2010年06月02日 20:35
【ひぐらし】雛見沢にルルーシュを閉じ込めてみた【ギアス】
368 :雛見沢住人 ◆xAulOWU2Ek :2009/12/27(日) 23:15:15 ID:lFPQzlnB
【14】
Turn of Tokyo settlement ―― Shirley side
あの手紙を読んだせいで結局昨晩はあまり寝られなかった。
ベッドから上半身を起こす際、少しの倦怠感を覚える。
これが身体がまだ睡眠を欲しているからなのか、それとも手紙の内容にショックを受けて心が弱っているからなのかは当の本人であるあたし自身にも分からなかった。
「なんで……どうして……こんな…………」
再びベッドに横たわりながら問題の手紙を読み返す。
夜通しで数え切れないほど読んでいるそれの内容は、既に頭に入ってしまっていた。
ゼロの正体が、同じ学校に通うルルーシュ・ランペルージという少年であったこと。
ずっと昔に亡くなったと思っていた父の死が、つい最近起こった出来事であったこと。
そして、父を殺したのが他ならぬルルーシュだったこと……。
手紙の内容が真実である可能性は高い。
父について昨晩母に電話で訊ねたところ事実であることが判明したからだ。
けれどこの手紙の内容が真実で、本当に自分が記した物であると考えるなら、自分では気がつかない部分で記憶に齟齬が出ているということになる。
「っぅ……」
軽い吐き気に襲われ、慌てて洗面所に駆け込んだ。
この現場をミレイ会長に目撃されようものなら、妊娠してるの?
なんてからかわれるんだろうなと思いながら、鏡で自分の顔を覗き見る。
鏡の中のあたしは酷く陰鬱な表情でもってこちらを見据えていた。
一体……あたしは誰なんだろう。
ここにいるあたしという存在は何……?
手紙の文面から察するに、昔のあたしはルルーシュ・ランペルージという人間を少なからず知っているらしい。
だけど、あたしの記憶の中には彼の存在は少しも見られない。
もし人格が記憶や思い出によって構築されているのなら、そうであったのなら、今のあたしは皆の知るシャーリー・フェネットではないのだろうか……。
偽者の記憶、偽者の自分――――。
どうしてこうなってしまったのかのだろうか。あたしにはまったく検討がつかなかった。
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368 :雛見沢住人 ◆xAulOWU2Ek :2009/12/27(日) 23:15:15 ID:lFPQzlnB
【14】
Turn of Tokyo settlement ―― Shirley side
あの手紙を読んだせいで結局昨晩はあまり寝られなかった。
ベッドから上半身を起こす際、少しの倦怠感を覚える。
これが身体がまだ睡眠を欲しているからなのか、それとも手紙の内容にショックを受けて心が弱っているからなのかは当の本人であるあたし自身にも分からなかった。
「なんで……どうして……こんな…………」
再びベッドに横たわりながら問題の手紙を読み返す。
夜通しで数え切れないほど読んでいるそれの内容は、既に頭に入ってしまっていた。
ゼロの正体が、同じ学校に通うルルーシュ・ランペルージという少年であったこと。
ずっと昔に亡くなったと思っていた父の死が、つい最近起こった出来事であったこと。
そして、父を殺したのが他ならぬルルーシュだったこと……。
手紙の内容が真実である可能性は高い。
父について昨晩母に電話で訊ねたところ事実であることが判明したからだ。
けれどこの手紙の内容が真実で、本当に自分が記した物であると考えるなら、自分では気がつかない部分で記憶に齟齬が出ているということになる。
「っぅ……」
軽い吐き気に襲われ、慌てて洗面所に駆け込んだ。
この現場をミレイ会長に目撃されようものなら、妊娠してるの?
なんてからかわれるんだろうなと思いながら、鏡で自分の顔を覗き見る。
鏡の中のあたしは酷く陰鬱な表情でもってこちらを見据えていた。
一体……あたしは誰なんだろう。
ここにいるあたしという存在は何……?
手紙の文面から察するに、昔のあたしはルルーシュ・ランペルージという人間を少なからず知っているらしい。
だけど、あたしの記憶の中には彼の存在は少しも見られない。
もし人格が記憶や思い出によって構築されているのなら、そうであったのなら、今のあたしは皆の知るシャーリー・フェネットではないのだろうか……。
偽者の記憶、偽者の自分――――。
どうしてこうなってしまったのかのだろうか。あたしにはまったく検討がつかなかった。

…………嘘だ。
分からない振りをすれば忘れられるなんて甘い考えは捨てろ。
昨日あたしはゼロについて重大な事実を知ってしまったじゃないか。
そう、この手紙には続きがあったのだ。
ゼロは、催眠術のような不思議な力――ギアス――で人を操り支配する。
ならば記憶の改竄ぐらい容易なはず。
ルルーシュはゼロである自分の正体がばれたことをどこかで嗅ぎつけ、あたしに対して記憶の操作をおこなったに違いない。
なんという事だろう。彼は父を殺しただけに飽き足らず、残されたあたしの思い出すらも踏み躙ったのだ。
「……っ…………」
頭がずしりと重い。脳内で鐘が鳴り響くように頭痛が止まない。
ゼロ――ルルーシュ――父の死――……。
手紙の内容がぐるぐると頭の中で遠心分離にかけられ、嫌なワードだけが残滓として脳裏に濃縮沈殿する。
駄目、これはまずい……。自分の中で黒い感情が渦巻いてくるのが分かる。
……こういう時は笑おう。皆が知るシャーリー・フェネットは馬鹿みたいに元気だけがとりえの女の子だったはず。 だから、笑え。
「あはは」
けれどあたしの精一杯の作り笑いは、不自然なまでに歪んでいた……。
今朝はソフィとは顔を合わせないでおこう。今は色々と心配をかけてしまいそうだから。
あたしはまだ夢の中のソフィに声をかけずに寮部屋を出る。
まだいつもの時間より三十分も早いけど、ここにいるよりずっと良い。
問題の手紙をバッグの中に押し込んで、制服に着替えると足早に寮を後にした。
授業が始まるまで、まだ若干時間がある。
暇を持て余したあたしは教室にある花瓶の水を替えることにした。
化粧室のすぐ脇に設置されてた蛇口を捻ると、生ぬるい水の後に冷たい水が流れる。
花瓶を綺麗に洗い、新しい水を注いでいく。
それから、意識的に正面にある鏡は見ないようにして教室へ踵を返した。
もし再び鏡を覗き込んだら、また気持ちが不安定になるかもしれないから。
「あ……」
教室の扉を開けると、まだ早いというのに既に一人の男子生徒の姿があった。
あれは、遠目でもすぐに分かる。この学校に唯一在籍している日本人であり、生徒会メンバーの枢木スザク君だ。
あたしの存在に気がつくと、彼は笑顔で挨拶をしてくる。
「おはよう、シャーリー」
「お、はよう……スザク君」
「どうかしたの?」
呆然と教室で立ちつくすあたしを見て、スザク君は不思議そうに首を傾げる。
「あ、えと……。別になんでもないの、気にしないで」
あたしは首を横に振り、笑って言葉を返す。鏡で一度笑顔の練習をしたおかげか、今度は普通に笑えた気がする。
思い出したように足を動かし、教室に入る。
そのままスザク君から目を逸らし、花瓶を元あった場所へと戻した。
そういえば、ルルーシュって"スザク君の親友"だったっけ……。
ううん、それともスザク君が"ルルーシュの親友"だった?
花瓶の花を見栄えの良いように整えながら考えを巡らせる。
あたしは先にどちらと知り合ったのだろう。
スザクくんがこの学校に通い始めたのはつい最近だ。
となると時間を考えれば、あたしはルルーシュのほうと先に知り合った可能性が高いわけで。
あたしとスザク君は仲良し。生徒会でもよく話をしてる。
一方ルルーシュはあたしにとってただの知り合い。
生徒会にいたことすら気づけなかったぐらいにあたしとは面識がない人。
ところがスザク君はルルーシュを介しての友達……。
これってやっぱり変だと思う。
つまり、ルルーシュはあたしの記憶を改竄して、あたしとの関係までも抹消した……?
「ねぇ……スザク君。あたしとルルーシュってどんな関係に見える……?」
振り返ってスザク君を見やる。彼は自分の席で授業の予習をしていたようだ。顔を上げてこちらに視線を向けた。
「急にどうしたんだい?」
うっ、すごい怪訝そうな顔してる……。こういう時は笑って誤魔してしまうに限る。
「あ、その……。あはは……な、なんとなく、かな?」
果たしてこれで誤魔化せているのだろうか……。自分としては全然駄目、大根役者もいいとこだと思った。
けれど幸いスザク君は少しも気にすることなく、実に人懐っこい笑顔を惜しげもなく返してくれたので、あたしはホッと安堵のため息をついた。
ところが、すぐにそれは間違いであったことが分かる。
「シャーリー」
「な、何かな?」
一呼吸置いて、スザク君が真顔であたしの名を呼ぶ。
突然のことに驚き戸惑うが、安心しきっていたあたしは無防備に返事をしてしまった。
「すごく、お似合いだと思うよ」
「えっ、えっ……?」
それって、つまり……。スザク君の云わんとしている事は至極簡単に理解できた。
けれど、その言葉の意味合いに心が付いてこない。激しく動揺し、拙い言葉が口から零れる。
「お、お似合いって……」
「うん。君とルルーシュならベストカップルだ」
スザク君はあたしの戸惑いが照れから来ているものだと勘違いしたのだろうか。皮肉が一切見られない爽やかな笑顔で言葉を返してくる。
それを聞いて、あたしの全身からは血の気が急速に引いていった。
あたしと、ルルーシュが……?
そんなのって、ないよ……。
むしろ皮肉で言ってくれたほうが良かった。
だって、そうだったなら、あたしはきっと――――。
「勇気を出して告白してみるといいよ。そしたら、」
「止めて……っ!!」
気付けばスザク君に拒絶の言葉を吐き出していた。
手紙の文面からあたしは自分とルルーシュの関係に薄々気がついていた。
それでも気のせいだと気付かない振りをしていた。
なのに、だからこそ、他人の口からそんな言葉は聞きたくなかった。律儀に言って欲しくなかった。
だって、例えあたしがルルーシュのことを好きだったのだとしても、ゼロである彼が父を殺しているのは変わらない事実なのだから。
「シャーリー?」
スザク君は目を見開き、驚きの表情で固まっていた。
そんな彼の様子を見て取って、ようやくあたしは我に返る。
だが慌てて取り繕おうと口を開きかけ、結局何も言えないでいた。
スザク君があたしを見据え、真剣な表情で訊ねてきた。
「最近君とルルーシュが話している所を見ていないし、妙だと思っていたんだけど……ルルーシュと何かあったの?」
「ち、違うの、そうじゃないの」
あたしは首を横に振って精一杯に否定する。否定した後に、はたと気がつく。
目の前にいるスザクという少年は日本人といえどブリタニア軍人でゼロと敵対しているはずだ。
今彼にゼロの正体がルルーシュだと教えれば簡単に父の敵討ちができるのではないだろうか。
そうだ……告発してしまえば良い。
記憶を失う前のシャーリー・フェネットがルルーシュのことをどう想っていようと、今のあたしにはルルーシュに対しての恋愛感情はない。実質、このあたしには一切の関係がないのだから。
黒い感情が湧き上がり、口元に邪悪な笑みが浮かぶのが自分でも分かった。
捕まっちゃえ、ルルーシュ。
それから仮面の下の素顔を大衆に晒し、無様に処刑されちゃえばいい。
その引き金をあたしが引いてあげるから。
「……っ…………」
そう考えたところで唐突に胸が痛み出した。
「シャーリー! 大丈夫かい?!」
ふらつく身体をスザク君に支えられ、何とか呼吸を立て直す。
「う、うん……。大、丈夫……だから……」
スザク君に言葉を返す頃には、胸の痛みのほうはだいぶ落ち着いていた。
しかし今のは一体……。どうして急に?
まさか、ルルーシュを軍に売ろうとする行為をあたしが無意識に忌避しているとでもいうのだろうか。
例えばルルーシュによって完全に消されたはずの記憶が、知覚出来ないほどに僅かな断片としてあたしの中に残っており、ルルーシュを告発するのを嫌悪しているのかもしれない。
もし本当にそうだとしたなら、あたしは一体どうするべきなのか。
本当に好きだったかも怪しい人をあたしは庇うべきなのだろうか?
父の仇である男を?
