2008年11月21日 21:31
結の章: 策略の崩壊
バカ木連盟の作戦は、何もしないで観ているだけ、勝手に旨く行った場合には自らの功績にするか、もしくは「それ見ろ、良い思いをした」と主張することです。一方、私には数々の残酷な試練が課され、バカ木さえ居なければ素晴しい人生が送れていたところを、ひどいことを言われたりやられたりして、今ではホームレス寸前の状態に陥っています。それでも、今流行している銃乱射事件を犯したり、自殺したり、精神病院に入院したり、といった事態は回避できました。一方では、私に本来在って当然の人間関係が存在するのですが、バカ木の指示により、そうした関係が具体的に明確化されることはありませんでした。バカ木連盟の紹介によってのみ、そうした方々との関係が成立するよう仕組まれているようです。バカ木連盟自ら、私の名前を勝手に使用した中傷電話をするよう指示した訳ですが、そして、それは自分たちが被害に遭わないためという卑劣な考えからかもしれないのですが、そのお陰で私の人生は本来のものとは掛け離れた惨めなものとなった訳です。それでも何とか一流の私立大学に入学し、短い期間ですが「青春の謳歌」といったものを体験することがありました。その際の連中の作戦は、私が結婚でもしたら特別な贈呈品でもして、「良い思いをした、めでたし、めでたし」というものでした。しかし、篠原の電話犯罪は容赦なく継続し、せっかく築いた友人関係も消滅し、私は自閉症気味となって1人で殆どの時間を過ごすようになります。こうしてバカ木連盟の楽観的作戦は見通し困難となります。そこで次の口先技として、「この程度ならば、もともと存在する必要はなかった」と主張するようになります。従来の意味での「良い思い」などとは掛け離れた状況に在りましたから、そうした疑問に対する予防策だったのかもしれません。そこで聞いた話ですが、バカ木と私には同様の遺伝タイプを持つ女性からの次世代男子が生産されているそうで、両方とも野球選手を目指して同様の環境が与えられたそうです。バカ木の次世代の方が年上で、途中で挫折して会社員となったそうです。私の次世代がリトルリーグで野球を始めた頃、このバカ木の劣等次世代は、自分に無理だったプロ選手などには絶対に成れず、いずれは自分と同じように会社勤めとなることを断言したそうです。そこでバカ木連盟の連中は早速、「会社員しか生産できないようなら、わざわざ居なくても構わないということ」などと切り捨てるに至ります。実際、私もバカ木連盟の何人かから憎々しげに、「お前など居なくて構わない」と言われた経験を持ちます。それは既に20年以上も前の話ですが、果たしてどうなったのでしょうか。確か名古屋方面に在住の野球少年の話だったようですが。私自身は運動選手として一切活躍したことはありませんが、自らの運動能力には多少の自信を持っています。バカ木連盟の思惑は外れたものと確信しています。
もう1つ聞いた話を述べます。私は中学一年から寄宿舎生活を始めましたが、バカ木連盟に任された責任として、私と私の本族との間を取り持つ役を担うよう期待されます。親玉であるバカ木低児の元々の主張に基づくもので、バカ木連盟に一切全ての責任が任されていたようです。それでも、どうせ口先でかわすのみで何も実質的なことはしないであろうとして、踏み入って仲を取り持ち、私をしかるべき境遇にしようと努力した方々が存在したようです。特に、私の遺伝子による次世代が誕生した後、そうした動きが発生したはずです。もちろん、バカ木連盟は何もすることなく機会を伺って、「それみろ、良い思いをした」などと言おうとしたはずです。私に対する電話犯罪が開始されたのも、こうした経緯があったのでしょう。これらの気の利く方々を攻撃する電話が掛けられたはずです。こうした中、私がどうしているかを本家に報告することになりますが、バカ木の主張する「存在要素の分散と抽象化」が実行されており、断片的な情報しか伝わらなかったようです。以下、その例を述べます。
私は不良少年の道を歩んでいましたが、その中でもジャズ喫茶に通うようになったのですが、何人かの仲間と入ったジャズ喫茶でファラオ・サンダースなる歌手の歌が流れ、皆で大喜びしたことがありました。”Prince of Peace” (平和の王子)という表題の歌で, ”Prince of peace”なるフレーズが軽やかに繰返された後、「テイホー」といった言葉を発して絶叫しまくるというものでした。特に私が喜んだのではなく、仲間たちが大笑いしただけだったのですが、私の聴いている音楽として本家に紹介されたようです。ここで重要なのは、この歌が破壊的特色を持っているところです。無闇に訳もわからず攻撃するイメージがあります。本来なら、中学に入った時点で本家に紹介されるはずでしたし、その全責任はバカ木連盟が担っていたのですが、既に説明した経緯により30年以上が経過してしまいました。バカ木連盟としては、ここまで長引く前に勝手に自滅することを予期していたのでしょう。ところがその思惑は外れ、何とかして闇から闇へと考えて当然でしょう。本家に伝わっているイメージに合致した理由を作り出す必要が生じたのです。すなわち、「この男の遺伝子は、銃乱射事件を引起す特質を持っている」などと言いたいのでしょう。ここで、バカ木連盟が取ったであろう作戦を具体的に推論することにします。と言いますのも、バカ木連盟と同様に、「銃乱射をするから」と言いたい人物が登場したからです。バカ木連盟を補助する集団が存在し、篠原も電話人として属しているのですが、その人物に自分たちの責任を丸投げして、補助集団と連結させたようです。すなわち、その人物の指示の下で全員が行動を取るというものです。以下、その経緯を述べることにします。
