月の明かりがぼくたちを淡く照らした。

「……それは、期待に答えられず失礼。所詮そんな奴なんだよ、ぼくは。誰かの期待に答えた事なんてないしさ。
だいいち、ここに来たのだって別にきみを助けに来たり、慰める為に来たわけじゃない」

「知っていますわよ。私も誰かに助けてもらおうなんて思ってないですから」沙都子ちゃんははっきりと言った。
「助からないって知ってますから――なのに、あなたは、何を話そうというんですか?」

「その通りなのだろうね。……それでもさ、ぼくはきみに聞かなくてはならないことがあるんだ」

 沙都子ちゃんは聞きたくない、とでもいったふうにゆっくりと首を振りながら、その流れのまま口を開いた。

「……ともかくですね、この件に関しては誰かに頼ったりするのを避けたいんですよ。他は全部が全部駄目な私でも、
これだけは自分で何とかしたいんですのよ。いや、違いますね……私は立ち向かえない、けれど逃げもできない。逃げる場所もない。
子供だからという理由を免罪符にするでもなく、助けを呼ばない理由にすらならない。
そう、無くなった物を待ち望むだけの停滞――それこそが信念だからなのか。それともたんなる思い込みなだけで、
結局結局全部が無駄な事なのか。まあ、こんな事に意味なんてありません。何となくそうしているっていうだけなのでしょうね、たぶん。
……だから、もういいんですよ。私の事なんて、どうでもいいんですの」

 小さな唇を震わせ、そんな悲しいことをいう。

「でも、そんなんでいいのかい? このままじゃ……終わってしまうよ。それでは、終わりに近付いているだけだよ」 
 ぼくは口を開いた。
 あてずっぽうとまではいかないが、確証があるわけでもない。
 彼女がここに執着している意味を入江さんから聞いていたから、そう言えるのだろうか。
 いや、そんな理由じゃない。

「ええ」沙都子ちゃんは、再び笑顔を浮かべながら、何でもない事のように、
「知っていますわ」柔らかく微笑した。

「だったら……どうして」

「どうしてでしょうね……私にもわからないです」

 そろそろ、いいかげんに、決めなければならない。
 一体何をやっているんだろう、ぼくは……。本当の目的すらも曖昧に感じられる。
 この村の為なのか。梨花ちゃんの為なのか。それとも、目の前の少女の為なのか。
 なんとも……厄介な事になっている。
 けれど、このままの状態は、ぼくの流儀ではない。

「沙都子ちゃん」ぼくの呼びかけに、沙都子ちゃんは真っ直ぐに視線を合わせた。
「ぼくはね、きみを助けてあげるわけじゃない。ただ、闘争ではなく逃走を促しているだけ。
もしきみが手を伸ばして、ぼくに助けを乞うたとしても、ぼくはきっときみを助けないだろうし、見捨てるかもしれない。
そのうえで、ぼくは言おう」

 言葉を切って、ぼくは沙都子ちゃんの表情を見ないように目を閉じ――開けた。
 今更ながら、躊躇う。
 これからぼくが言う言葉が、彼女を壊してしまうのではないか。それともぼく自身が壊れてしまうのではないか。
 それでも、ぼくは云う。

「ぼくのところにおいでよ」



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コメント

  1. はるくま | URL | -

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