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牙狼―GARO―魔法少女篇 第一話「終焉」 その1

2011年11月21日 19:00

まどか「黄金の……狼……」 牙狼―GARO―魔法少女篇

1 :1 ◆ySV3bQLdI. [sage]:2011/04/22(金) 00:21:06.94 ID:Nr8ofJqk0

特撮ドラマ『牙狼〈GARO〉』と『魔法少女まどか☆マギカ』のクロスオーバーSSです。
まどかは基本的に第10話時点での設定で進めます。
その為、勝手な予想、妄想、設定の改変等が入るかと思います。ご了承ください。

時系列としては、まどかは最初から。
牙狼は暗黒魔戒騎士篇(TV本編)→白夜の魔獣篇(OVA)→RED REQUIEM(劇場版)終了後から更に後、
使徒ホラーをすべて封印した直後くらいと考えています。

牙狼の映像作品はすべて目を通しましたが、小説、設定資料集は未読。
その為、設定と食い違う可能性があります。また、意図的に改変する場合もあります。
進めながら、なるべく購入してチェックするつもりですが、
詳しい方はどんどん突っ込みを入れていただければと思います。
その際、軌道修正できるものは修正。できなければ独自設定ということで補完をお願い致します。

PS2ゲーム、パチンコはプレイしていません。これに関しては今のところ予定はありませんので、
経験者の方、使えそうなネタがあれば是非教えていただければ幸いです。
(ゲーム・設定資料集はプレミア価格なので。
パチンコでは本編に出ていない色んな技名があったりするとか聞いて、気にはなってるのですが……)

【この作品には残虐表現が含まれます(エロもあるかも)】

牙狼ファンの方には言うまでもないかもしれませんが、

【苦手な方はご注意ください】


以上、長々と前書きを失礼致しました。


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 私は知らなかった。
 この世界には、とても人智の及ぶものではない、謎めいた存在が数多く潜んでいるということに。

 それはすぐ近くにいるのに、誰も気付かない。気付けない。
 無数の人間が行き交う街の雑踏。
 もしも、その中から一人や二人消え、二度と帰ってこなかったとしても、きっと大半の人間は気にも留めないだろう。
 周囲の関係者は騒ぐだろうが、それとて一過性のものに過ぎない。日常の波は全てを覆い隠し、世界は無常に流れていく。

 奴らは、そこに忍び込む。世界の隙間、街の隙間、人の心の隙間に。
 じっと暗がりに潜み、手招きしているのだ。獲物がやってくるのを。
 そして夜が来れば動き出す。

 自ら街に繰り出し、狩りを始めるもの。
 使い魔を放ち、それを操るもの。
 不安や恐怖を煽り、縄張りに獲物が踏み込んでくるのを待つもの。
 それぞれである。

 古来より、夜は人の時間ではなく、闇は人の領域ではない。それが本来の在るべき姿。
 知らずに来る者には罠が、確信で来た者には罰が与えられる。
 いくら作り物の光で照らそうと所詮は偽り。昼のそれに比べれば、闇の全てを照らすにはあまりに心許ない。
 故に、その存在を知る者は夜が訪れる度に怯え、知らない者が知る時、大抵の場合は既に手遅れだった。

 では、人に抗う術はないのだろうか。
 自分の番が来ないよう祈りながら、ただ狩られるのを待つばかりなのだろうか。
 夜毎繰り返される、何千分の一かのルーレットに当たってしまった人間は、己の運のなさを嘆くしかないのだろうか。

 答えは否。
 光の世界から弾き出され、或いは引きずり込まれ、闇に囚われた者にも最後の救いは残っている。
 もっとも、救いの手が差し伸べられるまで運良く生きていられれば、ではあるが。

 私には、その為の力があると思っていた。人を脅かす敵を蹴散らし、闇を祓えるだけの力が。
 最初こそ、この力を他人の為に振るおうかとも考えた。
 動機は甘い英雄願望だったのか、恐怖に立ち向かう術を求めたのか。今となっては定かではない。

 だが真実は違った。
 やがて私は知ることになる。私もまた、闇に囚われた哀れな虜囚でしかなかったのだ。

 私は悲嘆し、絶望に暮れた。大切な人が傷つき、助けを求めていても何もしてあげられない。
 無力感に苛まれ、歯痒さから私の心までも黒く諦観に染まりかけた時――

 私を救ってくれた人がいた。
 希望を示してくれた人がいた。

 それは剣という名の牙を持つ狼。
 金色に輝く鎧を身に纏い魔を戒める戦士。
 神々しいまでの威光を背負い、遥か古より闇と戦い続ける勇者。

 その時、私は知ったのだ。真に人を"守りし者"は誰かを。
 もっとも彼にしてみれば、私は救った数多の人間の、ほんの一人であり、この街に立ち寄ったのも寄り道以外の何物でもなかったのだろうが。