私は1987年から1991年にかけてバージニア工科大学に在籍しましたが、例の電話犯罪により教授連中からリンチまがいの不当な扱いを受け、学位取得することなしにテネシー大学へ移ることになります。電話犯罪の特徴は、自分の名前で電話されていることが表面に現れないことです。単に不快感の対象となってしまい、相手は衝動的に行動するようになります。私自身も、電話犯罪の存在を確信したのは帰国してからでした。さて、ここで問題ですが、こうした電話犯罪を行うには、電話人に情報を提供する必要があります。私の生活環境に存在する人達について出来るだけ詳細な情報が必要になりますし、電話で吹聴する相手の電話番号も知らなければなりません。それは内部者の存在を示唆します。その内部者自身は攻撃を受けないか、受けても軽いものとなります。本当に攻撃を激しく受けた人の反応は、まさに腸が煮えくり返る様相を呈します。内部者の場合には、それが在りませんし、自分の提供した情報により取り乱している人達を眺めてニタリとします。こうした判断で当時を思い出してみますと、バージニア工科大学での情報提供者は、ウィリアム・フロイドという男になります。同校数学部の助教授、私が在学中に准教授となった人物です。ここで断言しますが、この男は間違いなくバカ木連盟に属する人物です。専門も私と同じ分野ですが、育ての父親の七光りで何とか大学に残った経緯があり、頼まれても断れない立場にあったのでしょう。論文は出ていますが、研究業績は皆無であるどころか、呆れる間違いをしています。性格的にも裏切り者のバカ木低児を受け継いでいたのでしょう。私は、2006年の5月に復学願いを提出し、同年の9月からと希望したのですが、時期遅しで2007年1月からの願書となりました。コンピュータに関連した勉強をしたいと申し出たのですが、ならばコンピュータ学部に応募するべきとの回答で、それならば、と1月入学で応募しました。この過程において、私がバージニア工科大学に復学しようとしている情報は、同校からでなくては漏洩しません。というのも、私の人間関係は電話犯罪のために全壊しているからです。間違いなく、このフロイドからバカ木連盟に伝わったはずです。詳細は述べませんが、妙な具合に翌年の秋入学へ延期となり、最終的には紋切り型の理由で断られることになります。断りの通知は、例の乱射事件の発生から数日後に届きました。以下、その経過を推理します。
私は1991年にテネシー大学ノックスビル校数学部に移ったのですが、その時点では電話犯罪を意識してはおらず、頑張って良い仕事をすれば道が必ず開けると考えていました。既に述べましたが、教授連中には敵対されたり無視されたりするようになり、専門分野が同じであるイギリス出身のアホ教授のお陰で、数学の道を断念せざるを得なくなりました。たまたま、フランス語を勉強していましたので、欲求不満から外国語学部フランス語学科に移ることになります。詳細は述べませんが、私の実母は有名なフランス人小説家に騙されてしまい、挙句の果てに私の実父に近親強相姦されて私を生むに至るのですが、バカ木による家騒動を避けるためにも、このフランス人小説家が私をフランスに引き取って育てることになったらしいのです。私が左後頭部を凹まされて、「キーン」という金属音を常時耳にするようになったことを知り、私を自動車レーサーに育てようと考えたらしいのですが、友人に高速運転を実演して貰った際に、カーブを回りきれず、車は横転して2人とも死亡してしまいます。結局、私のフランス行きは実現しませんでした。この事実は長年に渡って理解するに至ったのですが、自棄を起こしてフランス語を始めたのも、1つには「数学よりも更に役に立たない学問をしてやれ」といった気持ちがありましたが、それ以外にも、「フランスで育っていれば随分と違った人生だったのでは」といったノスタルジアのようなものもあったのです。更には、「フランス語をマスターしたらフランスへ行けるようにしてやる」などと偉そうに言った何人かが居ましたので、ひょっとして道が開けるのでは、という期待もありました。しかし、電話犯罪は継続しました。数学部に在籍の際には、電話をしたかと何回か尋ねられ、「自分は電話など殆ど利用しない」と答えたものですが、こちらとしては何の身にも覚えのないことなので、電話犯罪を意識することはありませんでした。フランス語学科に移っても同様の電話が続いたのですが、状況が多少異なってきました。教授連中の間で下らない派閥争いが存在し、それに電話犯罪が絡んでしまったようなのです。その派閥争いで最も下らない努力をしている人物こそが、上述の「銃乱射をするから」と言いたい人物なのです。名前はジョン・ロマイザーと称し、篠原、バカ木、フロイドと同様に、大学機構が生み出した最も下らない価値観を体現している人物です。以下、このアホ教授について述べることにします。