そんなことはありえない。ありえない、でも……。…………。
「シャーリー、本当に大丈夫かい? 保健室に連れて行こうか?」
「え、あ、ううん、平気。そんな心配しないで」
「だけど、」
「ありがとう、でも本当に大丈夫だから。ところで休み時間は空いてるかな? 文化祭の仕事がどっさりあるからスザク君にも手伝ってもらいたんだけど」
「あ、ああ。僕でよければ構わないけど、それよりも、」
「ありがと、助かったよ! じゃ、あたしはもう行くから」
心配してくれるスザク君に飛びっきりの笑顔を投げかけると、授業の準備があるからと早々に話を打ち切る。
「ちょっと、シャーリー?」
それでも追いすがってくるスザク君だったが、けれどそこでタイミングよく予鈴が鳴って、彼は渋々自分の席に戻っていった。
それを横目で確認し、あたしも安心して自分の席に向かった。
ルルーシュ、あたし決めたよ。
貴方の正体はスザク君には内緒にする。勿論他の誰にも洩らさない。
だって、もし貴方が捕まったら困るもの。
――――貴方はあたしが殺すから――――
何事もなかったかのように自分の席に着くと、あたしは偽りの笑顔を霧散させた。
そしてテキストとノートを開いてペンを握ると、口元をきつく真横に結んで、空席となったかつてのルルーシュ・ランペルージの席を一瞥する。
あたしは以前のあたしなんて知らない。もはや関係もなければ興味すらもない。
だからルルーシュ、貴方はあたしが必ずこの手で。
Turn of Hinamizawa Village ―― Lelouch side
雀のさえずりが聞こえて目が覚める。昨晩は帰宅してすぐに就寝したおかげか、久しぶりに快眠ができたようだ。
起きる時間もいつもより遅い。
いつもなら登校時間ぎりぎりで慌てるところだが、本日は休校日となっているので心配は要らない。
なんでも今日は校長の海江田と担任の留美子が綿流しの祭の準備に借り出されているらしく、二人は祭りの準備に手一杯のため授業ができる状況にないのだそうだ。俺としては願ったり叶ったりだ。
ゆっくりと私服に着替えると洗面所で身支度を整え、それからナナリーの部屋に足を運んだ。
「ナナリー、起きているか? 入るぞ」
「あ、はい。お兄様どうぞ」
中に入ると咲世子がすでにナナリーの身の回りの世話を始めていた。
「なんだ、咲世子さんもいたのか」
「ルルーシュ様、おはようございます」
「お兄様、おはようございます」
「ああ、おはよう。ナナリー、風邪はもう大丈夫か?」
「ええ、おかげさまで」
「そうか、それは良かった」
昨晩は梨花と空恐ろしいテロについて話をしていたのに、今日はというと普段となんら代わらない朝の挨拶をナナリーたちと交わしている。
不思議な気分だな。昨日の出来事がまるで夢のようだ。
だが決して夢などではない。沙都子を助けた時に出来た刀傷が教えてくれる。
昨晩の話が夢だったと思いたい気持ちも僅かにあるが……認めなくては、現実を。
今この時を抗わなくては何も守れはしないのだから。
「……ナナリー。ちょっと出かけてくるよ」
「どこに行かれるのですか?」
不安そうにナナリーは訊ねてくる。
ここの所ばたついていて二人でゆっくり過ごす時間が取れないでいたし、おそらく寂しいのだろう。
気持ちは俺も同じだが、今の俺にはやらなくてはならないことが山ほどある。しばらくはお互い我慢だな。
「なに、雛見沢を色々と見て回ってくるだけだよ。遠くには行かないさ」
ナナリー、お前を残しては絶対にな。
お前の居場所は俺が守る。
咲世子にナナリーを任せ、俺は梨花の待つ入江診療所へと向かった。
診療所が近づくと、淡い緑色のワンピースを身に付けた少女の姿がぼんやりと目に入る。
少し距離をつめると、その少女が梨花であることが分かった。
彼女は目を瞑ったまま診療所の壁に寄りかかって俺を待っていた。
「待たせたな。おはよう、梨花」
「おはようルルーシュ……くぁ~」
欠伸をしながら徐に双眸を開く梨花のワンピースは肩紐が若干ずれている。
「おい、なんだか眠そうだな」
「ええ、ちょっとね。昨日はあんまり眠れなかったのよ」
「寝癖もついてるぞ」
梨花のとても前衛的なヘアースタイルを指摘すると、梨花はハッと髪の毛を両手で押さえた。
「う、うるさいわね、私って朝だけは駄目なのよ。ちょっと直してくるっ」
「そうだな、そうしたほうが良い。ふっ」
「……笑ったわね。あんた、後で覚えてなさいよ……」
「おや、それは怖いな」
逆なでするような言葉を返してやると、梨花は一度俺を睨みつけてから肩を怒らせて診療所の中に入っていった。
どうやら梨花は俺の冗談をあまり好ましく思っていないようだ。ま、当然というべきか。
俺と似て、無駄にプライドの高いやつのようだしな。
「というか、もうあれは猫かぶりってレベルじゃないな……」
今の梨花には以前の幼い少女の面影はそれこそ蚊ほどもない。
豹変という言葉がぴたりと当てはまるぐらいの変わりようで、もうこれは詐欺といっても決して過言ではないように思う。
だが、これがギアスで世界を繰り返すうちに精神だけが大人になった彼女本来の姿なのだろう。
……。
…………。
「……救ってやらないとな」
まだ間に合う、梨花のギアスが暴走していない今なら。
ギアスの暴走が始まってしまえば、現在のように能力の発動が死の間際に限定されるとは限らない。
下手をすれば常に能力を開放し続けることになり、その結果、刹那という時の牢檻へ永久に封じ込められてしまうかもしれない。
そうでなくとも、このままギアスを使用して世界を繰り返せば、待っているのは退屈と絶望による精神の死だけだ。だから、そうなる前に――――……。
「どうしたの、難しい顔して?」
「ほぁぁっ!? 梨花っ、いつからそこに!」
物思いにふけっている間に、気づけば梨花は身支度を整えて戻って来ていたようだ。
彼女は下から覗き込むようにして俺の真正面に立っていた。
「たった今戻ってきたところよ。それよりなぁに? 『ふぉうあっ?!』だって★」
俺の驚き様がおかしかったのか彼女は先程の仕返しとばかりに嘲ってくる。不愉快だ。
「うるさい、マセガキめ」
「あら、ごめんあそばせ。くすくす!」
チッと舌打ちをして俺はそっぽを向く。まったくもってやりにくいやつだ。
「ところで、何を"救ってやらないと"なの?」
ぐっ、やはり聞かれていたか。
梨花はニヤリと笑いながら、こちらの反応を楽しむかのように問い詰めてくる。分かっているくせに、この狸め。
悔しいので正直に答えるのはやめた。
「別に、大した意味はないさ。真犯人の足元を"すくってやらないと"と思っていただけだ。用意が済んだなら行くぞ」
心中を見透かされないようにそう真顔で言ってのけ、俺は一人歩き出す。
無論行くべき場所など俺には検討がつかなかったので、ただ闇雲な方角へとまっすぐ進むしかない。
俺としたことが無様この上ないな。
そんな折り、背後からの小さな声を捉えた。
「素直じゃないんだから」
梨花がクスリと笑って俺の隣にやって来る。俺は彼女の呟きにも似た言葉をあえて聞かなかったことにした。
入江診療所から向かった先は古手神社だった。
梨花曰く、この時間帯ならば神社の敷地内の何処かに富竹がいるとのことだった。
今年の祟りの犠牲者である富竹を救うのは、梨花の命を守るための必要不可欠なテーマとなっている。
残された時間は後僅か……今日中には事情を説明し納得させた上、彼の死の運命を回避しなければならない。
だがそこにたどり着く前に難所が一つあり、それを見上げて俺は一つため息をつくのだった。
果たして視線の先には、やたらと長い石段が嫌がらせのように上方へと伸びていた。
これを登るのか、しんどいな。脇にエスカレーターぐらい設置しておけと言いたくなる。
愚痴を零しながらも覚悟を決めて昇っていく俺。だが半分も上るともう息も絶え絶えとなっていた。
一方、梨花は慣れたものでひょいひょいと軽快なステップで先を行く。
彼女は最上段で後ろを振り返り、俺との距離を確かめてから呆れ顔で言った。
「相変わらず体力ないわねぇ。ルルーシュのもやしー」
「うるさい、お前はっ、少し、黙ってろっ……。くそっ、一体何段あるっていうんだ……」
「あともう少しだから頑張って。早くしないと富竹が別の場所に野鳥の撮影に出かけてしまうわ。そうなったら私には富竹の足取りを知る方法はないんだから」
梨花は石段に座り込み、俺を見下ろしながら言葉を付け加えた。
「二人で雛見沢中を探し回るのは骨よ。貴方も肉体労働は嫌でしょう? くすくす」
「分かっている……。分かっているが、しかし……」
こういうのは俺のジャンルじゃないんだよ……。
少しだけ息を整えてから気力だけで梨花の居る位置まで駆け上る。
それから階段を昇りきり、神社の境内に到達してからゼイゼイと見苦しく呼吸を整えた。
「はい、お疲れ様。じゃ、今度は富竹を探すわよ」
未だ肩で息をしている俺に対し、無情にも梨花は笑顔でそう言ってのける。この鬼畜狸め。
正直な話、しばらく休憩を挟んでから富竹の捜索を始めたかった。
しかしまた年下に軟弱もの呼ばわりされるのも癪に触るので、俺は諦観と共に深く頷いたのだった。
「……ああ、そうだな」
無駄にプライドが高い自分が憎い。
目的の人物は思いのほかあっさりと見つかった。発見場所は古手神社の奥にある祭具殿だ。
富竹はそこで中腰になり、祭具殿の扉の錠前をいじり回していた。彼の脇にはその様子を眺める鷹野の姿があった。
祭具殿に不法侵入でも企てているのだろうか。
「二人とも探しましたのです」
梨花が声をかけると、二人はびくりと身体を震わせ、反射的に振り返る。
「あら梨花ちゃん、こんにちは」
鷹野は内心の動揺を押し隠すように落ち着き払った様子で言葉を返す。なかなかの役者のようだ。
それに対して、富竹は帽子を深く被る仕草をして気まずそうに俯いてから口を開いた。
「梨花ちゃん……こんにちは。失礼だけど、そちらの彼は誰だい?」
「彼はルルーシュ・ランペルージ。僕の大切な仲間なのです」
「ほら、ジロウさん。前に、この村にブリタニア人の兄妹がいるって話をしたことがあったじゃない?」
梨花の紹介に鷹野が補足を加える。富竹はそれを聞いて表情を和らげた。
「ああ、君がルルーシュくんか。話は聞いているよ。なかなか聡明な子だってね」
「恐縮です。そういう貴方は富竹ジロウさんでよろしいですか?」
「僕の名前を知っているのかい? はは、最近越してきたばかりのはずの君に知られているなんて、僕も有名人になったものだね」
「有名は有名でも、富竹は毎年綿流しの季節になると雛見沢にやってくる全然売れないフリーのカメラマンとして有名なのです☆」
「あはは、きっついなあ」
猫かぶりモードの梨花の毒舌に富竹は頭を掻いて苦笑した。
そんな談笑の最中、鷹野がその流れを切るかのように言葉を吐いた。
「それで、梨花ちゃん? 私たちを探しているって言っていたわね。どんな用件なのかしら?」
俺と梨花は話を切り出す覚悟を決め、視線を合わせて頷いた。
まずは俺が代表して口を開いた。
「では単刀直入に言います。用件はこの村に蔓延する風土病、雛見沢症候群についてです」
その言葉を捉えるなり、富竹と鷹野は先日の入江と同じような表情を見せた。
それから富竹は不器用に惚け、鷹野は警戒心と敵意が入り混じった瞳でこちらを見据えてきた。
「な、なんのことだい?」
「惚けないで結構です、富竹さん。話は全て梨花から聞きました。ですから大体の事情は知っているつもりです」
「小此木!」
鷹野が吼えるように誰かの名を呼ぶ。すると鬱蒼と生い茂る木々の間から数人の男たちが飛び出してきた。
「お呼びですかい、三佐」
突如現れた男たちの一人、小此木と呼ばれたリーダー格の男が面倒そうに鷹野に訊ねる。
「ええ、呼んだわ。その少年を速やかに拘束しなさい」
「鷹野さんっ、山狗を出すなんて!」
「ジロウさんは黙ってて。小此木、早くなさい」
「はいはい了解です、っと」
小此木が声を発すると男たちは素早く俺を取り囲み、流れるような動きで俺の身体を組み敷いた。
「ま、待ってくださいなのです! ルルーシュはっ、」
「駄目よ、待てないわ。機密が外部の人間に漏れれば、それを何とかするのが私の仕事だもの。でもルールを守らなかった梨花ちゃんがいけないのよ」
「鷹野!」
梨花が鷹野の服を掴んで訴えるが、鷹野はそれを冷酷に突き放す。
梨花は双眸に涙を溜め、俺の傍らで尻餅をついた。俺はそんな梨花を安心させるために小声で呟いた。
「……心配するな梨花、これは想定内の事態だ」
「え?」
梨花がきょとんとするのが早いか俺は鷹野に言ってやる。
「鷹野さん、俺を殺して口封じでもするつもりですか?」
「そうね、残念ながらそうなるわ。だけど恨まないでね、ランペルージ君?」
「それは無理な相談ですが――本当にこのまま俺を殺していいのですか?」
「どういうこと、かしら?」
怪訝そうな表情を浮かべつつも鷹野が話に乗ってきた。よし、これで条件はクリアされたも同然だ。
内心ほくそ笑む。
「仮に俺が死ねば、俺が知る全ての雛見沢症候群に関する機密事項がネットを介して自動的にブリタニアの軍基幹コンピュータへとアップロードされる仕組みになっているんですよ」
「……馬鹿ね。ならば貴方を始末した後に貴方のおうちのパソコンを壊してしまえばいいだけの話、違うかしら」
「ふっ、ぬるいな」
「なんですって?」
俺が不敵そうに鼻を鳴らすと、鷹野は不快そうに眉をひそめた。
「無駄だと言っている。パソコンは東京租界のとある漫画喫茶のものを使用した。そこの数台に自作のスパイウェアを仕込み、24時間に一度、機密ファイルがブリタニア軍へ転送されるように仕向けてある。
アップロード開始3時間前に逐一俺のパソコンからパスワード認証及び声帯認証を行わない限りアップロードは防げない。
ステガノグラフィーを利用し、機密ファイルは一時的にシステムファイルに紛れているため、通常使用での判別は不能かつ削除も不可。
さらにスパイウェアは極めて無害故にネットワークを通して急速に感染拡大し、数日も経てば東京租界中に広まる手筈となっている」
「……貴方、何者……?」
鷹野が初めて狼狽の色を見せる一方、俺は落ち着き払った様子で微笑を浮かべた。
「別に、ただの学生ですよ」
「小此木、彼を立たせてやりなさい」
鷹野の命令に従い、男が俺を助け起こす。
俺は立ち上がると服をパタパタと叩いて汚れを落とした。土ぼこりが静かに舞う。
粗方汚れを落としてから鷹野を見据える。鷹野はそれを待っていたかのように訊ねてきた。
「何が目的なの?」
「別に脅迫するつもりはありませんよ。二人に梨花の話を聞いてもらいたいだけです」
「話ですって?」
「ええ、そのお願いを聞いてくれるならスパイウェアは直ちに無力化させましょう」
「そんな約束、信じられないわ」
「疑って結構です。こちらもスパイウェアを止めた後で貴方によって鬼隠しにされる可能性を疑っている。これは信頼とは程遠い打算による契約であり、両者が動けないようにする枷ですから」
そうだ、疑え鷹野。疑えば疑うほど思考の泥沼は貴様を最も愚かな選択へと引きずり込むだろう。
全てはブラフ――。そのようなプログラムなど初めから存在しない。
作成は可能ではあるが、それには相応の時間がかかるからだ。俺にはその時間がなかった。
つまりは陳腐な虚言とでもいうべきか。
ふっ……だがそうだとしても鷹野、貴様は易々と嘘を断定できるほど軽率な間抜けではないのだろう?
