2010年01月05日 06:02
「アニメオタクの強迫観念とコスプレーヤーの自傷について」
関正樹 臨床精神病理27巻1号2006年4月48P
という日本精神病理学会第28大会演題発表要旨が興味深い。
強迫観念を主訴とするアニメオタクA、
過呼吸を主訴とするするコスプレーヤーB
それぞれに、アニメやコスプレの話題で支持的に接した。
すると、Aの症状は軽減。Bは過呼吸が頻繁になり自傷行為も出現。
理由として、Aは「現実的な虚構」の中にいたが、Bは「虚構的な現実」の中にいたから。
といっても意味不明だが。
簡単に言えば。
「アニメオタク」を支持することは「アニメ好きのありのままのA 」を支持することなので治療的である。
しかし、
「コスプレヤー」を支持することは「コスプレという虚構の世界のB」を支持することで、「コスプレしてないときのありのままのB」は支持してないことであり、反治療的になる。
ということのようだ。
つまり、「コスプレしてないときのあなたも素敵ですよ」というアプローチが治療的ということか。
http://d.hatena.ne.jp/annojo/20060605/p1
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関正樹 臨床精神病理27巻1号2006年4月48P
という日本精神病理学会第28大会演題発表要旨が興味深い。
強迫観念を主訴とするアニメオタクA、
過呼吸を主訴とするするコスプレーヤーB
それぞれに、アニメやコスプレの話題で支持的に接した。
すると、Aの症状は軽減。Bは過呼吸が頻繁になり自傷行為も出現。
理由として、Aは「現実的な虚構」の中にいたが、Bは「虚構的な現実」の中にいたから。
といっても意味不明だが。
簡単に言えば。
「アニメオタク」を支持することは「アニメ好きのありのままのA 」を支持することなので治療的である。
しかし、
「コスプレヤー」を支持することは「コスプレという虚構の世界のB」を支持することで、「コスプレしてないときのありのままのB」は支持してないことであり、反治療的になる。
ということのようだ。
つまり、「コスプレしてないときのあなたも素敵ですよ」というアプローチが治療的ということか。
http://d.hatena.ne.jp/annojo/20060605/p1

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