元々は数学論文を読むためにフランス語を始めたのですが、ただ読み方を学ぶだけでは物足りず、教養レベルのコースを独学していました。独学といっても、ビデオを暇な時に図書館で眺めていただけですが。それでも、いきなり大学3年生の専門授業を履修するようになりました。数学部の連中に嫌気がさしていた時期でしたから、そちらの方に興味を持つようになりました。おおよそ全ての言語の中で、最も厳密に管理されているのがフランス語であり、また、発想の視点にも日本語と共通な部分もあり、とにかく面白くて堪らなくなりました。とにかく大量の文献を原書で読まねばならず、数学部での残酷な仕打ちを忘れることが出来ました。本来なら数学部で銃乱射事件を犯しても構わない状況だったのです。上述の思いもあり、履修できるコースは全て履修しました。中でも、文学研究では世界的に有名なパトリック・ブラディー教授のコースを誰よりも多く履修しました。優秀な方ですので、多種多様なコースを教えることが出来るのです。元々はライス大学の教授をしていたのですが、何らかのトラブルでテネシーに流れてきたそうです。教授法は学生にテーマを選ばして研究を発表させるというセミナー形式で、ノルマをこなすのは大変でしたが、お陰で文学研究論文の書き方を会得することが出来ました。電話犯罪さえなければ、そして、ロマイザーというアホ教授さえ居なければ、フランス語教授としての将来が開かれたはずでした。
このロマイザーとブラディー教授が犬猿の仲であることは知っていましたが、自分には一切関係ないものとして考えていました。どうして仲が悪くなったかを考えますと、どうやら文学研究に対する姿勢の2分極化が影響しているようです。ロマイザーの場合は、おおよそ大学院のコースを教える実力を持ってはいないのですが、周到な準備で何とかコースを運営することは出来ていました。文学研究は研究者個人の才能資質に依る面が強く、教授がボンクラでも多くを会得することが可能です。ちなみに、このロマイザーは文献検索が専門で、こつこつと調べて資料を集めるのが得意なようですが、思考力を要する文学研究者の資質には欠けていました。ブラディー教授が移籍する以前には、文献検索、テキスト分析、比較研究が研究の主流だったようです。ブラディー教授の場合は、ありとあらゆる手法の文学研究をします。文化人類学、社会学、心理学などの観点から文学作品を吟味し、その構造を明らかにしていきます。オーストラリア出身でソルボンヌ大学から博士号を持っています。テネシー大学フランス語学科は、一般に教授のみばかりか大学院生のレベルも低く、そのために教授と大学院生の関係が保たれていたようです。一方、ブラディー教授の場合は学生の発案を重んじる一方、要求レベルが高くなり、多くの学生、特に女子学生から恨みを買うようになったようです。一方で、そうした女子学生に人気のあるのがロマイザーです。ロマイザー自身もブラディー教授のような研究者には強い劣等感を抱いており、更には自らがテネシー大学教授たるには不都合が生ずると判断したのでしょう、何とかブラディー教授を追い出そうと策略を練るようになります。同教授の研究業績は非の打ち所がありませんから、コースの教え方を問題にします。どうやら、私は同教授のコースを多く履修した故に恨みを買ったのかもしれません。更には電話攻撃のお陰で、どんな仕打ちをしても周囲からは何の咎めも受けなくなります。私は人生に投げやりの状態で暇つぶしにフランス語を勉強していましたから、周囲の人間関係など全く無視していました。いつの間にかロマイザーが最終試験の主査となってしまい、全く出たら目なやり方で不合格とされてしまいます。こちらとしても大学での人生には嫌気がさしていましたし、こんなバカ教授連中からの学位など必要あるかと開き直り、何の抗議もせずに帰国することになります。自殺も選択の一つでしたが、こんなバカ連中が理由ならば、自殺の価値はないと判断しました。
ここでもう一度、バカ木の唱えた「存在要素の分散」を考えます。「何か政治力を有している人物が存在するが、それが誰であるかは不明である」という状態が生ずる場合、ロマイザーのような人物にイメージが収束する傾向にあります。格好を付けるだけで教授としてやってきた訳ですから、自分のものに出来るイメージは必ず取り込んでしまいます。一方では、色々と有利な状況が発生するようになります。何故か知らないが、私が移籍してきたら予算が多めに割り当てられたりします。しかし、電話犯罪が継続していますから、私に直接の恩恵はありません。ここで重要なのは、電話攻撃を免れている連中が存在することです。特に情報提供する連中には危害が加わりません。そういった連中は、私に対する態度で見分けることが可能となります。そして、ロマイザーは明らかに免れていたようです。思考力に乏しい人間が大学に生き残る場合、幾らでも攻撃の理由が見つかる筈ですが、それどころか天才として評判を立ててしまいます。ブラディー教授との「戦い」と電話犯罪の被害者である周囲の圧力で、全く考えられないやり方で不合格とされてしまいました。私の答案の代わりに他人のものを不明な人物に採点させて、更に採点者のコメントとは掛け離れた紋切り型の不合格通知を送ってきたのです。私の解答とは全く的外れのコメントを会議で読み上げ、疑問を投げる他の教授を無視して、あっと言う間に不合格としてしまったようです。もちろん、模範解答などは頂けません。電話犯罪のため感覚麻痺している環境で発生した茶番劇でした。