喜べ、その躊躇が俺にプログラムを作成する隙を与えるのだ。
「っ……」
舌打ちをする鷹野の脇で、今までずっと沈黙を守っていた富竹が声を発した。
「鷹野さん……僕らの負けだ。条件を飲もう」
「……でもジロウさん」
「ここは彼を信じるしかない。一時の感情で動いては駄目だ。契約に従おう」
「…………。……分かったわ」
富竹に説得されてようやく鷹野は折れた。
ここまでは計画通りであるが、仮に計画に沿わなくても俺にはギアスがあった。
鷹野が軽率な間抜けだったとしても何も問題はなかったわけだがな。
「……富竹、鷹野。では今から話しますので心して聞いて欲しいのです」
「待て、梨花。その前に――――」
梨花の肩に手を置いて制止の言葉をかける。
そして、俺は不自然にならないよう言葉に気をつけて絶対遵守のギアスを開放させた。
「お二人にとって、梨花の話は到底信じられないことかも分かりません。ですがそれでも、"梨花の言葉を全面的に信じてやってくれませんか?"」
――――。
――――――――。
………………。
「……ああ、構わないよ」
富竹の瞳がギアスにかかったとき独特の虚ろなものへと変わる。
「では頼む。梨花」
「はいですっ」
我慢の限界だったのか梨花が畳み掛けるように話し出す。
富竹と鷹野が綿流しの晩に殺されること。
その数日後、梨花自身が殺されること。
動機が滅菌作戦を引き起こして園崎家を殲滅することであり、黒幕はキョウト六家であること。
(勿論、実行犯として鷹野が怪しいという話はしていない。)
梨花がそれら全てを話終えると富竹は静かに口を開いた。
「なるほど、状況は分かった。滅菌作戦はキョウト六家全体の総意ではないはず、上に掛け合って番犬部隊の要請をしてみよう」
「ちょっとジロウさん! こんな子供の言うことを真に受けるの?!」
「ああ、これが事実であるなら由々しき事態だ。僕と鷹野さん、そして梨花ちゃんの警護には、番犬でも随一の実力を持つ精鋭中の精鋭を当たらせよう」
「たしかに……でも! それでも番犬はやりすぎだわ! 私たちには山狗がいるのに、一体どうしたというの?!」
酷く動揺して富竹の説得を試みるのは鷹野。
しかしながらその様子を見ても富竹は彼女の説得を一蹴に付した。
「鷹野さんは少し黙っていてくれ。僕は梨花ちゃんの言葉を信じているんだ、これは現実に起こりうる話だって。では梨花ちゃん、そういうことで構わないね?」
「はいなのです!」
鷹野を蚊帳の外にして話が纏まりかけたところで俺は徐に首を横に振った。
「いえ、鷹野さんの言うことももっともな話かもしれません。あまり大げさに動いてもらってもし実際に起こらなかった場合に申し訳ない」
「ルルーシュ、何を言っているのです?!」
予定にない展開に梨花が困惑して叫び声を上げる。それを無視して鷹野に視線を向けた。
「鷹野さん、山狗というのは俺を瞬時に拘束した彼らのことですね?」
「ええ、そうよ」
「ならば護衛として十分な戦力です。番犬部隊は必要ありません。梨花もそう思うだろう?」
納得のいかない表情を見せる梨花だったが、俺が目配せするとようやく首を縦に振った。
「え、ええ……。ルルーシュがそういうのならそれでいいのです……」
「ですってジロウさん? 番犬は必要ないそうよ?」
鷹野はそう言って安堵の表情を見せる。
「そうかい? 梨花ちゃんがそういうのなら大丈夫かな? では警護は山狗に任せることにするよ」
富竹には梨花の話を信じるようギアスがかけられている。
従って梨花の言い分が変われば、富竹の意見も柔軟に変移するのが道理だ。
「ではよろしくお願いします」
「了解、用件はそれだけかい?」
「はい。では綿流しの日はくれぐれも気をつけてください」
「分かった、十分に気をつける。では失礼するよ」
富竹と鷹野が踵を返し、静かに立ち去っていく。それに呼応するように山狗も林の中へとすっと溶けていった。
彼らの気配は今やほとんど感じない。
だが周りにはまだ山狗が残っているかもしれない。それを察してか、梨花は声を抑えて訊ねてきた。
「ルルーシュ、なんで番犬は必要ないなんて言ったのよ?」
「うろつかれると邪魔だからだ」
「邪魔? ……まあいいわ、あんたのことだから何か考えがあるんでしょうし、それに山狗の警護も鷹野に取り付けることができたしね」
「おめでたいやつだな。だからお前は逃れられない絶対の運命なんてものを簡単に信じるんだ」
「え?」
振り返って手を振る鷹野と富竹に笑顔で手を振り返しながら、俺は梨花にだけ届くように言った。
「鷹野は敵だ」
【15】
「ちょっと……鷹野が敵ってどういう意味よ?」
「分かりきったことを聞くな、お前を殺す犯人はアイツなんだよ」
唐突に鷹野が実行犯だと断定され、梨花は驚きを隠せないようだった。
この場できちんと説明をしてやりたいが、周りにはまだ山狗が潜んでいる可能性がある以上ここで全てを伝えるのは難しい。
「そういえば朝食がまだだったな。梨花、お前の家で何かいただくことにしよう」
「……もう、勝手に決めて。まあいいけど」
梨花の同意の元、彼女の住まう防災倉庫へと場所を移すことにした。
玄関口を開けると人の気配がない。当たり前か、ここでは梨花と沙都子が二人で生活していると聞いている。
沙都子は今、鉄平の件で入江診療所に入院しているわけだしな。
防災倉庫の二階に上がると、梨花はすぐに出来るからと言葉を残し、まっすぐ台所に向かって朝食の準備を始めた。
一方、俺はその合間に診療所と同じように盗聴機の有無を確認していた。
二人での食事を摂り終えると、梨花は堰を切るように問い質しにきた。
「それで、ルルーシュ。一体どういうわけなの? 何故鷹野が犯人だと分かったの? 番犬部隊が必要ないってどういう意味?」
「待て、順を追って説明してやる。それよりもこの家は客人にお茶も出さないのか?」
「……っ、梅昆布茶でいいかしら」
梨花はこめかみを引くつかせながら冷静を装って言う。俺はそれに対し少しばかり横柄な態度でこう返した。
「まあそれでいいだろう」
「まったく、図々しく朝食を催促したかと思えば失礼な客人だこと」
梨花は苛立ちながらも二人分のお茶を入れて戻ってくる。
湯のみをテーブルに置くと、再び先ほどの質問をしてきた。
「で、どういうわけなのかしら?」
「まず俺のギアス能力についてだが、お前は俺の力をどんなものだと思っている?」
「そうね……最初は異性を魅了するようなギアスかと思っていたけれど、同性の富竹に使っていたようだからどうやら違うみたい。でも対象に命令を強制させるという能力で間違いはないわよね?」
「ああ、俺のギアスは絶対遵守の力。どんな人間にも拒否不可能な命令を一度だけ下すことができる」
梅昆布茶とやらを一口啜る。む、不快ではないものの妙な味がするな。
「一度だけなの?」
俺が梅昆布茶の味に首を傾げていると梨花が不思議そうに聞き返してくる。
「ああ、俺の能力は対象一人に付き、たった一度きり。だが、それ以外にも俺の能力が効かないケースが存在する」
「それは?」
「一つ目は物理的に無理な命令を下した場合。二つ目は使う意味のない命令を下した場合だ」
「えっと。一つ目は分かるけど、二つ目は一体どういう場合かしら?」
「例えばそうだな……今、お前は右手に湯飲みを持っている。その状況下で"右手に湯飲みを持て”とギアスで命令を出した場合どうなると思う?」
「なるほど、それが意味のない命令ね? だけどその話がさっきの私の質問に何の関係があるのよ」
「関係大有りだ。実は先ほど富竹にギアスをかけた際、同時に鷹野にもギアスをかけた」
「なんですって? だって、」
「そうだ。にも関わらず鷹野はお前の話を信じていなかったように見えた。これをどう考える?」
「どうってそりゃ……鷹野にギアスを使うのが二度目って訳じゃなさそうだし? かといって物理的に無理って訳でもないだろうし、だとしたら残すは意味のない命令だったってことになるわね。でもそれってちょっとおかしくない?」
「何もおかしくはないさ、鷹野は心の底ではお前の話を信じていた。それもお前の話が現実に起こる事象だと断定できるレベルでな。それ故にギアスは無効化されたに過ぎない」
「えーっとつまり? 鷹野は私の話を信じてたけど信じていない振りをしていたってことになるわよね? あれ?」
首を捻る梨花。まあややこしい話だから当然の反応かもしれない。
埒が明かないので仕方なしに答えを教えてやることにした。
「そんな妙な態度を取ったのは鷹野が実行犯だからだ。信じるも何も自らの起こす犯行計画だ、知らないわけがないからな」
「なるほど! だから貴方は鷹野が犯人だと確定することが出来たのね、流石ルルーシュ――――って貴方、それが分かっていてなんで番犬部隊の派遣を断ったのよ?!」
得心がいって手をぽんと叩いたと思えば、梨花は手のひらを強く卓袱台に叩き付けた。
その衝撃で湯飲みの液面が大きく揺れる。
「お前の言い分はもっともだ。だがあのまま番犬部隊が警備に来てどうなる?」
俺はゆっくりと茶を啜りながら梨花に問う。すると彼女は興奮が収まらないまま俺の質問に答えた。
「どうなるですって?! ふざけないでっ、番犬がいれば鷹野は身動きが取れなくなって惨劇は回避される! 何も起こらないまま綿流しの祭が過ぎ去り、私は未来を掴むことができた!」
「では再び問おう、お前が望む未来とはどんなものだ。朝から晩まで警護という名の元に、監視をされ続ける不自由極まりない生活を送ることなのか」
「あ……」
どうやら彼女も俺の言わんとしていることが理解できたようだ。
梨花はようやく冷静さを取り戻し、短く声を漏らした。
「分かったな。番犬を利用して一時的な平穏を手に入れても何の解決にもならない。逃げずに戦わなければ、いずれまた命を狙われることになるんだよ」
「でも鷹野が犯人ってことは普通に考えて山狗も敵よね……?」
「お前の気持ちも分かる。だが立ち止まっても何も進展しない。まずは信頼できる人間を集めよう」
「……そうね」
梨花は重く頷き、それから梅昆布茶を一気に飲み干した。
現時点で信頼できうる人間はあまり多くはない。
ならば頼らざるを得ないな、俺たちの仲間を。
やはり一番の味方と考えられるのは魅音たち部活メンバーだろう。
戦力としては若干物足りないが、そのデメリットを上回る程の信頼がある。
逆に山狗は戦闘能力こそ申し分ないが、彼らは鷹野の手駒であり信用に欠ける。
山狗がシロで鷹野の単独犯という可能性もないわけではない。
が、だからと言って羊の番をわざわざ狼にやらせる愚を冒せるはずもない。
魅音とレナと沙都子の三人、そしてスザク――これだけでは駒が足りないように思う。
他には味方になってくれる人間はいないだろうか?
信頼という観点から見れば、今や俺のほうにはC.C.ぐらいしか思い当たらないが……。
「魅音たちに協力を求めるのは確定だとして、後もう少しだけ味方が欲しいところか?」
「そうね、入江なんかはどう?」
「いや、入江はよそう。確かに彼のおかげで貴重な情報を得られたのは事実だが、今回の件に関して言えば、正直あまり助けになりそうにない」
梨花の提案に俺はゆっくりと首を横に振った。
「それに入江は嘘や隠し事が苦手そうだ。下手をするとこちらの尻尾をつかまれる恐れもあるからな」
「入江が駄目なら他に誰か心当たりは?」
「そうだな――」
呟きながら視線を脇に流した丁度その時、梨花の家のアナログ電話がジリリと騒がしく鳴り出した。
「ちょっと待ってて」
梨花は一言断ると今時珍しいアナログの黒電話へと向かい、その無駄にサイズの大きい受話器を掴んだ。
相手は魅音やレナだろうか。であればこちらから連絡を取る手間が省けるのだが。
そんなことを考えていると、梨花がこちらに視線を送ってきた。
「ルルーシュ、あんたによ。咲世子さんから」
「咲世子から?」
一体何の用だろう? 怪訝に思いながらもずしりと重い受話器を受け取って返事をする。
「もしもし、ルルーシュです。どうしました?」
「ルルーシュ様? 大変です、ナナリー様が!」
「ナナリーが一体どうしたんですか?!」
問い詰めると咲世子は酷く取り乱した様子でナナリーがいなくなったことを告げた。
それを聞くなり身体中に戦慄が走る。
「少し目を離した隙にナナリー様の姿が見えなくなって、妙な手紙だけが残されていたんです! ああ、なんてこと!」
「落ち着いてください、咲世子さん。……その手紙にはなんと書かれていたんですか?」
咲世子がショックで声を震わせたまま手紙を読み上げる。
***
妹は預かった。
返して欲しければサクラダイト発掘現場のゴミ山に独りで来ること。
他言は無用。
***
「――差出人はマオを名乗っています……」
「マオ、だと……」
「ルルーシュ様、何か心当たりでも?」
「いや……ないですね」
内心の動揺をひた隠して否定の言葉を口にする。
馬鹿な……。マオは確かC.C.の放つ銃弾によって頭を打ち抜かれ絶命したはずだ。生きているわけがない。
だがしかし、ナナリーを攫う理由がある人物はアイツだけしか思い当たらない。
まさかやつもC.C.と同様に不死の身体を持ち、今も尚俺を嘲笑うかのように平然と生きているというのか?
いや、だとしたらC.C.が何かしら言うだろう……。それともC.C.に謀られた?
違う、それはありえない……。C.C.の言う願いをまだ俺は叶えていない。
この状態で裏切ったとしても得は何もないはずだ。
従って現時点では何者かがマオを騙っているとしか考えられない。だが一体誰が?
鷹野はマオを知らないだろう。つまりこの件に関してはシロ。
では俺とマオの関係を知り、俺がこの雛見沢に転校したことを聞いている人物は……?
