極東イタリア軍

2010年07月20日 23:13

【皇国の敵か?】 極東イタリア軍 【味方か?】

1 :カンターレ:2010/07/17(土) 23:32:04 ID:B7HAHagT

アジアでも最強を誇ったヘタリア軍をマターリと語ろう


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2 :カンターレ:2010/07/17(土) 23:34:05 ID:B7HAHagT
ローマ発第1信:お約束の武器弾薬


極東イタリア軍の存在は1901年の北清事変(義和団の乱)に遡ります。
北清事変出兵は、日本にとっては初めての多国籍軍への参加でありました。
同様に、国力的には列強と言いきれない微妙な立場のイタリアにとっても、
背伸び一杯の中国派兵でした。
2隻の砲艦(レパントとカーロット)が派遣され、天津のイタリア租界
警備のために陸兵が上陸し、極東におけるイタリア軍の駐留が始まりました。


3 :カンターレ:2010/07/17(土) 23:35:28 ID:B7HAHagT
ローマ発第2信:
天津におけるイタリア軍は、1940年に若干増強されたということ以外には、
その動向はほとんど知られていません。(イタリア軍らしく、
食べて、歌って、支那娘と恋をしていたのではないでしょうか。)



4 :カンターレ:2010/07/17(土) 23:38:01 ID:B7HAHagT
ナポリ発第3信:
ドイツの尻馬に乗って、イタリアは1940年の6月に英仏に参戦したましたが、
それがほとんどまともな準備無しに行われたとということは
皆さまご存知でしょう。
当時イタリアはエチオピアを植民地としており、紅海のインド洋側出口
の要衝マッサワにはイタリア海軍紅海艦隊が駐留していました。
この艦隊は英国海軍に比べると圧倒的に劣勢であり、イタリアの東アフ
リカ帝国の消滅は時間の問題でした。



5 :カンターレ:2010/07/17(土) 23:40:43 ID:B7HAHagT
ナポリ発第4信:
結局1941年の4月にマッサワを含むイタリアの東アフリカ領は
英軍に掃討されてしまいますが、それに先立つ2月、イタリア紅海艦隊は、
脱出を始めます。そう、この地域での唯一の友好国である日本に向けて。


6 :カンターレ:2010/07/18(日) 00:07:15 ID:BGF6igxG
ナポリ発第5信:
脱出艦隊は、砲艦エリトリア(12cm砲×4、40mm機銃等装備)、
特設巡洋艦ラム1号、ラム2号(どちらも高速バナナ輸送船
を改造し、12cm砲を4門と対空火器を搭載した)の3隻。
3隻は日本・神戸を目指して出航したましたが、インド洋にて
英国巡洋艦により執拗に追跡される羽目になったのです。


8 :カンターレ:2010/07/18(日) 07:19:00 ID:BGF6igxG
ナポリ発第6信:
英国巡洋艦は送り狼のようにつきまとい、ついにモルジブ島
沖でラム1号は、英軽巡リアンダーにより撃沈されてしまう。
(なお、リアンダーは2年後、コロンバンガラ夜戦で日本の
第二水雷戦隊によりボコボコにされ、日本が敵討をとって
あげています。)
一方、エリトリアとラム2号は英海軍の追跡をまき、
スンダ海峡経由なんとか1941年3月に神戸にたどりついています。

レジナマリーナ(イタリア海軍)はこの2隻を太平洋での
通商破壊戦に出動させたかったのですが、対英米開戦を
自分のタイミングで行いたかった日本はこの2隻の
軍事行動を12月の日米開戦開戦まで許しませんでした。

シンガポール陥落後、この2隻はシンガポール・ペナン
基地をベースにインド洋に展開するイタリア潜水艦の
母艦として使われました。



9 :カンターレ:2010/07/18(日) 07:29:07 ID:BGF6igxG
ローマ発第7信:
海軍の話が続きましたが、この時期レジナ・アエロノーティカ
(イタリア空軍)も初めて極東に進出しました。

クリミア半島を離陸したサボイア・
マルケッティSM82が、中国北部の包頭飛行場を経由
して福生飛行場(現在の米軍横田基地)に1942年7月飛来
したのです。


12 :カンターレ:2010/07/18(日) 07:57:31 ID:BGF6igxG
ローマ発第8信:
マルケッティ機の素晴らしい偉業を、日本はひた隠しに
隠しました。
サボイア機がソ連領空を侵犯して飛来してきており、
日ソ中立条約を危うくさせるものと日本は考えた
のです。むしろ日ソ開戦させるための陰謀ではないか
と邪推したりもしました。

日本に無視されたサボイア機は憤然と
同じルートをたどって帰国しています。
ここでも日伊はまったく噛みあっていません。

そしてその1年後の1943年9月2日、ムッソリーニは失脚し、
なんとイタリアはあっさり降伏してしまいます。

遠くインド洋に展開していたイタリア軍はどうなったの
でしょうか。


13 :カンターレ:2010/07/18(日) 08:00:00 ID:BGF6igxG
ナポリ発第9信:
まず、輸送潜水艦カグニがインド洋をシンガポール
を目指して航行中でしたが、あっさり南アフリカの
ダーバン港へ転針、そこで英軍に降伏しました。