すなわち、バカ木が提唱した「存在要素の分散による存在の抽象化」により、私自身の本来の存在が電話犯罪により切断され、宙に漂う存在要素が不特定多数の近似要素と同化するようになり、その中にあって、ロマイザーが代表元の役割を演ずるようになります。実力に乏しい分、周囲のふりを見て行動を取るタイプですから、ブラディー教授に対抗する意味も充分にありますが、都合の良いことに、電話犯罪で周囲の容認もしくは黙認が得られたこともあり、平気で残虐行為に等しい落とし方をしたのです。とは言うものの、私の存在自体がテネシー大学から消滅すると、今度は逆に、何故大学に残るように取り計らなかったのか、と責められるようになったはずです。特に、電話犯罪を受けていないテネシー大学外部から発せられるようになったはずです。真の理由はブラディー教授に対抗するためであり、電話犯罪が絶好の補助になった訳ですが、こうした経緯は外部に対しては理由になりません。一方で、このロマイザーという男は色々な所から情報を得ているはずであり、私に銃乱射事件を犯せようとしている動きを察知したはずです。答案には全く無関係に不合格としたことは明らかでしたから、他の何等かの理由が必要となります。こうして、バカ木連盟との共通点が生じたのです。先ず、バカ木連盟としては自らの責任を丸投げ出来る人物を必要としており、ロマイザーとしては、バカ木連盟のように、私の面倒を見ている振りをすれば、良い事が生じます。そして、両者とも私を闇から闇へ葬り去りたいのが本音です。
ここで一転して、電話犯罪が行われる過程を考えます。元々は、「そんなものには完全な対策がある、そんなことも判らないのか、だから真珠湾攻撃や神風特攻隊といった愚行をするのだ」としたバカ木のバカ発言から生じたものです。バカ木連盟の作戦も同様の路線を踏みますが、電話する側は何とかして具体的な方法を教えてもらおうとします。こんな電話をしても構わないか、こんな結果になったがどうなのか、等々といった質問に対しては口先でかわします。やり方にけちを付けたり、完全な対策は在ったのだが用いられなかった、等々といったものです。こうして行くうちに、建物の名前などで中傷電話をかけると銃乱射事件が引起せることを発見します。昨年から今年にかけて銃乱射事件が異常なまでに多発しましたが、それ以前は単発的なものでした。バカ木連盟しては、「発覚していないのは完全対策が存在するからだ」、などとしていたのでしょう。ここで注目したいのは、銃乱射事件の発生頻度の急激な変化です。何等かの変化が生じたはずであり、バカ木連盟が全てをロマイザーに丸投げして、自分たちは補助のみを行うという路線に踏み切ったと考えます。すなわち、電話をする側、即ち「完全対策」を伝授してもらおうと努力する側とロマイザーの関係を取り持ち、自分たちは補助役のみを担うことにしたはずです。ここで注目したいのは、こうした電話犯罪はロマイザーの趣味に合うものです。ブラディー教授と親しくなった学生を攻撃することにより、自らの力を誇示し、ブラディー教授に対抗しよう、という陰険な作戦を平気でする男です。何となれば、このロマイザーはアンドレ・ジッドというフランス人小説家の大ファンであり、特に「偽金作り人」なるタイトルの小説を授業で読ませたりしています。実力不足のために格好を気にしますが、こうした電話犯罪を連続して発生させることにより、自らの力を見せたかったのかもしれません。更には、平気で将来有望な大学院生の未来をぶち壊したりする性格ですから、銃乱射の犠牲者に対して何も感じないはずです。この「偽金作り」と言う小説では、列車の出入り口の前に見知らぬ人が立っているのを主人公が発見し、他に人が居ないのを確認した上で、いきなり蹴飛ばして車外へ放り出してしまうシーンがあります。まさにロマイザーの性格を表しています。「偽金」を用いて大学教授になった人物です。更にこの男は、大学院生のための資金の一部を裏金にして、自分の気に入った学生との遊行費に当てていたことで有名でした。このような良心の一欠片もない男に、全ての責任を丸投げしたのです。しかも、以前はバカ木連盟を補助し、今度はロマイザーを補助する集団が存在し、ロマイザーは単にリクエストをしたり、情報収集をしたりするだけで銃乱射事件を引起せる状況となったのでしょう。ロマイザーは文献検索が専門ですかから、銃乱射犯人に仕立て上げる人物の選択と個人情報収集はお手の物であったはずです。恐らく、自分の言いなりになる連中を利用したのでしょう。こうして、昨年から今年にかけて異常な件数の銃乱射事件が発生するに至ります。
ここまでに合計3名の人物を名指しにしていますが、当然、バージニア工科大学のドナルド・マキーン教授にも同じ3名について伝えてあります。間違いなく、米国連邦警察にも情報が届いているはずですし、電話犯罪に関する捜査が行われているはずです。今年2008年2月には短期間に連続的に銃乱射事件が発生しましたが、現時点の2008年5月下旬までの数ヶ月間は静まり返っています。今後の動向が注目されます。
終の章: Voe Victis!