 彼の孤独な戦いは、闇の世界でのみ紡がれる彼の英雄譚は、光の世界の記録にも記憶にも残らない。
 それでも彼は戦い続ける。私と出会う前も、そして別れた後も。
 その命果てるまで。ごく一部の人間を除けば、誰に知られることもなく。
 彼らの戦いは人がこの世に在る限り決して終わることはないのだから。

 ならば、せめて私は覚えていたい、形にして残したいと思う。 

 故に今こそ語ろう。闇を斬る破邪の剣士の知られざる物語を。

 私と彼女らだけが知るであろう、偉大なる騎士伝説の一頁を。



第一話「終焉」



 街は夜の帳が下り、すっかり静まり返っている。
 時刻は21時を回った頃、都会と呼ぶほど大きな街ではないにしろ、いつもなら往来は人で賑わっていてもおかしくないのに。

 赤い長髪をポニーテールに括った少女は街を歩きながら、そんな感想を抱いた。
 少女は街の光景に違和感を覚えながらも、足取りはしっかりしたもので、そこに不安や恐怖は微塵も感じられない。
 それもそのはず、少女はこの違和感を知っている。いや、むしろ待っていたとも言えた。

 繁華街の一角、大通りから少し入った辺りに小さな廃ビルがある。
 自殺や不慮の事故で所有者が転々としている、いわゆる"いわく付き"の物件だが、少女にとっては知ったことではなかった。
 口にポッキーを加えたまま、鼻歌交じりの軽い足取りで開いた窓から不法侵入を試みる。

「ん? この感じ……」

 だが、ビルに一歩入った瞬間、少女は再びの違和感に眉をひそめた。いや、違う。
 違和感がないことに違和感を覚えた、と言うべきか。
 さっきまでの、おどろおどろしい感じ。奇妙な寒気や、肌が粟立つざわつきが今はまるで感じられない。

 おかしい。
 確信したのは、瓦礫や散乱した物を蹴飛ばしながら、暗い階段を三階まで上がってからだった。
 三日前に訪れた際は、ここで結界に遭遇したのに。魔女の手下どもが徒党を組んで襲いかかってきたのに。

「ちっ! やられたか……」

 言うが早いか、少女は階段を二段飛ばしで駆け上がる。
 今やここはただの廃ビル、もう警戒しながら歩く必要はないからだ。
 一分と掛からず屋上階に達した彼女は、屋上の扉を蹴り開けた。

「あの野郎……やっぱりいやがった」

 憎々しげに呟いた先には、黒い人影が円い月に照らされ、ぼんやりとした輪郭を浮かび上がらせていた。
 背中に刺繍された、二本の連結された剣の紋章が月光を反射している。

 どうやら、ここが戦場であり、始末が着いたのはつい今しがたらしい。
 影は両手に持った銀色に光る剣を振りながら、流麗な仕草で両腰の鞘に収めた。

「おい! そこの黒いの!!」

 キン、と鞘から金属音を鳴らし、黒いのと呼ばれた影が振り向く。

 二十代前半から半ばほどの若い男だった。
 中央で分けた黒髪に、脛まで丈のある黒のロングコート。
 おまけにインナーも黒ならパンツも黒だ。これでは黒いのと呼ばれても仕方がないだろう。

「よっ、あんこちゃん」

「テメー……」

 目元の優しげな男は愛想良く、にこやかに笑って手を振る。
 見るからに人の良い笑顔に対する少女の声は重く、低い。明らかに怒りが籠っていた。
 それもそのはず。少女の名前は「あんこ」などではない。

「またその名で呼びやがったな! あたしはきょうこ、佐倉杏子だ! 何度も言わせんな!」

「悪い悪い。呼びやすいもんだからさ。それに、あんこちゃんのがかわいいと思うけどなぁ」

 おどけた上に悪びれない男の態度に少女――杏子は左手をかざす。
 中指にはめた指輪、赤い宝石が光を放つと、一瞬で杏子の手の内に槍が握られた。
 杏子は迷いなく男に向け槍を突きつける。しかし事ここに至ってなお、男は微笑を崩さず動揺も見せなかった。

 ――この男はあたしの商売敵だ。
 いや、商売じゃないから商売敵という表現は少し違うか。かと言って、他に適当な表現も見つからない。

 二週間ほど前、ふらりと街に現れたこいつは、ことごとくあたしの先回りをしては結界を潰して回っていた。
 駆け付ける頃にはいつも終わった後で、あたしは現場も見ちゃいない。
 あんまりかち合うもんだから、苛ついたあたしは、ある日こいつを問い詰めた。