例の砲艦エリトリアはシンガポールからスマトラ島北端の
サバンへ移動中でした。フランスから到着するイタリア
補給潜水艦キャペリーニに補給する予定だったのです。



14 :カンターレ:2010/07/18(日) 08:03:53 ID:BGF6igxG
ナポリ発第10信:
しかしロイター電でイタリア降伏を知るや否や、
エリトリアはキャペリーニを見捨て、最大速度で英軍
のいるセイロンのコロンボ港に向けて脱出していきました。
日本は海軍機による捜索を始めましたが、捕捉することは
できませんでした。
エリトリアは追撃する日本軍を振り切り、無事に(?)
英軍に降伏してしまいました。

一方、フランス・ボルドーからはるばるやってきた
日本宛物資を満載したキャペリーニは、エリトリアを
発見できません。どうすべきか、サバンで思案にくれます。


15 :名無し三等兵:2010/07/18(日) 12:56:01 ID:???
ヘタリア人は生まれながらの卑怯者



16 :カンターレ:2010/07/18(日) 16:07:43 ID:BGF6igxG
まあ、卑怯ということになるかもしれないけど、
究極の個人主義とも言えるよな。
正直、日本と全く違う国民性に魅力を感じるところもあります。


17 :カンターレ:2010/07/18(日) 16:17:14 ID:BGF6igxG
ナポリ発第11信:
日本宛重要物資を満載したイタリア輸送潜水艦
キャペリーニはボルネオ北端サバンで思案に
くれます。英軍に降伏すべきか、日本軍に
降伏すべきか。
乗員会議の結果、日独と共に戦い続ける
ことに決定、ムッソリーニが北伊に建てたとされる
ファシスト同盟に忠誠を誓うことにしたのです。


18 :カンターレ:2010/07/18(日) 16:25:09 ID:BGF6igxG
ナボリ発第12信:
日独への帰順の連絡は快く日本海軍に受け入れられ、
日本海軍の護衛のもと、キャペリーニはシンガポールに
入港してきました。
しかし上陸後、アウコーニ艦長の日独への忠誠、継戦宣言
にも関わらず、キャペリーニは接収され乗員は敵性勢力と
して拘束されてしまったのです。「平岡少将の嘘つき!」
とアウコーニ艦長は叫んだことでしょう。


19 :カンターレ:2010/07/18(日) 16:28:43 ID:BGF6igxG
ナポリ発第13信:
シンガポール入港中の他の伊潜水艦も大変な運命を
たどりました。輸送潜水艦ジウリアーニとトレーリ
はシンガポールにあって、フランス向けにまさに
出航準備中でした。
生ゴム、タングステン、キニーネ、胡椒など
欧州では入手できない戦略物資で艦内は一杯です。
乗組員は継戦を希望したのにもかかわらず
幹部は降伏を主張したのです。


20 :カンターレ:2010/07/18(日) 16:33:22 ID:BGF6igxG
ナポリ発第14信:
結局、継戦を希望した乗組員はシンガポールのドイツUボート
司令部の指揮下に入ることが許され、独伊混合の乗員で運用
されるドイツ潜水艦として戦い続けることになったのです。

そして1945年5月のドイツ降伏後はキャペリーニはイ503号、
トレーリはイ504号となり、今度は日本海軍潜水艦となり
ました。この時点においてもなんと約20名のイタリア乗員
が乗り込んでいたと言われます。
このトレーリあらためイ504号は、1945年8月30日に米軍
のB-25ミッチェル爆撃機を撃墜し、「日本海軍の最後の戦果」と
イタリア人は言っています。


21 :カンターレ:2010/07/18(日) 16:41:38 ID:BGF6igxG
ナポリ発第15信:
日本近海におけるイタリア水上艦艇もそれぞれの運命
をたどります。
イタリア降伏時、砲艦レパントとカーロットは大型客船
コンティ・ヴェルデと共に上海におり、また特設巡洋艦
カリティア2号(旧ラム2号)は神戸で修理中でした。
レパントとカーロットは上海にて、カリティア2号
は神戸にて、それぞれ日本軍の手に落ちないように
9月にイタリア乗員の手で自沈してしまいます。
これらの行動は日本側をいたく刺激し、
乗員は完全に敵性として捕虜収容所へ移送されました。
英米捕虜と同じ過酷な取扱をうけることとなったのです。



22 :カンターレ:2010/07/18(日) 16:48:07 ID:BGF6igxG
ローマ発第16信:
中国のイタリア陸軍にとっても本国の降伏は全くの予想外で、
混乱が続きます。

1943年9月9日、北京のイタリアラジオ局を警備していたイタリア兵
100名は、突如1,000名の日本軍、15台の軽戦車に包囲されて
しまいます。小競り合いの後、1943年9月10日に降伏します。
北清事変以降、中国イタリア陸軍の唯一の戦闘は、
この日、皮肉にも同盟国日本軍との間のものでした。