バカ木連盟の作戦は、何もしないで観ているだけ、勝手に旨く行った場合には自らの功績にするか、もしくは「それ見ろ、良い思いをした」と主張することです。一方、私には数々の残酷な試練が課され、バカ木さえ居なければ素晴しい人生が送れていたところを、ひどいことを言われたりやられたりして、今ではホームレス寸前の状態に陥っています。それでも、今流行している銃乱射事件を犯したり、自殺したり、精神病院に入院したり、といった事態は回避できました。一方では、私に本来在って当然の人間関係が存在するのですが、バカ木の指示により、そうした関係が具体的に明確化されることはありませんでした。バカ木連盟の紹介によってのみ、そうした方々との関係が成立するよう仕組まれているようです。バカ木連盟自ら、私の名前を勝手に使用した中傷電話をするよう指示した訳ですが、そして、それは自分たちが被害に遭わないためという卑劣な考えからかもしれないのですが、そのお陰で私の人生は本来のものとは掛け離れた惨めなものとなった訳です。それでも何とか一流の私立大学に入学し、短い期間ですが「青春の謳歌」といったものを体験することがありました。その際の連中の作戦は、私が結婚でもしたら特別な贈呈品でもして、「良い思いをした、めでたし、めでたし」というものでした。しかし、篠原の電話犯罪は容赦なく継続し、せっかく築いた友人関係も消滅し、私は自閉症気味となって1人で殆どの時間を過ごすようになります。こうしてバカ木連盟の楽観的作戦は見通し困難となります。そこで次の口先技として、「この程度ならば、もともと存在する必要はなかった」と主張するようになります。従来の意味での「良い思い」などとは掛け離れた状況に在りましたから、そうした疑問に対する予防策だったのかもしれません。そこで聞いた話ですが、バカ木と私には同様の遺伝タイプを持つ女性からの次世代男子が生産されているそうで、両方とも野球選手を目指して同様の環境が与えられたそうです。バカ木の次世代の方が年上で、途中で挫折して会社員となったそうです。私の次世代がリトルリーグで野球を始めた頃、このバカ木の劣等次世代は、自分に無理だったプロ選手などには絶対に成れず、いずれは自分と同じように会社勤めとなることを断言したそうです。そこでバカ木連盟の連中は早速、「会社員しか生産できないようなら、わざわざ居なくても構わないということ」などと切り捨てるに至ります。実際、私もバカ木連盟の何人かから憎々しげに、「お前など居なくて構わない」と言われた経験を持ちます。それは既に20年以上も前の話ですが、果たしてどうなったのでしょうか。確か名古屋方面に在住の野球少年の話だったようですが。私自身は運動選手として一切活躍したことはありませんが、自らの運動能力には多少の自信を持っています。バカ木連盟の思惑は外れたものと確信しています。
もう1つ聞いた話を述べます。私は中学一年から寄宿舎生活を始めましたが、バカ木連盟に任された責任として、私と私の本族との間を取り持つ役を担うよう期待されます。親玉であるバカ木低児の元々の主張に基づくもので、バカ木連盟に一切全ての責任が任されていたようです。それでも、どうせ口先でかわすのみで何も実質的なことはしないであろうとして、踏み入って仲を取り持ち、私をしかるべき境遇にしようと努力した方々が存在したようです。特に、私の遺伝子による次世代が誕生した後、そうした動きが発生したはずです。もちろん、バカ木連盟は何もすることなく機会を伺って、「それみろ、良い思いをした」などと言おうとしたはずです。私に対する電話犯罪が開始されたのも、こうした経緯があったのでしょう。これらの気の利く方々を攻撃する電話が掛けられたはずです。こうした中、私がどうしているかを本家に報告することになりますが、バカ木の主張する「存在要素の分散と抽象化」が実行されており、断片的な情報しか伝わらなかったようです。以下、その例を述べます。
私は不良少年の道を歩んでいましたが、その中でもジャズ喫茶に通うようになったのですが、何人かの仲間と入ったジャズ喫茶でファラオ・サンダースなる歌手の歌が流れ、皆で大喜びしたことがありました。”Prince of Peace” (平和の王子)という表題の歌で, ”Prince of peace”なるフレーズが軽やかに繰返された後、「テイホー」といった言葉を発して絶叫しまくるというものでした。特に私が喜んだのではなく、仲間たちが大笑いしただけだったのですが、私の聴いている音楽として本家に紹介されたようです。ここで重要なのは、この歌が破壊的特色を持っているところです。無闇に訳もわからず攻撃するイメージがあります。本来なら、中学に入った時点で本家に紹介されるはずでしたし、その全責任はバカ木連盟が担っていたのですが、既に説明した経緯により30年以上が経過してしまいました。バカ木連盟としては、ここまで長引く前に勝手に自滅することを予期していたのでしょう。ところがその思惑は外れ、何とかして闇から闇へと考えて当然でしょう。本家に伝わっているイメージに合致した理由を作り出す必要が生じたのです。すなわち、「この男の遺伝子は、銃乱射事件を引起す特質を持っている」などと言いたいのでしょう。ここで、バカ木連盟が取ったであろう作戦を具体的に推論することにします。と言いますのも、バカ木連盟と同様に、「銃乱射をするから」と言いたい人物が登場したからです。バカ木連盟を補助する集団が存在し、篠原も電話人として属しているのですが、その人物に自分たちの責任を丸投げして、補助集団と連結させたようです。すなわち、その人物の指示の下で全員が行動を取るというものです。以下、その経緯を述べることにします。