 結果は今のやり取りが示すように、のらりくらりとかわされ、逆に情報を引き出されてしまった。
 でも、教えてしまったのは名前と戦い方、『魔女』と呼ばれる存在を狩り、グリーフシードなる黒い石を回収していること。
 他には何も知られていないはずなのに、こいつは何を知っているのか、思わせ振りに頷いていた。

 そのくせ自分のことは何一つ語らず、分かっているのは腰の双剣を使って魔女を狩ってるってことだけ。
 いつもニヤニヤして、あたしをからかって、あしらって。

「こないだ関わるなっつったのに……。ここの使い魔はあたしが狙ってたんだよ!」

「ああ、知ってたよ」

 男がにっこり笑った瞬間、あたしの中で何かが切れる音がした気がする。
 ああ……そいつはきっと、堪忍袋の緒、という奴だろう。
 今、わかった。あたしは、こいつが大嫌いだ――。

「今日という今日は身体で分からせてやんなきゃ駄目みてーだな!」
 
 杏子は槍を突き出して男に突進する。
 殺しはしない。歯か骨の数本も叩き折ってやる程度で済ませるつもりだった。
 これ以上の情報を与えたくないので、戦闘用のドレスは纏わず、槍だけで済ませる。

 まずは勢いに乗った突き。と言っても、流石に貫けば殺してしまう。最初から男が避けるのは織り込み済み。
 右か左に避けたところで胴を薙げば、肋骨を折れる。案の定、男は杏子から見て左に動いた。

「もらった!」

 槍を薙ぎ払う杏子。しかし勝利を確信したのも束の間、男は真上に跳んだ。
 杏子の槍は男の胴を狙って振るわれた。それを跳躍でかわすなど不可能――かに思われたのだが、男はやってのけた。
 男の足は今、杏子の頭の高さにある。優に1m50cm以上の高さを、助走もなしに垂直跳び。
 両手で大きく空振った槍を戻すことも忘れ、杏子は茫然と呆気に取られた。

 思考停止していた時間は長くはなかった。時間にして約一秒。すぐにやばいと気付き、腰を引く。 
 男の足は目の前、顔面を蹴り飛ばすには絶好の位置。

――ちっ! 間に合うか!?

 思考ばかり先走って、身体が思うように動かない。
 こんな時、時間でも止められれば便利なのに、などと益体もないことを考えてしまう。

 男の右足が空中で振り被られる。
 バックステップと同時に左手を戻す。
 だが間に合わない。
 蹴られる!

 杏子は目を固く瞑り、来るべき衝撃と痛みに備えた。
 傷付いた肉体の修復は容易にできるし、痛覚の遮断もできないことはない。
 それでも痛いものは痛いし、咄嗟の遮断が間に合わないこともある。

 が、数秒経っても衝撃は襲ってこなかった。
 スタッと軽い着地音。目を開くと、男の顔が間近にあった。

「怖がらなくても、女の子の顔を蹴るなんてしないよ」

 相も変わらずニヤついた微笑みを張り付けた顔。
 図星を突かれたことと、侮られた怒りが沸々と湧き上がり、杏子の顔が見事な朱に染まる。

「テメ……――っ!?」

 杏子の表情が怒りに、続いて驚愕に歪む。
 今、ムカつく顔が目の前にある。杏子は当然、殴ってやろうと槍を振り上げた。振り上げようとした。
 しかし持ち上がらない。男の左手は、しっかりと槍の柄を握っていたのだ。
 常人を凌駕する自分の、《魔法少女》の腕力が抑え込まれている。

「使い魔を魔女になるまで育ててたんだっけ? でも、そんなことしてると、一般人が犠牲になっちゃうんだぜ?」

「んなこと知るか! あたしにはあたしの事情ってもんがあるんだよ!!」

 不安を覆い隠すように叫んで、杏子は右腕にありったけの力を込める。そうして、ようやく拘束が解けてきた。
 ぐぐっと、徐々に槍が持ち上がる。どうやら腕力では勝ってるようだ。
 男の表情が変わる。笑みは消えたが、焦りや恐れは見られない。
 杏子はありったけの力を槍に注ぎ、男の腕を引き剥がした。

「おっと――」

 槍が高々と天を衝く。男は振り解かれる前に手を放したので、その行為は隙以外の何物でもなかったが、構わない。
 どうせ、こいつは余裕振って反撃する気はないのだ。杏子はそのまま、渾身の力を込めた槍を振り下ろした。
 起死回生の一撃。それすらも男は回避した。