しかし、降伏後、ほとんどの兵士は日独側に寝返ること
を宣誓し、収容所送りを免れます。一方、日独への協力
を拒絶した主に将校を中心とする29名は朝鮮の
捕虜収容所に送られ過酷な取扱を受けます。


23 :カンターレ:2010/07/18(日) 19:01:02 ID:BGF6igxG
ローマ発第17信:
さて、極東最大規模のイタリア陸軍である天津駐屯軍の運命はどうでしょうか。
カルロ・アキーラ少佐率いる、歴史ある天津イタリア軍部隊600名も、田中中佐率いる
一個連隊6,000名の包囲を受けました。

天津イタリア租界の中心、市庁舎近くにあるエルマンノ・カルロット要塞に立てこもった
彼らには、小銃300丁、ブレダ・フィアット機関銃50台、ランチア装甲車4台を含む車両9台、
小銃弾2百万発に、数週間分の食糧がありました。日本軍と一戦交えるには充分な
ものでした。

田中中佐は降伏勧告をアキーラ少佐に送りますが要塞内では主戦派が主流でした。そこで田中中佐は数発の砲弾を威嚇のため打ちこむとともに、さらに一個師団の兵力が戦車部隊とともに到着する、という勧告したのです。

ここにイタリア軍の士気は総崩れとなり、要塞は開城、降伏となりました。

北京ラジオ局同様、600名のイタリア兵のうち170名が北伊ファシスト政権に忠誠を誓い、
日独と共に継戦を宣明し、拘束を逃れました。他の将兵は日独との協力を拒み、天津、
朝鮮、日本の捕虜収容所に移送されたのです。


24 :カンターレ:2010/07/18(日) 21:11:13 ID:BGF6igxG
ローマ発第18信(最終報告)

最後まで日本側についたイタリア軍将兵は、
1945年9月に米軍が進駐してきた際に捕虜と
なり、マニラとホノルルに移送されました。

米国はこれら極東のイタリア将兵について、
最後まで日本側に寝返った、寝返らなかった
ということには興味ありませんでした。
(当のイタリア兵たちはあんなに悩んだのに)

あっさり、全イタリア将兵は1946年3月まで
に母国ナポリ港に送還されています。

ここに半世紀におよぶ極東イタリア軍の
歴史の幕は閉じました。

日本にとっても、
1)戦局に貢献しない、
2)敵か味方が微妙、
3)個人的には良い思い出が多く、意気投合した
  個人は最後まで共に戦う、
など、まことにイタリア的な戦いだったのではないか
と思います。

イタリア人と飲みに行く時の酒のサカナにでもしてください。


25 :名無し三等兵:2010/07/19(月) 01:12:41 ID:???
日本軍はアメリカに参戦理由を与えて敗戦の原因を作りましたものね
それに比べれば、イタリア軍が戦争に与えた影響なんて微々たるものですよね?


26 :名無し三等兵:2010/07/19(月) 07:52:52 ID:U6DcBdV8
ジャップの捕虜収容所であんなことやこんなことは
されなかったんだろうか・・。

つーかアウシュビッツ並の待遇だったんだろ。
日本の捕虜になった香具師は。


27 :逝け袋キター!愚痴:2010/07/19(月) 08:18:31 ID:???
昔々のTV番組でイタリア人一家(民間人?)が捕虜収容所(??)で食糧が不十分で子供がかわいそうだから量を増やしてくれ、と訴えたが無視され続け、怒りのあまり自分で指を食いちぎったという話をやってた。
その後の取材で当時の収容所の看守(?)にレポーターが執拗に迫ったが、すでに老人になっていた元看守は言を左右に逃げまくっていた。

戦時中のイタリアと日本というと、あの話ばかりが頭に浮かんでいた。
スレ主に感謝。
こんな話もあったんだねぇ。


28 :カンターレ:2010/07/19(月) 13:15:31 ID:ie/XCkJX
レスをつけてくれた方々、ありがとう。
あまりにレスがないので、ヘタリアの話はあまり
受けないのかな、と思っていました。

今でもイタリア人は英語を話しませんが、一体あの頃、どのように
日伊の将兵が会話していたのか、そもそもアジアでイタリア人達が
何を喰っていたのか、妄想のタネは尽きません。

終戦間際、イ504号には日・独・伊混合乗員だったような記述もあり、
興味は尽きないです(まさか出撃はしていないと思いますが...。)

スレを閉じるにあたり、お約束のソースです。

ビバ・イタリアーノ!

http://comandosupremo.com/fareast.html
http://www.regiamarina.net/detail_text.asp?nid=88&lid=1
http://www.regioesercito.it/
http://www.uboataces.com/articles-fareast-boats3.shtml


29 :逝け袋キター!愚痴:2010/07/19(月) 17:54:50 ID:???
こうして見るとイタリア軍とうまく協同してれば少しはマシだったんじゃないかと思えてくるな。

英語を話すイタリア人による和+伊製スコルツェニー部隊で南方や沖縄で広報撹乱とか、イタリア戦線で2世部隊に紛れ込む義烈隊とかの妄想が膨らむなぁ。
まつだたいせいに漫画化して欲しいねw


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