私は1987年から1991年にかけてバージニア工科大学に在籍しましたが、例の電話犯罪により教授連中からリンチまがいの不当な扱いを受け、学位取得することなしにテネシー大学へ移ることになります。電話犯罪の特徴は、自分の名前で電話されていることが表面に現れないことです。単に不快感の対象となってしまい、相手は衝動的に行動するようになります。私自身も、電話犯罪の存在を確信したのは帰国してからでした。さて、ここで問題ですが、こうした電話犯罪を行うには、電話人に情報を提供する必要があります。私の生活環境に存在する人達について出来るだけ詳細な情報が必要になりますし、電話で吹聴する相手の電話番号も知らなければなりません。それは内部者の存在を示唆します。その内部者自身は攻撃を受けないか、受けても軽いものとなります。本当に攻撃を激しく受けた人の反応は、まさに腸が煮えくり返る様相を呈します。内部者の場合には、それが在りませんし、自分の提供した情報により取り乱している人達を眺めてニタリとします。こうした判断で当時を思い出してみますと、バージニア工科大学での情報提供者は、ウィリアム・フロイドという男になります。同校数学部の助教授、私が在学中に准教授となった人物です。ここで断言しますが、この男は間違いなくバカ木連盟に属する人物です。専門も私と同じ分野ですが、育ての父親の七光りで何とか大学に残った経緯があり、頼まれても断れない立場にあったのでしょう。論文は出ていますが、研究業績は皆無であるどころか、呆れる間違いをしています。性格的にも裏切り者のバカ木低児を受け継いでいたのでしょう。私は、2006年の5月に復学願いを提出し、同年の9月からと希望したのですが、時期遅しで2007年1月からの願書となりました。コンピュータに関連した勉強をしたいと申し出たのですが、ならばコンピュータ学部に応募するべきとの回答で、それならば、と1月入学で応募しました。この過程において、私がバージニア工科大学に復学しようとしている情報は、同校からでなくては漏洩しません。というのも、私の人間関係は電話犯罪のために全壊しているからです。間違いなく、このフロイドからバカ木連盟に伝わったはずです。詳細は述べませんが、妙な具合に翌年の秋入学へ延期となり、最終的には紋切り型の理由で断られることになります。断りの通知は、例の乱射事件の発生から数日後に届きました。以下、その経過を推理します。
私は1991年にテネシー大学ノックスビル校数学部に移ったのですが、その時点では電話犯罪を意識してはおらず、頑張って良い仕事をすれば道が必ず開けると考えていました。既に述べましたが、教授連中には敵対されたり無視されたりするようになり、専門分野が同じであるイギリス出身のアホ教授のお陰で、数学の道を断念せざるを得なくなりました。たまたま、フランス語を勉強していましたので、欲求不満から外国語学部フランス語学科に移ることになります。詳細は述べませんが、私の実母は有名なフランス人小説家に騙されてしまい、挙句の果てに私の実父に近親強相姦されて私を生むに至るのですが、バカ木による家騒動を避けるためにも、このフランス人小説家が私をフランスに引き取って育てることになったらしいのです。私が左後頭部を凹まされて、「キーン」という金属音を常時耳にするようになったことを知り、私を自動車レーサーに育てようと考えたらしいのですが、友人に高速運転を実演して貰った際に、カーブを回りきれず、車は横転して2人とも死亡してしまいます。結局、私のフランス行きは実現しませんでした。この事実は長年に渡って理解するに至ったのですが、自棄を起こしてフランス語を始めたのも、1つには「数学よりも更に役に立たない学問をしてやれ」といった気持ちがありましたが、それ以外にも、「フランスで育っていれば随分と違った人生だったのでは」といったノスタルジアのようなものもあったのです。更には、「フランス語をマスターしたらフランスへ行けるようにしてやる」などと偉そうに言った何人かが居ましたので、ひょっとして道が開けるのでは、という期待もありました。しかし、電話犯罪は継続しました。数学部に在籍の際には、電話をしたかと何回か尋ねられ、「自分は電話など殆ど利用しない」と答えたものですが、こちらとしては何の身にも覚えのないことなので、電話犯罪を意識することはありませんでした。フランス語学科に移っても同様の電話が続いたのですが、状況が多少異なってきました。教授連中の間で下らない派閥争いが存在し、それに電話犯罪が絡んでしまったようなのです。その派閥争いで最も下らない努力をしている人物こそが、上述の「銃乱射をするから」と言いたい人物なのです。名前はジョン・ロマイザーと称し、篠原、バカ木、フロイドと同様に、大学機構が生み出した最も下らない価値観を体現している人物です。以下、このアホ教授について述べることにします。