「……そんなことはどうでもいい。今は……」
独りごちると、咲世子に対しこの件は自分に全て任せるように言い聞かせて受話器を置いた。
そして玄関に繋がる階段へと足を急がせる。
「ルルーシュ、何かあったの?」
ただことでない雰囲気を感じ取ったのか梨花が緊迫した面持ちで訊ねてくる。
……他言無用と言っていたが、梨花ぐらいにはいいだろう。幸い盗聴機等の有無は確認済みだ。
「ナナリーが攫われた」
「なんですって?!」
「だから、これから犯人の指示に従って行動する」
「私も行くわ!」
「お前は来なくていい。独りで来いという犯人からの要求だ」
「でも、」
渋る梨花を少し語気を荒くして諭す。
「馬鹿が、お前は他人の問題に構っているほど暇なのか? 違うだろ、お前はお前がすべきことをやれ」
「私がやること……?」
「朝のうちに電話でスザクを呼んでおいた、まもなく雛見沢に到着するだろう。スザクに全てを打ち明けて協力を求めろ。それから――」
魅音たちを呼んでスザクと同様に彼女らの協力も求めるよう梨花に促して、俺は足早に防災倉庫を後にした。
犯人の要求通りサクラダイト発掘現場に独りで赴く。
高く詰まれた幾つものゴミ山を乗り越えて、その影に隠れた平地へと降り立つ。
そこには案の定マオはいなかった。ただ少女が独りぽつりと俺を待っていた。
ゴミ山にて決してその場に似つかわしくない燈色の美髪を靡かせる彼女は、果たして俺のよく知る人物だった。
少女は俺にとってたぶん一番大切な友達であり、それ故に繋がりを絶ったはずの――――。
「シャー、リー……」
俺は思わずかつてのクラスメートの名前を呟いた。
一方、彼女はまっすぐと俺の目を見て徐に口を開いた。
「ルルーシュ、手紙の指示通りに一人きりで来てくれたのね」
「お前がナナリーを……。そうなのか、シャーリー……」
「うん、そうだよ」
そう答えるシャーリーの口元は綻んでいたが、目は僅かにも笑っていなかった。
「一体どうしてこんなことを」
「自分の胸に聞いて、ルルーシュ。いえ、ゼロ」
強い眼差しで俺をまっすぐと見据え、吐き捨てるようにシャーリーは言う。
「シャーリー……記憶が戻ったのか……?」
動揺する俺の質問にシャーリーは答えない。彼女は肩を竦ませるだけだった。
だがそれでも諦めることなく矢継ぎ早に言葉を紡ぎ出す。
「狙いは俺だろう、ナナリーは関係ない!」
「くすくす。関係、あるよ。だってナナちゃんは貴方の大切な妹だもの」
「ああ……認める。ナナリーは俺の大切な妹だ……。だから頼む、ナナリーを返してくれ!」
俺の悲痛な訴えにも関わらず、シャーリーは眉一つ動かさず冷たく残酷な言葉でもって俺の背筋を凍らせる。
「残念だけど、もう遅いわ」
「な、んだと……? それはどういう意味だ!」
「……貴方には私と同じ悲しみと憎悪を味わってもらう」
「お前……まさか…………」
そんな、ナナリーがもう既に――――されているなんて。
まさかそんな、そんな馬鹿なことがあってたまるのものか……。
言葉にならない絶望と恐怖がゆっくりと心を締め付ける。
俺は自分の読みを否定するように、一抹の希望を紡ぐように、無意識に首を横に振る。
だがしかし、シャーリーの無味簡素な声によって俺の希望は儚くも打ち砕かれたのだった。
「貴方はお父さんをナリタ山で生き埋めにした。だからそのお返し。貴方も……大切な人がいなくなる悲しみが少しは理解できたかな。ねぇ――――ルル?」
「シャアァァリィィィィィッッッ!!」
気づけば俺は眼前の仇の名を叫びながら、その首へと向かって二の腕を突き出していた。
俺の両の手がシャーリーの首へとかかり彼女は苦悶の声を上げる。
苦しいという気持ちが痺れるように徐々に腕を伝い昇ってくるのが分かる。
このまま後数十秒も締め付けていれば目の前の少女の命はあっけなく止まってしまうだろう。
それだけで俺はナナリーの仇を討てた。
そのはずなのに、俺は自然と彼女を開放していた。
シャーリーは肺に新鮮な空気を送り込みながら息も絶え絶えに言った。
「……どうして止めるの」
シャーリーにとってみればそれは当然の疑問。だが俺からしてみれば決してそうではなかった。
撃って良いのは撃たれる覚悟のあるやつだけ、俺は今までそう自分に言い聞かせて生きてきたからだ。
だから分かる。俺の怒りはシャーリーの怒りでもあったのだ。
俺が誰かの大切なものを奪えば、俺も大切な何かを失ってもそれは至極当然の帰結なわけで……。
「私はナナちゃんを殺したのにどうして? 私が憎くないの」
「…………」
憎くないかと問われれば憎い。
だが母親を殺した犯人を探し出して復讐をしようとしている俺がシャーリーに対して何を言えるだろうか。
何よりシャーリーは俺の大切な人だった。
大切なものを失ってそれで今度は自らの手で大切なものを壊してしまったら、俺は自分を許すことができなくなってしまうから。
だから俺はシャーリーを殺すことができなかった。
「分かった、自分で手を下すのが怖いんでしょう?! だから殺せないんだ!」
シャーリーは唇を震わせてそう言い、俺の服を強引に掴む。
それを振り払うこともせず、俺はされるがまま別のことに思いを馳せながら、ただ呆然と立ち尽くしていた。
どうして俺は未だこうして生きている?
最愛の妹がいなくなったその時点で、俺の生きる目的はとうになくなってしまったというのに。
ああ、そうか……分かった。俺の最後の役割が。
「シャーリー、お前を殺さない理由を教えてやろうか?」
「え?」
「フッ、それはな……お前が俺にとって取るに足らない存在だからだよ……ッ!
お前の言う通り、俺の正体は日本を解放に導く偉大な革命家ゼロ! だがそれに対しお前は支配されるだけの矮小無力な女に過ぎない! 従って、殺す価値などただの一遍もないのだよ!」
「……ルルーシュ、まさか貴方は……?」
シャーリーが俯き加減だった顔を上げる。それを見計らって、俺は高らかに嘲笑って言葉を続けた。
「くっくっく、覚えているかシャーリー? 父親が死んだ時お前は俺に泣きついたんだ。その泣きついた相手が父親を殺した張本人とも知らずにな!」
「やめて、ルルーシュ……やめてよ」
嫌々とばかりに頭を振るシャーリーを尻目に俺は平然と踵を返す。
彼女に対して無防備な背後を見せつける形で……。
「見ていて面白かったぞ。お前は俺を楽しませるための滑稽な道化だった。ありがとう、お前は本当にいい暇つぶしになったよ、あっはっはっは!」
「ルルーシュッッッ!」
シャーリーが俺の背中目がけて飛びかかってくるのが分かる。
そうだシャーリー、お前の憎い相手はここだ。殺せば楽になるというのなら殺せばいい。
そしたらすべて忘れて、俺が好きだったあの頃の君に――――。
Turn of Hinamizawa Village ―― Rika side
ナナリーは大丈夫だろうか。
私はルルーシュの親友スザクと電話で呼び出した仲間たちを待ちつつ物思いに耽っていた。
ルルーシュが防災倉庫を飛び出てもう十数分経つ。
やはり無理を言ってでも私も着いて行ったほうが良かったのではないか。何度もそんな不安にかられる。
だが私がいてどうなるものでもないとその都度思い直し、もはや頭の中はぐちゃぐちゃに煮込んだシチュー鍋のようになっていた。
思い悩んでいるうちにも時間が流れ、ついに玄関の呼び鈴が鳴った。
両頬をぴしゃりと自らの掌で打ち、頭を切り替える。
……ルルーシュの言う通りだ。今は自分のことだけを考えろ。
仲間たちに私の話を信じてもらい、この惨劇を終わらせる。ここが正念場なのだ。
皆は信じてくれるだろうか? よもや冗談半分で流されないだろうか……。
そんな弱気な考えを切り捨て、玄関を開ける。
玄関の扉を開けると、そこにはスザクが立っていた。
先に魅音たちが来てくれるとばかり思っていただけにぎょっとする。
「どうもこんにちわ……古手梨花ちゃんのお宅で、いいのかな?」
「はいです、貴方がスザクなのですか?」
「うん、そうだよ。よろしくね。君は梨花ちゃんで間違いないかい?」
スザクとはこの世界では初めてだが、以前の世界では何度か綿流しの当日に会ったことがある。
そういえば、彼に幾度か助けを求めたこともあったっけ。あれは苦い思い出だった。
スザクは真摯に私の話を聞いてくれたけれど、結局毎回鷹野の通常業務(機密保持)によって消されてしまっていた。
彼は強い力を持っているのは間違いない。だがそれに見合う経験が足りていなかった。
綿流しの当日から私が死ぬまでの僅かな期間では焦りたくなる気持ちも分かるが、彼はスピードを重視するあまりやりすぎた。情報収集の際、いつも引き際を誤って命を落としていたのである。
大変失礼な話だが、私にはそれが死にたがっているように思えたので、酷くやさぐれていた頃の私は陰で彼を死にたがりと呼んでいたことがあるぐらいだ。
勿論、本人には内緒なのだけれど。(余談だが、ルルーシュのほうは頭でっかちの無能呼ばわりしていた。)
そんなこともあって、以来スザクに話すのは控えていたのだけど……きっと今度こそは大丈夫だろう。
今回の味方は彼一人ではない。今までどうしても力になってくれたことのなかったルルーシュがいる。
ううん、彼だけじゃない。魅音やレナ、沙都子たちもいるのだ。
ふと、人は助け合って強くなれると誰かが言っていたのを思い出す。
以前の私はそれを戯れ事だと嘲っていたけれど……今回は、見誤らない。
悲劇なんて知るもんか、惨劇なんて知るもんか。
きっと今度こそ、悪魔たちの考えた脚本など打ち破り、私は私が納得いく決着を付けて見せよう。
「えっと……梨花ちゃん、だよね?」
「あっ……そうなのですよ。初めましてなのです、にぱー☆」
スザクと会話中だったことを思い出し、慌てて言葉を返す。
「早速だけど上がらせてもらっていいかな?」
「どうぞなのです」
スザクを防災倉庫の二階に招き、お茶の用意をする。
入ってすぐ彼も盗聴器の有無を確認しようとしていたが、ルルーシュが既に行っていることを伝えると安心して腰を下した。
「じゃあ……真相を聞かせてもらうよ、いいね?」
「はいなのです。けど、一緒に話を聞かせたい人たちがいるので、しばらくの間待っていてもらえますですか?」
「それは信用できる人たちかい?」
「僕の友達なので心配はいらないのです」
「そっか。そういうことなら待たせてもらうけど、一つ聞いていい?」
差し出したお茶を丁重に受け取ってスザクは訊ねてくる。
「なんなのです?」
「ルルーシュはいないのかい?」
「えっと、彼は……急用を思い出したとかで少し前に出て行ってしまったのです」
スザクにはナナリーが攫われた事実を伝えたほうが良かっただろうか。
少し考えて止めておくことにした。スザクには自分の話を聞いてもらわなくてはいけないのだ。
ルルーシュのほうへ向かわせるわけにはいかない。
そもそも今はどこにいるかも分からない状況だ。無駄足になる可能性が高い。
ここはルルーシュを信じるしかない。
「そっか。彼は元気かな? ほら、最近は電話で連絡を取り合うぐらいだからさ」
……ルルーシュは大丈夫だろうか。
大丈夫だ……大丈夫。ルルーシュなら上手くやってくれる……。
不安を誤魔化すかのように私はスザクへと冗談交じりに言葉を返した。
「もちろん元気なのですよ。この前なんかウェディングドレスで村を練り歩いたぐらいなのです、にぱー☆」
「あはは、どういう経緯でそうなったのか知らないけど、それはきついね」
スザクは苦笑してお茶を一口啜る。
それに倣い、私も湯呑みに口を付け、彼に雛見沢でのルルーシュの生活を教える。
部活やその罰ゲームでのこと。沙都子が叔父に連れて行かれた時助けてくれたこと。
そして今も真剣に私の話を聞き、共に行動してくれていること。
スザクが聞き上手なのもあってか、本当によく喋った気がする。
一しきり話終えた頃、丁度良いタイミングで玄関の呼び鈴が鳴って、私とスザクは顔を見合わせ頷き合った。
Turn of Hinamizawa Village ―― Lelouch side
背中にトスンと軽い衝撃。
痛みはないが刺されたのだ。そう思った。刺された時なんて案外こんなもんだろうと思っていた。
だけどそれは違っていて、すぐにそれがシャーリーの温かい抱擁だと分かった。
「シャー、リー……どういうつもりだ」
「やめて……もう、いいから……。もう、嘘はつかなくて、いいから……」
「嘘だと? この期に及んで信じられないのか。お前の父親は俺が殺したんだよ」
「そうかもしれない、でもルルーシュは……。ルルは泣いているから」
「泣いている? 俺が? いつどこで?」
「たった今だよ。悪人を演じながら、ルルは心の中で泣いているよ……」
「イカレてるとしか言いようがないな。確かにナナリーが死んだことは悲しいが、これでゼロとして動きやすくなった。別に泣くほどのことではない」
明らかな嘘だった。ただ最愛の妹がこの世にいないというだけで胸が張り裂けそうだった。
けれど、シャーリーのためにはこう言う他なかったのだ。それがせめてもの償いとなると思ったから。
「私もルルに嘘をついた……」
「何……?」
「ナナちゃんは生きてる」
「えっ?」
シャーリーの言葉が上手く飲み込めない。その癖妙な浮遊感が体を包む。
ナナリーが……生きて? それって……。
「殺してなんかない! 今もちゃんとナナちゃんは生きてる!」
「それは、それは本当なのか?!」
振り返ってシャーリーと対面する。その時初めて浮遊感の正体が喜びなんだと気づく。
「嘘をついて、ごめんなさい……」
目の前に現れたシャーリーの頬は涙で酷く濡れており、再び俯きながら彼女は俺に呟くように謝る。
「どうしてそんなことを……?」
「最初は殺そうと思ってた。だけどその時になって思ったの。“あたし“は何がしたいんだろうって」