 もっとも、いくら威力と速度だけが優れていようと、要はただの打ち下ろし。
 避けるのは容易い。そんなことは杏子とて分かっていた。これで退くと考えたのだ。
 砕けたコンクリートの破片が飛散する。そのうちの幾つかが互いの身体を打つが、どちらも退きはしなかった。

「悪いけどそれ、俺も同じなんだよ。使い魔でも人を食うんだろ? そうすると家族や知り合いが騒ぐ。
そんな事件が続くと世間に不安が広がる。結果的に奴らに付け込む隙を与える」

 男は前に前に、息がかかりそうな距離まで接近してくる。槍という武器の特性を理解した動き。
 しかも今度はコンクリートにめり込んだ槍を片足で踏ん付けている。そう簡単には覆せない。

「はぁ!? 奴らって誰さ!」

 槍を縮めるかとも考えたが、随分としっかり食い込んでいる。変身していない今の状態では取り出すのも一苦労か。
 この男の前でソウルジェムを晒すのも抵抗があった為、杏子は戦い方を拳に切り替えた。

 まず左手で拳を繰り出すが、見事なまでに空を切る。
 顔は勿論、胴を狙った拳でさえ、男は上半身を動かすだけで避けてしまう。
 如何に身体能力が強化されていようと、目にも留まらぬほどの速さで拳は打てない。
 単純なパンチやキックは逆に自分の体勢を崩すばかりで効果がなかった。

 こと格闘戦に措いて、杏子はほぼ素人だった。
 槍を使う以上、魔法少女の中では優れている方だと自負しているが、徒手空拳となれば話は別。
 魔女との戦いで体術を使うこともあるが、あくまで身体強化の恩恵と、槍と組み合わせて使うことで真価を発揮する。
 それらの条件を排除して単純な技量のみで比べた場合、この男の体捌きは杏子と比べ物にならないほど練達していた。

 特に杏子の場合、槍というリーチに優れた武器を生み出せる上に伸縮自在。
 三節棍のように鎖で繋いだ柄をばらし、変則的な軌道も取れる。
 槍と鎖で、ほとんどの状況に対応できるからこそ、他の戦法を磨いてこなかった。

 それ故の油断があったのかもしれない。殺さないよう手加減していたせいもあるだろう。
 しかし、だからといってこれは――!

「そうすると俺の仕事が増えるんだよ。ほら、俺も余計な仕事は増やしたくないし」

「っ! だからあたしの質問に答えろっての! だいたいテメーは何で、いつもいつもあたしの先回りしてんだよ!」

「こっちには優秀なナビがいるんでね」

 男がトントンと指で叩いたのは、左手の甲に付いたアクセサリ。鈍く銀色の光沢を放っている。
 よくよく見ると狼の顔が模られていた。

『そういうことよ、お嬢ちゃん』

 突如、そこから女の声が響く。艶のある成熟した女の声だが、電話越しみたく加工されている。
 おそらく、そこに通信機を仕込んでいるのだろうと杏子は考えた。

「ガキ扱いすんな!」

「ま、どっちにしろ俺は今日でこの街から出てくから安心しなって」

「はんっ! せいせいするよ。何処へでも行っちまいな!」

「この街のエレメントは浄化したし、もう奴らの気配もない。だろ? シルヴァ」

『その通りよ、ゼロ。それと、あんまり子供をからかうのはお止しなさいな』

どうやら通信相手はシルヴァ。この男はゼロと言うらしい。

「子供……!」

 だが、最早そんなことはどうでもいい。

「いや、かわいいからつい、な」

 子供。
 からかう。
  
 それらの単語に、いよいよ杏子の怒りは沸騰し、頂点に達した。
 
「っっざっけんなーーー!!」

 火事場の馬鹿力とでも言うべきか。
 杏子の両手が、コンクリートに埋まり片足で踏まれている槍を男ごと強引に持ち上げた。
 それだけでは終わらない。降りる間もないまま破片と一緒に空に打ち上げる。

 意図した形とは違ったものの、杏子は最大のチャンスを逃さない。
 空中なら逃げ場はないはず。
 自由になった槍を伸ばし、更に分割。鎖で繋がれた槍は蛇の如くうねり、獲物に襲いかかる。
 
「取った!」

 柄を引き、狙いを定めた。
 十数メートルにまで伸展した槍は、不自然な体勢で落下する男の脇腹を薙ごうとするのだが、

「な――!?」

 直前で男が空中で限界まで身を捩り、素早く回転。錐揉みしながら姿勢を変える。
 結果、槍は僅かにコートの裾を払ったに過ぎなかった。
 今度こそ捉えたと確信した杏子は焦り、一瞬、追撃の判断が遅れた。
 その隙に相手は着地、コンクリの床を砕きながら激しく波打つ鎖と柄から連続のステップで逃れてしまう。