元々は数学論文を読むためにフランス語を始めたのですが、ただ読み方を学ぶだけでは物足りず、教養レベルのコースを独学していました。独学といっても、ビデオを暇な時に図書館で眺めていただけですが。それでも、いきなり大学3年生の専門授業を履修するようになりました。数学部の連中に嫌気がさしていた時期でしたから、そちらの方に興味を持つようになりました。おおよそ全ての言語の中で、最も厳密に管理されているのがフランス語であり、また、発想の視点にも日本語と共通な部分もあり、とにかく面白くて堪らなくなりました。とにかく大量の文献を原書で読まねばならず、数学部での残酷な仕打ちを忘れることが出来ました。本来なら数学部で銃乱射事件を犯しても構わない状況だったのです。上述の思いもあり、履修できるコースは全て履修しました。中でも、文学研究では世界的に有名なパトリック・ブラディー教授のコースを誰よりも多く履修しました。優秀な方ですので、多種多様なコースを教えることが出来るのです。元々はライス大学の教授をしていたのですが、何らかのトラブルでテネシーに流れてきたそうです。教授法は学生にテーマを選ばして研究を発表させるというセミナー形式で、ノルマをこなすのは大変でしたが、お陰で文学研究論文の書き方を会得することが出来ました。電話犯罪さえなければ、そして、ロマイザーというアホ教授さえ居なければ、フランス語教授としての将来が開かれたはずでした。
このロマイザーとブラディー教授が犬猿の仲であることは知っていましたが、自分には一切関係ないものとして考えていました。どうして仲が悪くなったかを考えますと、どうやら文学研究に対する姿勢の2分極化が影響しているようです。ロマイザーの場合は、おおよそ大学院のコースを教える実力を持ってはいないのですが、周到な準備で何とかコースを運営することは出来ていました。文学研究は研究者個人の才能資質に依る面が強く、教授がボンクラでも多くを会得することが可能です。ちなみに、このロマイザーは文献検索が専門で、こつこつと調べて資料を集めるのが得意なようですが、思考力を要する文学研究者の資質には欠けていました。ブラディー教授が移籍する以前には、文献検索、テキスト分析、比較研究が研究の主流だったようです。ブラディー教授の場合は、ありとあらゆる手法の文学研究をします。文化人類学、社会学、心理学などの観点から文学作品を吟味し、その構造を明らかにしていきます。オーストラリア出身でソルボンヌ大学から博士号を持っています。テネシー大学フランス語学科は、一般に教授のみばかりか大学院生のレベルも低く、そのために教授と大学院生の関係が保たれていたようです。一方、ブラディー教授の場合は学生の発案を重んじる一方、要求レベルが高くなり、多くの学生、特に女子学生から恨みを買うようになったようです。一方で、そうした女子学生に人気のあるのがロマイザーです。ロマイザー自身もブラディー教授のような研究者には強い劣等感を抱いており、更には自らがテネシー大学教授たるには不都合が生ずると判断したのでしょう、何とかブラディー教授を追い出そうと策略を練るようになります。同教授の研究業績は非の打ち所がありませんから、コースの教え方を問題にします。どうやら、私は同教授のコースを多く履修した故に恨みを買ったのかもしれません。更には電話攻撃のお陰で、どんな仕打ちをしても周囲からは何の咎めも受けなくなります。私は人生に投げやりの状態で暇つぶしにフランス語を勉強していましたから、周囲の人間関係など全く無視していました。いつの間にかロマイザーが最終試験の主査となってしまい、全く出たら目なやり方で不合格とされてしまいます。こちらとしても大学での人生には嫌気がさしていましたし、こんなバカ教授連中からの学位など必要あるかと開き直り、何の抗議もせずに帰国することになります。自殺も選択の一つでしたが、こんなバカ連中が理由ならば、自殺の価値はないと判断しました。
ここでもう一度、バカ木の唱えた「存在要素の分散」を考えます。「何か政治力を有している人物が存在するが、それが誰であるかは不明である」という状態が生ずる場合、ロマイザーのような人物にイメージが収束する傾向にあります。格好を付けるだけで教授としてやってきた訳ですから、自分のものに出来るイメージは必ず取り込んでしまいます。一方では、色々と有利な状況が発生するようになります。何故か知らないが、私が移籍してきたら予算が多めに割り当てられたりします。しかし、電話犯罪が継続していますから、私に直接の恩恵はありません。ここで重要なのは、電話攻撃を免れている連中が存在することです。特に情報提供する連中には危害が加わりません。そういった連中は、私に対する態度で見分けることが可能となります。そして、ロマイザーは明らかに免れていたようです。思考力に乏しい人間が大学に生き残る場合、幾らでも攻撃の理由が見つかる筈ですが、それどころか天才として評判を立ててしまいます。ブラディー教授との「戦い」と電話犯罪の被害者である周囲の圧力で、全く考えられないやり方で不合格とされてしまいました。私の答案の代わりに他人のものを不明な人物に採点させて、更に採点者のコメントとは掛け離れた紋切り型の不合格通知を送ってきたのです。私の解答とは全く的外れのコメントを会議で読み上げ、疑問を投げる他の教授を無視して、あっと言う間に不合格としてしまったようです。もちろん、模範解答などは頂けません。電話犯罪のため感覚麻痺している環境で発生した茶番劇でした。