そう言いつつシャーリーは涙を拭うと、それから俺の目をまっすぐと見据えた。
「ルルを殺そうと考えたこともあった。だけどそんなことをしたら何も罪のないナナちゃんが私と同じ目にあってしまう。
だからって貴方に私と同じ苦しみを与えるためにナナちゃんを殺すことはできなくて……ごめんなさい……」
「そうか……よかった……よかった……っ……」
気づけば俺の双眸からは涙が流れ出てきていた。
「ルル、私気づいたの。人を憎む気持ちを無くすのはとても難しいこと。けれど、だからこそ途中で誰かが止めないといけないんだって。
……貴方は憎悪に支配されても結局は私を殺さなかった。だから私は貴方を許そうと思う」
「シャーリー……」
「ルル、私は貴方を許すよ。例え世界が貴方を許さなくても私が貴方を許します」
「っ……ありがとう、シャーリー……ありが、とう……っ…………」
俺は恥も外聞もなく声を出して泣いた。
涙は止めどなく溢れ出て、まるで涙腺が壊れてしまったようだった。
それをシャーリーという少女は慈愛に満ちた微笑を浮かべながら背中を擦り、俺を快方してくれた。
自分もつらいはずなのに、彼女は憎い相手を許す強さを持っていた。
結局の所、彼女は憎しみの連鎖を断ち切ったのが俺というが、決してそうじゃなかった。
他でもない彼女だったのだ。
涙が止まらない。自分の不甲斐無さが身に沁みて嗚咽がどうしても抑えられない。
「済まなかった……済まなかった! それがあの時どうしても言えなくて!」
もしかしたら俺は、彼女の記憶を消したその時からずっと彼女の許しが欲しかったのかもしれない。
シャーリーの案内の元、ナナリーのいる場所へと向かうと、意外にもそこはゴミ山のすぐ近くだった。
サクラダイト発掘のために建てられた廃墟の中で、ナナリーは特に拘束されているというわけではなかった。
例え目が見えなくとも、逃げようと思えば易々と逃げられる。
そんな状況下でナナリーはいつもの車椅子に座り、まるで待ち合わせ場所で誰かを待っている風貌だった。
その様子を見て取り、本当にシャーリーはナナリーに危害を加える気がなかったんだなと今更ながらに思う。
ナナリーと二三、言葉を交わした後、共に廃墟から出る。
それからシャーリーと向かい合い、俺は彼女と別れの言葉を交わす。
「じゃあね、ルル」
「ああ、シャーリー……元気でな」
どちらからというわけでもなく、握手を交す。
「ルルこそ元気で……。そして、もう道を誤らないで」
「ああ、約束する……。俺はもう間違わない」
手段より追及すべきは結果。そう信じて今まで俺は歩み続けてきた。
けれどふと後ろを振り返ると、そこにはたくさんの屍が横たわっていて。
その命を無駄にしないためという大義名分を掲げ、さらに多くの命を犠牲にしてきた。
だが俺は今日、その果てに至る未来をシャーリーに気づかされた。
至るのは破滅。結果を追い求めすぎ、そのせいで大事なものを自ら壊してしまうというもの。
それはただの想像なのに酷く生々しい光景で、俺はその現実感に寒気を起こす。
「スザクが言っていた。間違った方法で得た結果に意味なんてない。今ならそれが分かる」
「うん……そうだね。それに気づけたルルならきっと……」
唐突にシャーリーが握手を交わすその手を手前に引いた。それにつられ、身体が前に引っ張られる。
シャーリーはバランスを崩しかけた俺の身体を抱き寄せるかのように支えた。
「さようなら、ルル。またいつか」
「ああ、またいつか」
シャーリーはすっと身を翻し、未だ抱擁の余韻も消えないうちにその場を後にする。
もう彼女は僅かにも振り返ることはしなかった。
彼女の後姿――風に靡いた燈色の髪が夕焼けに交じり見えなくなった頃、唐突にナナリーがくすりと微笑んだ。
「お兄様、良かったですね。シャーリーさんと仲直りできたみたいで」
ナナリーのその言葉が引き金となってまた少し涙腺が緩む。
少し間が空き、不思議がるナナリーに俺は微笑交じりに言葉を返した。
「ああ、そうだな……。本当に長い刻を彼女と仲違いしていた気がする。でも、だからこそ――――」
俺はもう二度と彼女を裏切る真似はしないと誓おう。
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分からない振りをすれば忘れられるなんて甘い考えは捨てろ。
昨日あたしはゼロについて重大な事実を知ってしまったじゃないか。
そう、この手紙には続きがあったのだ。
ゼロは、催眠術のような不思議な力――ギアス――で人を操り支配する。
ならば記憶の改竄ぐらい容易なはず。
ルルーシュはゼロである自分の正体がばれたことをどこかで嗅ぎつけ、あたしに対して記憶の操作をおこなったに違いない。
なんという事だろう。彼は父を殺しただけに飽き足らず、残されたあたしの思い出すらも踏み躙ったのだ。
「……っ…………」
頭がずしりと重い。脳内で鐘が鳴り響くように頭痛が止まない。
ゼロ――ルルーシュ――父の死――……。
手紙の内容がぐるぐると頭の中で遠心分離にかけられ、嫌なワードだけが残滓として脳裏に濃縮沈殿する。
駄目、これはまずい……。自分の中で黒い感情が渦巻いてくるのが分かる。
……こういう時は笑おう。皆が知るシャーリー・フェネットは馬鹿みたいに元気だけがとりえの女の子だったはず。 だから、笑え。
「あはは」
けれどあたしの精一杯の作り笑いは、不自然なまでに歪んでいた……。
今朝はソフィとは顔を合わせないでおこう。今は色々と心配をかけてしまいそうだから。
あたしはまだ夢の中のソフィに声をかけずに寮部屋を出る。
まだいつもの時間より三十分も早いけど、ここにいるよりずっと良い。
問題の手紙をバッグの中に押し込んで、制服に着替えると足早に寮を後にした。
授業が始まるまで、まだ若干時間がある。
暇を持て余したあたしは教室にある花瓶の水を替えることにした。
化粧室のすぐ脇に設置されてた蛇口を捻ると、生ぬるい水の後に冷たい水が流れる。
花瓶を綺麗に洗い、新しい水を注いでいく。
それから、意識的に正面にある鏡は見ないようにして教室へ踵を返した。
もし再び鏡を覗き込んだら、また気持ちが不安定になるかもしれないから。
「あ……」
教室の扉を開けると、まだ早いというのに既に一人の男子生徒の姿があった。
あれは、遠目でもすぐに分かる。この学校に唯一在籍している日本人であり、生徒会メンバーの枢木スザク君だ。
あたしの存在に気がつくと、彼は笑顔で挨拶をしてくる。
「おはよう、シャーリー」
「お、はよう……スザク君」
「どうかしたの?」
呆然と教室で立ちつくすあたしを見て、スザク君は不思議そうに首を傾げる。
「あ、えと……。別になんでもないの、気にしないで」
あたしは首を横に振り、笑って言葉を返す。鏡で一度笑顔の練習をしたおかげか、今度は普通に笑えた気がする。
思い出したように足を動かし、教室に入る。
そのままスザク君から目を逸らし、花瓶を元あった場所へと戻した。
そういえば、ルルーシュって"スザク君の親友"だったっけ……。
ううん、それともスザク君が"ルルーシュの親友"だった?
花瓶の花を見栄えの良いように整えながら考えを巡らせる。
あたしは先にどちらと知り合ったのだろう。
スザクくんがこの学校に通い始めたのはつい最近だ。
となると時間を考えれば、あたしはルルーシュのほうと先に知り合った可能性が高いわけで。
あたしとスザク君は仲良し。生徒会でもよく話をしてる。
一方ルルーシュはあたしにとってただの知り合い。
生徒会にいたことすら気づけなかったぐらいにあたしとは面識がない人。
ところがスザク君はルルーシュを介しての友達……。
これってやっぱり変だと思う。
つまり、ルルーシュはあたしの記憶を改竄して、あたしとの関係までも抹消した……?
「ねぇ……スザク君。あたしとルルーシュってどんな関係に見える……?」
振り返ってスザク君を見やる。彼は自分の席で授業の予習をしていたようだ。顔を上げてこちらに視線を向けた。
「急にどうしたんだい?」
うっ、すごい怪訝そうな顔してる……。こういう時は笑って誤魔してしまうに限る。
「あ、その……。あはは……な、なんとなく、かな?」
果たしてこれで誤魔化せているのだろうか……。自分としては全然駄目、大根役者もいいとこだと思った。
けれど幸いスザク君は少しも気にすることなく、実に人懐っこい笑顔を惜しげもなく返してくれたので、あたしはホッと安堵のため息をついた。
ところが、すぐにそれは間違いであったことが分かる。
「シャーリー」
「な、何かな?」
一呼吸置いて、スザク君が真顔であたしの名を呼ぶ。
突然のことに驚き戸惑うが、安心しきっていたあたしは無防備に返事をしてしまった。
「すごく、お似合いだと思うよ」
「えっ、えっ……?」
それって、つまり……。スザク君の云わんとしている事は至極簡単に理解できた。
けれど、その言葉の意味合いに心が付いてこない。激しく動揺し、拙い言葉が口から零れる。
「お、お似合いって……」
「うん。君とルルーシュならベストカップルだ」
スザク君はあたしの戸惑いが照れから来ているものだと勘違いしたのだろうか。皮肉が一切見られない爽やかな笑顔で言葉を返してくる。
それを聞いて、あたしの全身からは血の気が急速に引いていった。
あたしと、ルルーシュが……?
そんなのって、ないよ……。
むしろ皮肉で言ってくれたほうが良かった。
だって、そうだったなら、あたしはきっと――――。
「勇気を出して告白してみるといいよ。そしたら、」
「止めて……っ!!」
気付けばスザク君に拒絶の言葉を吐き出していた。
手紙の文面からあたしは自分とルルーシュの関係に薄々気がついていた。
それでも気のせいだと気付かない振りをしていた。
なのに、だからこそ、他人の口からそんな言葉は聞きたくなかった。律儀に言って欲しくなかった。
だって、例えあたしがルルーシュのことを好きだったのだとしても、ゼロである彼が父を殺しているのは変わらない事実なのだから。
「シャーリー?」
スザク君は目を見開き、驚きの表情で固まっていた。
そんな彼の様子を見て取って、ようやくあたしは我に返る。
だが慌てて取り繕おうと口を開きかけ、結局何も言えないでいた。
スザク君があたしを見据え、真剣な表情で訊ねてきた。
「最近君とルルーシュが話している所を見ていないし、妙だと思っていたんだけど……ルルーシュと何かあったの?」
「ち、違うの、そうじゃないの」
あたしは首を横に振って精一杯に否定する。否定した後に、はたと気がつく。
目の前にいるスザクという少年は日本人といえどブリタニア軍人でゼロと敵対しているはずだ。
今彼にゼロの正体がルルーシュだと教えれば簡単に父の敵討ちができるのではないだろうか。
そうだ……告発してしまえば良い。
記憶を失う前のシャーリー・フェネットがルルーシュのことをどう想っていようと、今のあたしにはルルーシュに対しての恋愛感情はない。実質、このあたしには一切の関係がないのだから。
黒い感情が湧き上がり、口元に邪悪な笑みが浮かぶのが自分でも分かった。
捕まっちゃえ、ルルーシュ。
それから仮面の下の素顔を大衆に晒し、無様に処刑されちゃえばいい。
その引き金をあたしが引いてあげるから。
「……っ…………」
そう考えたところで唐突に胸が痛み出した。
「シャーリー! 大丈夫かい?!」
ふらつく身体をスザク君に支えられ、何とか呼吸を立て直す。
「う、うん……。大、丈夫……だから……」
スザク君に言葉を返す頃には、胸の痛みのほうはだいぶ落ち着いていた。
しかし今のは一体……。どうして急に?
まさか、ルルーシュを軍に売ろうとする行為をあたしが無意識に忌避しているとでもいうのだろうか。
例えばルルーシュによって完全に消されたはずの記憶が、知覚出来ないほどに僅かな断片としてあたしの中に残っており、ルルーシュを告発するのを嫌悪しているのかもしれない。
もし本当にそうだとしたなら、あたしは一体どうするべきなのか。
本当に好きだったかも怪しい人をあたしは庇うべきなのだろうか?
父の仇である男を?
そんなことはありえない。ありえない、でも……。…………。
「シャーリー、本当に大丈夫かい? 保健室に連れて行こうか?」
「え、あ、ううん、平気。そんな心配しないで」
「だけど、」
「ありがとう、でも本当に大丈夫だから。ところで休み時間は空いてるかな? 文化祭の仕事がどっさりあるからスザク君にも手伝ってもらいたんだけど」
「あ、ああ。僕でよければ構わないけど、それよりも、」
「ありがと、助かったよ! じゃ、あたしはもう行くから」
心配してくれるスザク君に飛びっきりの笑顔を投げかけると、授業の準備があるからと早々に話を打ち切る。
「ちょっと、シャーリー?」
それでも追いすがってくるスザク君だったが、けれどそこでタイミングよく予鈴が鳴って、彼は渋々自分の席に戻っていった。
それを横目で確認し、あたしも安心して自分の席に向かった。
ルルーシュ、あたし決めたよ。
貴方の正体はスザク君には内緒にする。勿論他の誰にも洩らさない。
だって、もし貴方が捕まったら困るもの。
――――貴方はあたしが殺すから――――
何事もなかったかのように自分の席に着くと、あたしは偽りの笑顔を霧散させた。
そしてテキストとノートを開いてペンを握ると、口元をきつく真横に結んで、空席となったかつてのルルーシュ・ランペルージの席を一瞥する。
あたしは以前のあたしなんて知らない。もはや関係もなければ興味すらもない。
だからルルーシュ、貴方はあたしが必ずこの手で。
Turn of Hinamizawa Village ―― Lelouch side
雀のさえずりが聞こえて目が覚める。昨晩は帰宅してすぐに就寝したおかげか、久しぶりに快眠ができたようだ。
起きる時間もいつもより遅い。
いつもなら登校時間ぎりぎりで慌てるところだが、本日は休校日となっているので心配は要らない。
なんでも今日は校長の海江田と担任の留美子が綿流しの祭の準備に借り出されているらしく、二人は祭りの準備に手一杯のため授業ができる状況にないのだそうだ。俺としては願ったり叶ったりだ。
ゆっくりと私服に着替えると洗面所で身支度を整え、それからナナリーの部屋に足を運んだ。
「ナナリー、起きているか? 入るぞ」
「あ、はい。お兄様どうぞ」
中に入ると咲世子がすでにナナリーの身の回りの世話を始めていた。
「なんだ、咲世子さんもいたのか」
「ルルーシュ様、おはようございます」
「お兄様、おはようございます」
「ああ、おはよう。ナナリー、風邪はもう大丈夫か?」
「ええ、おかげさまで」
「そうか、それは良かった」
昨晩は梨花と空恐ろしいテロについて話をしていたのに、今日はというと普段となんら代わらない朝の挨拶をナナリーたちと交わしている。
不思議な気分だな。昨日の出来事がまるで夢のようだ。
だが決して夢などではない。沙都子を助けた時に出来た刀傷が教えてくれる。
昨晩の話が夢だったと思いたい気持ちも僅かにあるが……認めなくては、現実を。
今この時を抗わなくては何も守れはしないのだから。
「……ナナリー。ちょっと出かけてくるよ」
「どこに行かれるのですか?」
不安そうにナナリーは訊ねてくる。
ここの所ばたついていて二人でゆっくり過ごす時間が取れないでいたし、おそらく寂しいのだろう。
気持ちは俺も同じだが、今の俺にはやらなくてはならないことが山ほどある。しばらくはお互い我慢だな。
「なに、雛見沢を色々と見て回ってくるだけだよ。遠くには行かないさ」
ナナリー、お前を残しては絶対にな。
お前の居場所は俺が守る。
咲世子にナナリーを任せ、俺は梨花の待つ入江診療所へと向かった。
診療所が近づくと、淡い緑色のワンピースを身に付けた少女の姿がぼんやりと目に入る。
少し距離をつめると、その少女が梨花であることが分かった。
彼女は目を瞑ったまま診療所の壁に寄りかかって俺を待っていた。
「待たせたな。おはよう、梨花」
「おはようルルーシュ……くぁ~」
欠伸をしながら徐に双眸を開く梨花のワンピースは肩紐が若干ずれている。
「おい、なんだか眠そうだな」
「ええ、ちょっとね。昨日はあんまり眠れなかったのよ」
「寝癖もついてるぞ」
梨花のとても前衛的なヘアースタイルを指摘すると、梨花はハッと髪の毛を両手で押さえた。
「う、うるさいわね、私って朝だけは駄目なのよ。ちょっと直してくるっ」
「そうだな、そうしたほうが良い。ふっ」
「……笑ったわね。あんた、後で覚えてなさいよ……」
「おや、それは怖いな」
逆なでするような言葉を返してやると、梨花は一度俺を睨みつけてから肩を怒らせて診療所の中に入っていった。
どうやら梨花は俺の冗談をあまり好ましく思っていないようだ。ま、当然というべきか。
俺と似て、無駄にプライドの高いやつのようだしな。
「というか、もうあれは猫かぶりってレベルじゃないな……」
今の梨花には以前の幼い少女の面影はそれこそ蚊ほどもない。
豹変という言葉がぴたりと当てはまるぐらいの変わりようで、もうこれは詐欺といっても決して過言ではないように思う。
だが、これがギアスで世界を繰り返すうちに精神だけが大人になった彼女本来の姿なのだろう。
……。
…………。
「……救ってやらないとな」
まだ間に合う、梨花のギアスが暴走していない今なら。
ギアスの暴走が始まってしまえば、現在のように能力の発動が死の間際に限定されるとは限らない。
下手をすれば常に能力を開放し続けることになり、その結果、刹那という時の牢檻へ永久に封じ込められてしまうかもしれない。
そうでなくとも、このままギアスを使用して世界を繰り返せば、待っているのは退屈と絶望による精神の死だけだ。だから、そうなる前に――――……。
「どうしたの、難しい顔して?」
「ほぁぁっ!? 梨花っ、いつからそこに!」
物思いにふけっている間に、気づけば梨花は身支度を整えて戻って来ていたようだ。
彼女は下から覗き込むようにして俺の真正面に立っていた。
「たった今戻ってきたところよ。それよりなぁに? 『ふぉうあっ?!』だって★」
俺の驚き様がおかしかったのか彼女は先程の仕返しとばかりに嘲ってくる。不愉快だ。
「うるさい、マセガキめ」
「あら、ごめんあそばせ。くすくす!」
チッと舌打ちをして俺はそっぽを向く。まったくもってやりにくいやつだ。
「ところで、何を"救ってやらないと"なの?」
ぐっ、やはり聞かれていたか。
梨花はニヤリと笑いながら、こちらの反応を楽しむかのように問い詰めてくる。分かっているくせに、この狸め。
悔しいので正直に答えるのはやめた。
「別に、大した意味はないさ。真犯人の足元を"すくってやらないと"と思っていただけだ。用意が済んだなら行くぞ」
心中を見透かされないようにそう真顔で言ってのけ、俺は一人歩き出す。
無論行くべき場所など俺には検討がつかなかったので、ただ闇雲な方角へとまっすぐ進むしかない。
俺としたことが無様この上ないな。
そんな折り、背後からの小さな声を捉えた。
「素直じゃないんだから」
梨花がクスリと笑って俺の隣にやって来る。俺は彼女の呟きにも似た言葉をあえて聞かなかったことにした。
入江診療所から向かった先は古手神社だった。
梨花曰く、この時間帯ならば神社の敷地内の何処かに富竹がいるとのことだった。
今年の祟りの犠牲者である富竹を救うのは、梨花の命を守るための必要不可欠なテーマとなっている。
残された時間は後僅か……今日中には事情を説明し納得させた上、彼の死の運命を回避しなければならない。
だがそこにたどり着く前に難所が一つあり、それを見上げて俺は一つため息をつくのだった。
果たして視線の先には、やたらと長い石段が嫌がらせのように上方へと伸びていた。
これを登るのか、しんどいな。脇にエスカレーターぐらい設置しておけと言いたくなる。
愚痴を零しながらも覚悟を決めて昇っていく俺。だが半分も上るともう息も絶え絶えとなっていた。
一方、梨花は慣れたものでひょいひょいと軽快なステップで先を行く。
彼女は最上段で後ろを振り返り、俺との距離を確かめてから呆れ顔で言った。
「相変わらず体力ないわねぇ。ルルーシュのもやしー」
「うるさい、お前はっ、少し、黙ってろっ……。くそっ、一体何段あるっていうんだ……」
「あともう少しだから頑張って。早くしないと富竹が別の場所に野鳥の撮影に出かけてしまうわ。そうなったら私には富竹の足取りを知る方法はないんだから」
梨花は石段に座り込み、俺を見下ろしながら言葉を付け加えた。
「二人で雛見沢中を探し回るのは骨よ。貴方も肉体労働は嫌でしょう? くすくす」
「分かっている……。分かっているが、しかし……」
こういうのは俺のジャンルじゃないんだよ……。
少しだけ息を整えてから気力だけで梨花の居る位置まで駆け上る。
それから階段を昇りきり、神社の境内に到達してからゼイゼイと見苦しく呼吸を整えた。
「はい、お疲れ様。じゃ、今度は富竹を探すわよ」
未だ肩で息をしている俺に対し、無情にも梨花は笑顔でそう言ってのける。この鬼畜狸め。
正直な話、しばらく休憩を挟んでから富竹の捜索を始めたかった。
しかしまた年下に軟弱もの呼ばわりされるのも癪に触るので、俺は諦観と共に深く頷いたのだった。
「……ああ、そうだな」
無駄にプライドが高い自分が憎い。
目的の人物は思いのほかあっさりと見つかった。発見場所は古手神社の奥にある祭具殿だ。
富竹はそこで中腰になり、祭具殿の扉の錠前をいじり回していた。彼の脇にはその様子を眺める鷹野の姿があった。
祭具殿に不法侵入でも企てているのだろうか。
「二人とも探しましたのです」
梨花が声をかけると、二人はびくりと身体を震わせ、反射的に振り返る。
「あら梨花ちゃん、こんにちは」
鷹野は内心の動揺を押し隠すように落ち着き払った様子で言葉を返す。なかなかの役者のようだ。
それに対して、富竹は帽子を深く被る仕草をして気まずそうに俯いてから口を開いた。
「梨花ちゃん……こんにちは。失礼だけど、そちらの彼は誰だい?」
「彼はルルーシュ・ランペルージ。僕の大切な仲間なのです」
「ほら、ジロウさん。前に、この村にブリタニア人の兄妹がいるって話をしたことがあったじゃない?」
梨花の紹介に鷹野が補足を加える。富竹はそれを聞いて表情を和らげた。
「ああ、君がルルーシュくんか。話は聞いているよ。なかなか聡明な子だってね」
「恐縮です。そういう貴方は富竹ジロウさんでよろしいですか?」
「僕の名前を知っているのかい? はは、最近越してきたばかりのはずの君に知られているなんて、僕も有名人になったものだね」
「有名は有名でも、富竹は毎年綿流しの季節になると雛見沢にやってくる全然売れないフリーのカメラマンとして有名なのです☆」
「あはは、きっついなあ」
猫かぶりモードの梨花の毒舌に富竹は頭を掻いて苦笑した。
そんな談笑の最中、鷹野がその流れを切るかのように言葉を吐いた。
「それで、梨花ちゃん? 私たちを探しているって言っていたわね。どんな用件なのかしら?」
俺と梨花は話を切り出す覚悟を決め、視線を合わせて頷いた。
まずは俺が代表して口を開いた。
「では単刀直入に言います。用件はこの村に蔓延する風土病、雛見沢症候群についてです」
その言葉を捉えるなり、富竹と鷹野は先日の入江と同じような表情を見せた。
それから富竹は不器用に惚け、鷹野は警戒心と敵意が入り混じった瞳でこちらを見据えてきた。
「な、なんのことだい?」
「惚けないで結構です、富竹さん。話は全て梨花から聞きました。ですから大体の事情は知っているつもりです」
「小此木!」
鷹野が吼えるように誰かの名を呼ぶ。すると鬱蒼と生い茂る木々の間から数人の男たちが飛び出してきた。
「お呼びですかい、三佐」
突如現れた男たちの一人、小此木と呼ばれたリーダー格の男が面倒そうに鷹野に訊ねる。
「ええ、呼んだわ。その少年を速やかに拘束しなさい」
「鷹野さんっ、山狗を出すなんて!」
「ジロウさんは黙ってて。小此木、早くなさい」
「はいはい了解です、っと」
小此木が声を発すると男たちは素早く俺を取り囲み、流れるような動きで俺の身体を組み敷いた。
「ま、待ってくださいなのです! ルルーシュはっ、」
「駄目よ、待てないわ。機密が外部の人間に漏れれば、それを何とかするのが私の仕事だもの。でもルールを守らなかった梨花ちゃんがいけないのよ」
「鷹野!」
梨花が鷹野の服を掴んで訴えるが、鷹野はそれを冷酷に突き放す。
梨花は双眸に涙を溜め、俺の傍らで尻餅をついた。俺はそんな梨花を安心させるために小声で呟いた。
「……心配するな梨花、これは想定内の事態だ」
「え?」
梨花がきょとんとするのが早いか俺は鷹野に言ってやる。
「鷹野さん、俺を殺して口封じでもするつもりですか?」
「そうね、残念ながらそうなるわ。だけど恨まないでね、ランペルージ君?」
「それは無理な相談ですが――本当にこのまま俺を殺していいのですか?」
「どういうこと、かしら?」
怪訝そうな表情を浮かべつつも鷹野が話に乗ってきた。よし、これで条件はクリアされたも同然だ。
内心ほくそ笑む。
「仮に俺が死ねば、俺が知る全ての雛見沢症候群に関する機密事項がネットを介して自動的にブリタニアの軍基幹コンピュータへとアップロードされる仕組みになっているんですよ」
「……馬鹿ね。ならば貴方を始末した後に貴方のおうちのパソコンを壊してしまえばいいだけの話、違うかしら」
「ふっ、ぬるいな」
「なんですって?」
俺が不敵そうに鼻を鳴らすと、鷹野は不快そうに眉をひそめた。
「無駄だと言っている。パソコンは東京租界のとある漫画喫茶のものを使用した。そこの数台に自作のスパイウェアを仕込み、24時間に一度、機密ファイルがブリタニア軍へ転送されるように仕向けてある。
アップロード開始3時間前に逐一俺のパソコンからパスワード認証及び声帯認証を行わない限りアップロードは防げない。
ステガノグラフィーを利用し、機密ファイルは一時的にシステムファイルに紛れているため、通常使用での判別は不能かつ削除も不可。
さらにスパイウェアは極めて無害故にネットワークを通して急速に感染拡大し、数日も経てば東京租界中に広まる手筈となっている」
「……貴方、何者……?」
鷹野が初めて狼狽の色を見せる一方、俺は落ち着き払った様子で微笑を浮かべた。
「別に、ただの学生ですよ」
「小此木、彼を立たせてやりなさい」
鷹野の命令に従い、男が俺を助け起こす。
俺は立ち上がると服をパタパタと叩いて汚れを落とした。土ぼこりが静かに舞う。
粗方汚れを落としてから鷹野を見据える。鷹野はそれを待っていたかのように訊ねてきた。
「何が目的なの?」
「別に脅迫するつもりはありませんよ。二人に梨花の話を聞いてもらいたいだけです」
「話ですって?」
「ええ、そのお願いを聞いてくれるならスパイウェアは直ちに無力化させましょう」
「そんな約束、信じられないわ」
「疑って結構です。こちらもスパイウェアを止めた後で貴方によって鬼隠しにされる可能性を疑っている。これは信頼とは程遠い打算による契約であり、両者が動けないようにする枷ですから」
そうだ、疑え鷹野。疑えば疑うほど思考の泥沼は貴様を最も愚かな選択へと引きずり込むだろう。
全てはブラフ――。そのようなプログラムなど初めから存在しない。
作成は可能ではあるが、それには相応の時間がかかるからだ。俺にはその時間がなかった。
つまりは陳腐な虚言とでもいうべきか。
ふっ……だがそうだとしても鷹野、貴様は易々と嘘を断定できるほど軽率な間抜けではないのだろう?