すなわち、バカ木が提唱した「存在要素の分散による存在の抽象化」により、私自身の本来の存在が電話犯罪により切断され、宙に漂う存在要素が不特定多数の近似要素と同化するようになり、その中にあって、ロマイザーが代表元の役割を演ずるようになります。実力に乏しい分、周囲のふりを見て行動を取るタイプですから、ブラディー教授に対抗する意味も充分にありますが、都合の良いことに、電話犯罪で周囲の容認もしくは黙認が得られたこともあり、平気で残虐行為に等しい落とし方をしたのです。とは言うものの、私の存在自体がテネシー大学から消滅すると、今度は逆に、何故大学に残るように取り計らなかったのか、と責められるようになったはずです。特に、電話犯罪を受けていないテネシー大学外部から発せられるようになったはずです。真の理由はブラディー教授に対抗するためであり、電話犯罪が絶好の補助になった訳ですが、こうした経緯は外部に対しては理由になりません。一方で、このロマイザーという男は色々な所から情報を得ているはずであり、私に銃乱射事件を犯せようとしている動きを察知したはずです。答案には全く無関係に不合格としたことは明らかでしたから、他の何等かの理由が必要となります。こうして、バカ木連盟との共通点が生じたのです。先ず、バカ木連盟としては自らの責任を丸投げ出来る人物を必要としており、ロマイザーとしては、バカ木連盟のように、私の面倒を見ている振りをすれば、良い事が生じます。そして、両者とも私を闇から闇へ葬り去りたいのが本音です。
ここで一転して、電話犯罪が行われる過程を考えます。元々は、「そんなものには完全な対策がある、そんなことも判らないのか、だから真珠湾攻撃や神風特攻隊といった愚行をするのだ」としたバカ木のバカ発言から生じたものです。バカ木連盟の作戦も同様の路線を踏みますが、電話する側は何とかして具体的な方法を教えてもらおうとします。こんな電話をしても構わないか、こんな結果になったがどうなのか、等々といった質問に対しては口先でかわします。やり方にけちを付けたり、完全な対策は在ったのだが用いられなかった、等々といったものです。こうして行くうちに、建物の名前などで中傷電話をかけると銃乱射事件が引起せることを発見します。昨年から今年にかけて銃乱射事件が異常なまでに多発しましたが、それ以前は単発的なものでした。バカ木連盟しては、「発覚していないのは完全対策が存在するからだ」、などとしていたのでしょう。ここで注目したいのは、銃乱射事件の発生頻度の急激な変化です。何等かの変化が生じたはずであり、バカ木連盟が全てをロマイザーに丸投げして、自分たちは補助のみを行うという路線に踏み切ったと考えます。すなわち、電話をする側、即ち「完全対策」を伝授してもらおうと努力する側とロマイザーの関係を取り持ち、自分たちは補助役のみを担うことにしたはずです。ここで注目したいのは、こうした電話犯罪はロマイザーの趣味に合うものです。ブラディー教授と親しくなった学生を攻撃することにより、自らの力を誇示し、ブラディー教授に対抗しよう、という陰険な作戦を平気でする男です。何となれば、このロマイザーはアンドレ・ジッドというフランス人小説家の大ファンであり、特に「偽金作り人」なるタイトルの小説を授業で読ませたりしています。実力不足のために格好を気にしますが、こうした電話犯罪を連続して発生させることにより、自らの力を見せたかったのかもしれません。更には、平気で将来有望な大学院生の未来をぶち壊したりする性格ですから、銃乱射の犠牲者に対して何も感じないはずです。この「偽金作り」と言う小説では、列車の出入り口の前に見知らぬ人が立っているのを主人公が発見し、他に人が居ないのを確認した上で、いきなり蹴飛ばして車外へ放り出してしまうシーンがあります。まさにロマイザーの性格を表しています。「偽金」を用いて大学教授になった人物です。更にこの男は、大学院生のための資金の一部を裏金にして、自分の気に入った学生との遊行費に当てていたことで有名でした。このような良心の一欠片もない男に、全ての責任を丸投げしたのです。しかも、以前はバカ木連盟を補助し、今度はロマイザーを補助する集団が存在し、ロマイザーは単にリクエストをしたり、情報収集をしたりするだけで銃乱射事件を引起せる状況となったのでしょう。ロマイザーは文献検索が専門ですかから、銃乱射犯人に仕立て上げる人物の選択と個人情報収集はお手の物であったはずです。恐らく、自分の言いなりになる連中を利用したのでしょう。こうして、昨年から今年にかけて異常な件数の銃乱射事件が発生するに至ります。
ここまでに合計3名の人物を名指しにしていますが、当然、バージニア工科大学のドナルド・マキーン教授にも同じ3名について伝えてあります。間違いなく、米国連邦警察にも情報が届いているはずですし、電話犯罪に関する捜査が行われているはずです。今年2008年2月には短期間に連続的に銃乱射事件が発生しましたが、現時点の2008年5月下旬までの数ヶ月間は静まり返っています。今後の動向が注目されます。
終の章: Voe Victis!
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