喜べ、その躊躇が俺にプログラムを作成する隙を与えるのだ。
「っ……」
舌打ちをする鷹野の脇で、今までずっと沈黙を守っていた富竹が声を発した。
「鷹野さん……僕らの負けだ。条件を飲もう」
「……でもジロウさん」
「ここは彼を信じるしかない。一時の感情で動いては駄目だ。契約に従おう」
「…………。……分かったわ」
富竹に説得されてようやく鷹野は折れた。
ここまでは計画通りであるが、仮に計画に沿わなくても俺にはギアスがあった。
鷹野が軽率な間抜けだったとしても何も問題はなかったわけだがな。
「……富竹、鷹野。では今から話しますので心して聞いて欲しいのです」
「待て、梨花。その前に――――」
梨花の肩に手を置いて制止の言葉をかける。
そして、俺は不自然にならないよう言葉に気をつけて絶対遵守のギアスを開放させた。
「お二人にとって、梨花の話は到底信じられないことかも分かりません。ですがそれでも、"梨花の言葉を全面的に信じてやってくれませんか?"」
――――。
――――――――。
………………。
「……ああ、構わないよ」
富竹の瞳がギアスにかかったとき独特の虚ろなものへと変わる。
「では頼む。梨花」
「はいですっ」
我慢の限界だったのか梨花が畳み掛けるように話し出す。
富竹と鷹野が綿流しの晩に殺されること。
その数日後、梨花自身が殺されること。
動機が滅菌作戦を引き起こして園崎家を殲滅することであり、黒幕はキョウト六家であること。
(勿論、実行犯として鷹野が怪しいという話はしていない。)
梨花がそれら全てを話終えると富竹は静かに口を開いた。
「なるほど、状況は分かった。滅菌作戦はキョウト六家全体の総意ではないはず、上に掛け合って番犬部隊の要請をしてみよう」
「ちょっとジロウさん! こんな子供の言うことを真に受けるの?!」
「ああ、これが事実であるなら由々しき事態だ。僕と鷹野さん、そして梨花ちゃんの警護には、番犬でも随一の実力を持つ精鋭中の精鋭を当たらせよう」
「たしかに……でも! それでも番犬はやりすぎだわ! 私たちには山狗がいるのに、一体どうしたというの?!」
酷く動揺して富竹の説得を試みるのは鷹野。
しかしながらその様子を見ても富竹は彼女の説得を一蹴に付した。
「鷹野さんは少し黙っていてくれ。僕は梨花ちゃんの言葉を信じているんだ、これは現実に起こりうる話だって。では梨花ちゃん、そういうことで構わないね?」
「はいなのです!」
鷹野を蚊帳の外にして話が纏まりかけたところで俺は徐に首を横に振った。
「いえ、鷹野さんの言うことももっともな話かもしれません。あまり大げさに動いてもらってもし実際に起こらなかった場合に申し訳ない」
「ルルーシュ、何を言っているのです?!」
予定にない展開に梨花が困惑して叫び声を上げる。それを無視して鷹野に視線を向けた。
「鷹野さん、山狗というのは俺を瞬時に拘束した彼らのことですね?」
「ええ、そうよ」
「ならば護衛として十分な戦力です。番犬部隊は必要ありません。梨花もそう思うだろう?」
納得のいかない表情を見せる梨花だったが、俺が目配せするとようやく首を縦に振った。
「え、ええ……。ルルーシュがそういうのならそれでいいのです……」
「ですってジロウさん? 番犬は必要ないそうよ?」
鷹野はそう言って安堵の表情を見せる。
「そうかい? 梨花ちゃんがそういうのなら大丈夫かな? では警護は山狗に任せることにするよ」
富竹には梨花の話を信じるようギアスがかけられている。
従って梨花の言い分が変われば、富竹の意見も柔軟に変移するのが道理だ。
「ではよろしくお願いします」
「了解、用件はそれだけかい?」
「はい。では綿流しの日はくれぐれも気をつけてください」
「分かった、十分に気をつける。では失礼するよ」
富竹と鷹野が踵を返し、静かに立ち去っていく。それに呼応するように山狗も林の中へとすっと溶けていった。
彼らの気配は今やほとんど感じない。
だが周りにはまだ山狗が残っているかもしれない。それを察してか、梨花は声を抑えて訊ねてきた。
「ルルーシュ、なんで番犬は必要ないなんて言ったのよ?」
「うろつかれると邪魔だからだ」
「邪魔? ……まあいいわ、あんたのことだから何か考えがあるんでしょうし、それに山狗の警護も鷹野に取り付けることができたしね」
「おめでたいやつだな。だからお前は逃れられない絶対の運命なんてものを簡単に信じるんだ」
「え?」
振り返って手を振る鷹野と富竹に笑顔で手を振り返しながら、俺は梨花にだけ届くように言った。
「鷹野は敵だ」
【15】
「ちょっと……鷹野が敵ってどういう意味よ?」
「分かりきったことを聞くな、お前を殺す犯人はアイツなんだよ」
唐突に鷹野が実行犯だと断定され、梨花は驚きを隠せないようだった。
この場できちんと説明をしてやりたいが、周りにはまだ山狗が潜んでいる可能性がある以上ここで全てを伝えるのは難しい。
「そういえば朝食がまだだったな。梨花、お前の家で何かいただくことにしよう」
「……もう、勝手に決めて。まあいいけど」
梨花の同意の元、彼女の住まう防災倉庫へと場所を移すことにした。
玄関口を開けると人の気配がない。当たり前か、ここでは梨花と沙都子が二人で生活していると聞いている。
沙都子は今、鉄平の件で入江診療所に入院しているわけだしな。
防災倉庫の二階に上がると、梨花はすぐに出来るからと言葉を残し、まっすぐ台所に向かって朝食の準備を始めた。
一方、俺はその合間に診療所と同じように盗聴機の有無を確認していた。
二人での食事を摂り終えると、梨花は堰を切るように問い質しにきた。
「それで、ルルーシュ。一体どういうわけなの? 何故鷹野が犯人だと分かったの? 番犬部隊が必要ないってどういう意味?」
「待て、順を追って説明してやる。それよりもこの家は客人にお茶も出さないのか?」
「……っ、梅昆布茶でいいかしら」
梨花はこめかみを引くつかせながら冷静を装って言う。俺はそれに対し少しばかり横柄な態度でこう返した。
「まあそれでいいだろう」
「まったく、図々しく朝食を催促したかと思えば失礼な客人だこと」
梨花は苛立ちながらも二人分のお茶を入れて戻ってくる。
湯のみをテーブルに置くと、再び先ほどの質問をしてきた。
「で、どういうわけなのかしら?」
「まず俺のギアス能力についてだが、お前は俺の力をどんなものだと思っている?」
「そうね……最初は異性を魅了するようなギアスかと思っていたけれど、同性の富竹に使っていたようだからどうやら違うみたい。でも対象に命令を強制させるという能力で間違いはないわよね?」
「ああ、俺のギアスは絶対遵守の力。どんな人間にも拒否不可能な命令を一度だけ下すことができる」
梅昆布茶とやらを一口啜る。む、不快ではないものの妙な味がするな。
「一度だけなの?」
俺が梅昆布茶の味に首を傾げていると梨花が不思議そうに聞き返してくる。
「ああ、俺の能力は対象一人に付き、たった一度きり。だが、それ以外にも俺の能力が効かないケースが存在する」
「それは?」
「一つ目は物理的に無理な命令を下した場合。二つ目は使う意味のない命令を下した場合だ」
「えっと。一つ目は分かるけど、二つ目は一体どういう場合かしら?」
「例えばそうだな……今、お前は右手に湯飲みを持っている。その状況下で"右手に湯飲みを持て”とギアスで命令を出した場合どうなると思う?」
「なるほど、それが意味のない命令ね? だけどその話がさっきの私の質問に何の関係があるのよ」
「関係大有りだ。実は先ほど富竹にギアスをかけた際、同時に鷹野にもギアスをかけた」
「なんですって? だって、」
「そうだ。にも関わらず鷹野はお前の話を信じていなかったように見えた。これをどう考える?」
「どうってそりゃ……鷹野にギアスを使うのが二度目って訳じゃなさそうだし? かといって物理的に無理って訳でもないだろうし、だとしたら残すは意味のない命令だったってことになるわね。でもそれってちょっとおかしくない?」
「何もおかしくはないさ、鷹野は心の底ではお前の話を信じていた。それもお前の話が現実に起こる事象だと断定できるレベルでな。それ故にギアスは無効化されたに過ぎない」
「えーっとつまり? 鷹野は私の話を信じてたけど信じていない振りをしていたってことになるわよね? あれ?」
首を捻る梨花。まあややこしい話だから当然の反応かもしれない。
埒が明かないので仕方なしに答えを教えてやることにした。
「そんな妙な態度を取ったのは鷹野が実行犯だからだ。信じるも何も自らの起こす犯行計画だ、知らないわけがないからな」
「なるほど! だから貴方は鷹野が犯人だと確定することが出来たのね、流石ルルーシュ――――って貴方、それが分かっていてなんで番犬部隊の派遣を断ったのよ?!」
得心がいって手をぽんと叩いたと思えば、梨花は手のひらを強く卓袱台に叩き付けた。
その衝撃で湯飲みの液面が大きく揺れる。
「お前の言い分はもっともだ。だがあのまま番犬部隊が警備に来てどうなる?」
俺はゆっくりと茶を啜りながら梨花に問う。すると彼女は興奮が収まらないまま俺の質問に答えた。
「どうなるですって?! ふざけないでっ、番犬がいれば鷹野は身動きが取れなくなって惨劇は回避される! 何も起こらないまま綿流しの祭が過ぎ去り、私は未来を掴むことができた!」
「では再び問おう、お前が望む未来とはどんなものだ。朝から晩まで警護という名の元に、監視をされ続ける不自由極まりない生活を送ることなのか」
「あ……」
どうやら彼女も俺の言わんとしていることが理解できたようだ。
梨花はようやく冷静さを取り戻し、短く声を漏らした。
「分かったな。番犬を利用して一時的な平穏を手に入れても何の解決にもならない。逃げずに戦わなければ、いずれまた命を狙われることになるんだよ」
「でも鷹野が犯人ってことは普通に考えて山狗も敵よね……?」
「お前の気持ちも分かる。だが立ち止まっても何も進展しない。まずは信頼できる人間を集めよう」
「……そうね」
梨花は重く頷き、それから梅昆布茶を一気に飲み干した。
現時点で信頼できうる人間はあまり多くはない。
ならば頼らざるを得ないな、俺たちの仲間を。
やはり一番の味方と考えられるのは魅音たち部活メンバーだろう。
戦力としては若干物足りないが、そのデメリットを上回る程の信頼がある。
逆に山狗は戦闘能力こそ申し分ないが、彼らは鷹野の手駒であり信用に欠ける。
山狗がシロで鷹野の単独犯という可能性もないわけではない。
が、だからと言って羊の番をわざわざ狼にやらせる愚を冒せるはずもない。
魅音とレナと沙都子の三人、そしてスザク――これだけでは駒が足りないように思う。
他には味方になってくれる人間はいないだろうか?
信頼という観点から見れば、今や俺のほうにはC.C.ぐらいしか思い当たらないが……。
「魅音たちに協力を求めるのは確定だとして、後もう少しだけ味方が欲しいところか?」
「そうね、入江なんかはどう?」
「いや、入江はよそう。確かに彼のおかげで貴重な情報を得られたのは事実だが、今回の件に関して言えば、正直あまり助けになりそうにない」
梨花の提案に俺はゆっくりと首を横に振った。
「それに入江は嘘や隠し事が苦手そうだ。下手をするとこちらの尻尾をつかまれる恐れもあるからな」
「入江が駄目なら他に誰か心当たりは?」
「そうだな――」
呟きながら視線を脇に流した丁度その時、梨花の家のアナログ電話がジリリと騒がしく鳴り出した。
「ちょっと待ってて」
梨花は一言断ると今時珍しいアナログの黒電話へと向かい、その無駄にサイズの大きい受話器を掴んだ。
相手は魅音やレナだろうか。であればこちらから連絡を取る手間が省けるのだが。
そんなことを考えていると、梨花がこちらに視線を送ってきた。
「ルルーシュ、あんたによ。咲世子さんから」
「咲世子から?」
一体何の用だろう? 怪訝に思いながらもずしりと重い受話器を受け取って返事をする。
「もしもし、ルルーシュです。どうしました?」
「ルルーシュ様? 大変です、ナナリー様が!」
「ナナリーが一体どうしたんですか?!」
問い詰めると咲世子は酷く取り乱した様子でナナリーがいなくなったことを告げた。
それを聞くなり身体中に戦慄が走る。
「少し目を離した隙にナナリー様の姿が見えなくなって、妙な手紙だけが残されていたんです! ああ、なんてこと!」
「落ち着いてください、咲世子さん。……その手紙にはなんと書かれていたんですか?」
咲世子がショックで声を震わせたまま手紙を読み上げる。
***
妹は預かった。
返して欲しければサクラダイト発掘現場のゴミ山に独りで来ること。
他言は無用。
***
「――差出人はマオを名乗っています……」
「マオ、だと……」
「ルルーシュ様、何か心当たりでも?」
「いや……ないですね」
内心の動揺をひた隠して否定の言葉を口にする。
馬鹿な……。マオは確かC.C.の放つ銃弾によって頭を打ち抜かれ絶命したはずだ。生きているわけがない。
だがしかし、ナナリーを攫う理由がある人物はアイツだけしか思い当たらない。
まさかやつもC.C.と同様に不死の身体を持ち、今も尚俺を嘲笑うかのように平然と生きているというのか?
いや、だとしたらC.C.が何かしら言うだろう……。それともC.C.に謀られた?
違う、それはありえない……。C.C.の言う願いをまだ俺は叶えていない。
この状態で裏切ったとしても得は何もないはずだ。
従って現時点では何者かがマオを騙っているとしか考えられない。だが一体誰が?
鷹野はマオを知らないだろう。つまりこの件に関してはシロ。
では俺とマオの関係を知り、俺がこの雛見沢に転校したことを聞いている人物は……?
「……そんなことはどうでもいい。今は……」
独りごちると、咲世子に対しこの件は自分に全て任せるように言い聞かせて受話器を置いた。
そして玄関に繋がる階段へと足を急がせる。
「ルルーシュ、何かあったの?」
ただことでない雰囲気を感じ取ったのか梨花が緊迫した面持ちで訊ねてくる。
……他言無用と言っていたが、梨花ぐらいにはいいだろう。幸い盗聴機等の有無は確認済みだ。
「ナナリーが攫われた」
「なんですって?!」
「だから、これから犯人の指示に従って行動する」
「私も行くわ!」
「お前は来なくていい。独りで来いという犯人からの要求だ」
「でも、」
渋る梨花を少し語気を荒くして諭す。
「馬鹿が、お前は他人の問題に構っているほど暇なのか? 違うだろ、お前はお前がすべきことをやれ」
「私がやること……?」
「朝のうちに電話でスザクを呼んでおいた、まもなく雛見沢に到着するだろう。スザクに全てを打ち明けて協力を求めろ。それから――」
魅音たちを呼んでスザクと同様に彼女らの協力も求めるよう梨花に促して、俺は足早に防災倉庫を後にした。
犯人の要求通りサクラダイト発掘現場に独りで赴く。
高く詰まれた幾つものゴミ山を乗り越えて、その影に隠れた平地へと降り立つ。
そこには案の定マオはいなかった。ただ少女が独りぽつりと俺を待っていた。
ゴミ山にて決してその場に似つかわしくない燈色の美髪を靡かせる彼女は、果たして俺のよく知る人物だった。
少女は俺にとってたぶん一番大切な友達であり、それ故に繋がりを絶ったはずの――――。
「シャー、リー……」
俺は思わずかつてのクラスメートの名前を呟いた。
一方、彼女はまっすぐと俺の目を見て徐に口を開いた。
「ルルーシュ、手紙の指示通りに一人きりで来てくれたのね」
「お前がナナリーを……。そうなのか、シャーリー……」
「うん、そうだよ」
そう答えるシャーリーの口元は綻んでいたが、目は僅かにも笑っていなかった。
「一体どうしてこんなことを」
「自分の胸に聞いて、ルルーシュ。いえ、ゼロ」
強い眼差しで俺をまっすぐと見据え、吐き捨てるようにシャーリーは言う。
「シャーリー……記憶が戻ったのか……?」
動揺する俺の質問にシャーリーは答えない。彼女は肩を竦ませるだけだった。
だがそれでも諦めることなく矢継ぎ早に言葉を紡ぎ出す。
「狙いは俺だろう、ナナリーは関係ない!」
「くすくす。関係、あるよ。だってナナちゃんは貴方の大切な妹だもの」
「ああ……認める。ナナリーは俺の大切な妹だ……。だから頼む、ナナリーを返してくれ!」
俺の悲痛な訴えにも関わらず、シャーリーは眉一つ動かさず冷たく残酷な言葉でもって俺の背筋を凍らせる。
「残念だけど、もう遅いわ」
「な、んだと……? それはどういう意味だ!」
「……貴方には私と同じ悲しみと憎悪を味わってもらう」
「お前……まさか…………」
そんな、ナナリーがもう既に――――されているなんて。
まさかそんな、そんな馬鹿なことがあってたまるのものか……。
言葉にならない絶望と恐怖がゆっくりと心を締め付ける。
俺は自分の読みを否定するように、一抹の希望を紡ぐように、無意識に首を横に振る。
だがしかし、シャーリーの無味簡素な声によって俺の希望は儚くも打ち砕かれたのだった。
「貴方はお父さんをナリタ山で生き埋めにした。だからそのお返し。貴方も……大切な人がいなくなる悲しみが少しは理解できたかな。ねぇ――――ルル?」
「シャアァァリィィィィィッッッ!!」
気づけば俺は眼前の仇の名を叫びながら、その首へと向かって二の腕を突き出していた。
俺の両の手がシャーリーの首へとかかり彼女は苦悶の声を上げる。
苦しいという気持ちが痺れるように徐々に腕を伝い昇ってくるのが分かる。
このまま後数十秒も締め付けていれば目の前の少女の命はあっけなく止まってしまうだろう。
それだけで俺はナナリーの仇を討てた。
そのはずなのに、俺は自然と彼女を開放していた。
シャーリーは肺に新鮮な空気を送り込みながら息も絶え絶えに言った。
「……どうして止めるの」
シャーリーにとってみればそれは当然の疑問。だが俺からしてみれば決してそうではなかった。
撃って良いのは撃たれる覚悟のあるやつだけ、俺は今までそう自分に言い聞かせて生きてきたからだ。
だから分かる。俺の怒りはシャーリーの怒りでもあったのだ。
俺が誰かの大切なものを奪えば、俺も大切な何かを失ってもそれは至極当然の帰結なわけで……。
「私はナナちゃんを殺したのにどうして? 私が憎くないの」
「…………」
憎くないかと問われれば憎い。
だが母親を殺した犯人を探し出して復讐をしようとしている俺がシャーリーに対して何を言えるだろうか。
何よりシャーリーは俺の大切な人だった。
大切なものを失ってそれで今度は自らの手で大切なものを壊してしまったら、俺は自分を許すことができなくなってしまうから。
だから俺はシャーリーを殺すことができなかった。
「分かった、自分で手を下すのが怖いんでしょう?! だから殺せないんだ!」
シャーリーは唇を震わせてそう言い、俺の服を強引に掴む。
それを振り払うこともせず、俺はされるがまま別のことに思いを馳せながら、ただ呆然と立ち尽くしていた。
どうして俺は未だこうして生きている?
最愛の妹がいなくなったその時点で、俺の生きる目的はとうになくなってしまったというのに。
ああ、そうか……分かった。俺の最後の役割が。
「シャーリー、お前を殺さない理由を教えてやろうか?」
「え?」
「フッ、それはな……お前が俺にとって取るに足らない存在だからだよ……ッ!
お前の言う通り、俺の正体は日本を解放に導く偉大な革命家ゼロ! だがそれに対しお前は支配されるだけの矮小無力な女に過ぎない! 従って、殺す価値などただの一遍もないのだよ!」
「……ルルーシュ、まさか貴方は……?」
シャーリーが俯き加減だった顔を上げる。それを見計らって、俺は高らかに嘲笑って言葉を続けた。
「くっくっく、覚えているかシャーリー? 父親が死んだ時お前は俺に泣きついたんだ。その泣きついた相手が父親を殺した張本人とも知らずにな!」
「やめて、ルルーシュ……やめてよ」
嫌々とばかりに頭を振るシャーリーを尻目に俺は平然と踵を返す。
彼女に対して無防備な背後を見せつける形で……。
「見ていて面白かったぞ。お前は俺を楽しませるための滑稽な道化だった。ありがとう、お前は本当にいい暇つぶしになったよ、あっはっはっは!」
「ルルーシュッッッ!」
シャーリーが俺の背中目がけて飛びかかってくるのが分かる。
そうだシャーリー、お前の憎い相手はここだ。殺せば楽になるというのなら殺せばいい。
そしたらすべて忘れて、俺が好きだったあの頃の君に――――。
Turn of Hinamizawa Village ―― Rika side
ナナリーは大丈夫だろうか。
私はルルーシュの親友スザクと電話で呼び出した仲間たちを待ちつつ物思いに耽っていた。
ルルーシュが防災倉庫を飛び出てもう十数分経つ。
やはり無理を言ってでも私も着いて行ったほうが良かったのではないか。何度もそんな不安にかられる。
だが私がいてどうなるものでもないとその都度思い直し、もはや頭の中はぐちゃぐちゃに煮込んだシチュー鍋のようになっていた。
思い悩んでいるうちにも時間が流れ、ついに玄関の呼び鈴が鳴った。
両頬をぴしゃりと自らの掌で打ち、頭を切り替える。
……ルルーシュの言う通りだ。今は自分のことだけを考えろ。
仲間たちに私の話を信じてもらい、この惨劇を終わらせる。ここが正念場なのだ。
皆は信じてくれるだろうか? よもや冗談半分で流されないだろうか……。
そんな弱気な考えを切り捨て、玄関を開ける。
玄関の扉を開けると、そこにはスザクが立っていた。
先に魅音たちが来てくれるとばかり思っていただけにぎょっとする。
「どうもこんにちわ……古手梨花ちゃんのお宅で、いいのかな?」
「はいです、貴方がスザクなのですか?」
「うん、そうだよ。よろしくね。君は梨花ちゃんで間違いないかい?」
スザクとはこの世界では初めてだが、以前の世界では何度か綿流しの当日に会ったことがある。
そういえば、彼に幾度か助けを求めたこともあったっけ。あれは苦い思い出だった。
スザクは真摯に私の話を聞いてくれたけれど、結局毎回鷹野の通常業務(機密保持)によって消されてしまっていた。
彼は強い力を持っているのは間違いない。だがそれに見合う経験が足りていなかった。
綿流しの当日から私が死ぬまでの僅かな期間では焦りたくなる気持ちも分かるが、彼はスピードを重視するあまりやりすぎた。情報収集の際、いつも引き際を誤って命を落としていたのである。
大変失礼な話だが、私にはそれが死にたがっているように思えたので、酷くやさぐれていた頃の私は陰で彼を死にたがりと呼んでいたことがあるぐらいだ。
勿論、本人には内緒なのだけれど。(余談だが、ルルーシュのほうは頭でっかちの無能呼ばわりしていた。)
そんなこともあって、以来スザクに話すのは控えていたのだけど……きっと今度こそは大丈夫だろう。
今回の味方は彼一人ではない。今までどうしても力になってくれたことのなかったルルーシュがいる。
ううん、彼だけじゃない。魅音やレナ、沙都子たちもいるのだ。
ふと、人は助け合って強くなれると誰かが言っていたのを思い出す。
以前の私はそれを戯れ事だと嘲っていたけれど……今回は、見誤らない。
悲劇なんて知るもんか、惨劇なんて知るもんか。
きっと今度こそ、悪魔たちの考えた脚本など打ち破り、私は私が納得いく決着を付けて見せよう。
「えっと……梨花ちゃん、だよね?」
「あっ……そうなのですよ。初めましてなのです、にぱー☆」
スザクと会話中だったことを思い出し、慌てて言葉を返す。
「早速だけど上がらせてもらっていいかな?」
「どうぞなのです」
スザクを防災倉庫の二階に招き、お茶の用意をする。
入ってすぐ彼も盗聴器の有無を確認しようとしていたが、ルルーシュが既に行っていることを伝えると安心して腰を下した。
「じゃあ……真相を聞かせてもらうよ、いいね?」
「はいなのです。けど、一緒に話を聞かせたい人たちがいるので、しばらくの間待っていてもらえますですか?」
「それは信用できる人たちかい?」
「僕の友達なので心配はいらないのです」
「そっか。そういうことなら待たせてもらうけど、一つ聞いていい?」
差し出したお茶を丁重に受け取ってスザクは訊ねてくる。
「なんなのです?」
「ルルーシュはいないのかい?」
「えっと、彼は……急用を思い出したとかで少し前に出て行ってしまったのです」
スザクにはナナリーが攫われた事実を伝えたほうが良かっただろうか。
少し考えて止めておくことにした。スザクには自分の話を聞いてもらわなくてはいけないのだ。
ルルーシュのほうへ向かわせるわけにはいかない。
そもそも今はどこにいるかも分からない状況だ。無駄足になる可能性が高い。
ここはルルーシュを信じるしかない。
「そっか。彼は元気かな? ほら、最近は電話で連絡を取り合うぐらいだからさ」
……ルルーシュは大丈夫だろうか。
大丈夫だ……大丈夫。ルルーシュなら上手くやってくれる……。
不安を誤魔化すかのように私はスザクへと冗談交じりに言葉を返した。
「もちろん元気なのですよ。この前なんかウェディングドレスで村を練り歩いたぐらいなのです、にぱー☆」
「あはは、どういう経緯でそうなったのか知らないけど、それはきついね」
スザクは苦笑してお茶を一口啜る。
それに倣い、私も湯呑みに口を付け、彼に雛見沢でのルルーシュの生活を教える。
部活やその罰ゲームでのこと。沙都子が叔父に連れて行かれた時助けてくれたこと。
そして今も真剣に私の話を聞き、共に行動してくれていること。
スザクが聞き上手なのもあってか、本当によく喋った気がする。
一しきり話終えた頃、丁度良いタイミングで玄関の呼び鈴が鳴って、私とスザクは顔を見合わせ頷き合った。
Turn of Hinamizawa Village ―― Lelouch side
背中にトスンと軽い衝撃。
痛みはないが刺されたのだ。そう思った。刺された時なんて案外こんなもんだろうと思っていた。
だけどそれは違っていて、すぐにそれがシャーリーの温かい抱擁だと分かった。
「シャー、リー……どういうつもりだ」
「やめて……もう、いいから……。もう、嘘はつかなくて、いいから……」
「嘘だと? この期に及んで信じられないのか。お前の父親は俺が殺したんだよ」
「そうかもしれない、でもルルーシュは……。ルルは泣いているから」
「泣いている? 俺が? いつどこで?」
「たった今だよ。悪人を演じながら、ルルは心の中で泣いているよ……」
「イカレてるとしか言いようがないな。確かにナナリーが死んだことは悲しいが、これでゼロとして動きやすくなった。別に泣くほどのことではない」
明らかな嘘だった。ただ最愛の妹がこの世にいないというだけで胸が張り裂けそうだった。
けれど、シャーリーのためにはこう言う他なかったのだ。それがせめてもの償いとなると思ったから。
「私もルルに嘘をついた……」
「何……?」
「ナナちゃんは生きてる」
「えっ?」
シャーリーの言葉が上手く飲み込めない。その癖妙な浮遊感が体を包む。
ナナリーが……生きて? それって……。
「殺してなんかない! 今もちゃんとナナちゃんは生きてる!」
「それは、それは本当なのか?!」
振り返ってシャーリーと対面する。その時初めて浮遊感の正体が喜びなんだと気づく。
「嘘をついて、ごめんなさい……」
目の前に現れたシャーリーの頬は涙で酷く濡れており、再び俯きながら彼女は俺に呟くように謝る。
「どうしてそんなことを……?」
「最初は殺そうと思ってた。だけどその時になって思ったの。“あたし“は何がしたいんだろうって」
そう言いつつシャーリーは涙を拭うと、それから俺の目をまっすぐと見据えた。
「ルルを殺そうと考えたこともあった。だけどそんなことをしたら何も罪のないナナちゃんが私と同じ目にあってしまう。
だからって貴方に私と同じ苦しみを与えるためにナナちゃんを殺すことはできなくて……ごめんなさい……」
「そうか……よかった……よかった……っ……」
気づけば俺の双眸からは涙が流れ出てきていた。
「ルル、私気づいたの。人を憎む気持ちを無くすのはとても難しいこと。けれど、だからこそ途中で誰かが止めないといけないんだって。
……貴方は憎悪に支配されても結局は私を殺さなかった。だから私は貴方を許そうと思う」
「シャーリー……」
「ルル、私は貴方を許すよ。例え世界が貴方を許さなくても私が貴方を許します」
「っ……ありがとう、シャーリー……ありが、とう……っ…………」
俺は恥も外聞もなく声を出して泣いた。
涙は止めどなく溢れ出て、まるで涙腺が壊れてしまったようだった。
それをシャーリーという少女は慈愛に満ちた微笑を浮かべながら背中を擦り、俺を快方してくれた。
自分もつらいはずなのに、彼女は憎い相手を許す強さを持っていた。
結局の所、彼女は憎しみの連鎖を断ち切ったのが俺というが、決してそうじゃなかった。
他でもない彼女だったのだ。
涙が止まらない。自分の不甲斐無さが身に沁みて嗚咽がどうしても抑えられない。
「済まなかった……済まなかった! それがあの時どうしても言えなくて!」
もしかしたら俺は、彼女の記憶を消したその時からずっと彼女の許しが欲しかったのかもしれない。
シャーリーの案内の元、ナナリーのいる場所へと向かうと、意外にもそこはゴミ山のすぐ近くだった。
サクラダイト発掘のために建てられた廃墟の中で、ナナリーは特に拘束されているというわけではなかった。
例え目が見えなくとも、逃げようと思えば易々と逃げられる。
そんな状況下でナナリーはいつもの車椅子に座り、まるで待ち合わせ場所で誰かを待っている風貌だった。
その様子を見て取り、本当にシャーリーはナナリーに危害を加える気がなかったんだなと今更ながらに思う。
ナナリーと二三、言葉を交わした後、共に廃墟から出る。
それからシャーリーと向かい合い、俺は彼女と別れの言葉を交わす。
「じゃあね、ルル」
「ああ、シャーリー……元気でな」
どちらからというわけでもなく、握手を交す。
「ルルこそ元気で……。そして、もう道を誤らないで」
「ああ、約束する……。俺はもう間違わない」
手段より追及すべきは結果。そう信じて今まで俺は歩み続けてきた。
けれどふと後ろを振り返ると、そこにはたくさんの屍が横たわっていて。
その命を無駄にしないためという大義名分を掲げ、さらに多くの命を犠牲にしてきた。
だが俺は今日、その果てに至る未来をシャーリーに気づかされた。
至るのは破滅。結果を追い求めすぎ、そのせいで大事なものを自ら壊してしまうというもの。
それはただの想像なのに酷く生々しい光景で、俺はその現実感に寒気を起こす。
「スザクが言っていた。間違った方法で得た結果に意味なんてない。今ならそれが分かる」
「うん……そうだね。それに気づけたルルならきっと……」
唐突にシャーリーが握手を交わすその手を手前に引いた。それにつられ、身体が前に引っ張られる。
シャーリーはバランスを崩しかけた俺の身体を抱き寄せるかのように支えた。
「さようなら、ルル。またいつか」
「ああ、またいつか」
シャーリーはすっと身を翻し、未だ抱擁の余韻も消えないうちにその場を後にする。
もう彼女は僅かにも振り返ることはしなかった。
彼女の後姿――風に靡いた燈色の髪が夕焼けに交じり見えなくなった頃、唐突にナナリーがくすりと微笑んだ。
「お兄様、良かったですね。シャーリーさんと仲直りできたみたいで」
ナナリーのその言葉が引き金となってまた少し涙腺が緩む。
少し間が空き、不思議がるナナリーに俺は微笑交じりに言葉を返した。
「ああ、そうだな……。本当に長い刻を彼女と仲違いしていた気がする。でも、だからこそ――――」
俺はもう二度と彼女を裏切る真似はしないと誓おう。

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