 驚いたのはそこからだ。
 屋上の縁まで逃れた男は、先ほどの再会時と同じ、まるで友人に挨拶するように笑顔で手を挙げたのだ。

「ってことで、そっちが追ってる方は任せたぜ。元々、俺の本業じゃないし」

 追撃の手を止めた杏子は混乱した。
 だったら最初から横取りするな、と怒鳴る余裕すらなかった。

「あ、当たり前だ! 最初からあいつはあたしの獲物なんだかんな!」

 動揺を隠せなかった。まさか、そこから逃げる気か、と。
 その証拠に挙げた手の反対、男の左手は屋上の柵を掴んでいた。

「って、おい!!」

「俺は次のお仕事。ちなみに見滝原って街だ」

「聞いてねーよ!」

 軽いやり取りに男は苦笑すると、二本指で敬礼のような仕草を杏子に向け、

「じゃあな。バイバイ、あんこちゃん」

 またしても聞き捨てならない捨て台詞を放った。

「だからあんこって呼ぶなぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 杏子は再び爆発。
 思わず、最初の長さに戻った槍を怒りに任せて投擲した。

(やべっ――!)

 投げた後ではっとなる。
 刺されば即死である。横取りくらいで殺す気はない。投げておいて言うのも何だが、流石に男の身を案じた。
 が、既に杏子の意思を離れた槍は一直線に目標を貫かんと飛ぶ。もう、どうにもならない。

 結論から言うと、槍は男を貫くことはなかった。
 男が胸の高さの柵に手を掛け、その外――夜空に身を躍らせたのだ。
 槍は落下する男の頭上を掠め、闇に消えた。

「あぁぁあああああああ!!」

 杏子は叫んで柵に駆け寄った。
 まさかとは思ったが、男は屋上から飛び降りてしまった。これで死んだら寝覚めが悪過ぎる。
 小さなビルと言っても20mはある。とても生身の人間が落ちて無事な高さとは思えない。

 潰れてやしないかと、杏子はおそるおそる覗き込み――それが杞憂だったと知る。

 眼下に銀色の光が見えた。男の背中にあった双剣の紋章だ。
 更に目を凝らすと、ゆっくり遠ざかる黒のコートの輪郭が浮かぶ。

 壁面には所々に雨樋や出っ張りがある。そこに足を掛けて速度を殺しつつ、降下したのだろう。
 それでも落ちてから駆け寄るまでの時間を考えても、かなりの速度。取っ掛かりも数えるほどしかない。
 足を掛けたのは一瞬で、5~6mは一足飛びで降りたに違いない。

 あれが本当に人間なのだとしたら、生身の人間の底力を見せつけられた気分だった。
 ただの人間でも鍛えればあそこまで行ける、魔法少女にも匹敵し得るのだろうか。

「はぁ~~~~」

 杏子は長く大きな溜め息を吐いて座り込んだ。もう追う気にもなれなかった。
 酷い徒労感。
 下らない。馬鹿馬鹿しい。
 何で自分があんな奴の心配をしなければならないのだろう。

「何やってんだ、あたしは……」

 気力が萎えて何もする気になれない。
 座っているのも億劫だったので、大の字に寝そべって月夜を仰ぐ。

 今日はもう店仕舞いだ。
 最近グリーフシードのストックが少し心もとなくなってきたので、ここいらで補給したかったのだが。
 それも、もうどうでもよかったのだが、魔力を消費した分、ソウルジェムには少し穢れが溜まっていた。

「ああ……くそっ、無駄な魔力使っちまった。早めに掃除しとくかぁ……」

 寝転んだまま、ポケットから取り出した黒い宝石、《グリーフシード》と、指輪から変化した赤く輝くルビーのような宝石をくっつける。
すると宝石――ソウルジェムの表面に付着していた黒い染みがグリーフシードに吸着された。
 これで安心と、杏子はまた大の字になって物思う。思い浮かぶのは、あの謎の男。
 ゼロと呼ばれた男だった。

 ――つい二週間前、あいつと出会うまでの間、あたしは誰とも深く関わらなかった。
家と家族をなくしてからというもの、ずっと独りで生きてきた。

 他人に生の感情を剥き出しにしたことも、会話と呼べるほど多くを喋ったのも久しくなかった。
 当然だ。こんな事情、同じ穴の狢でもなけりゃ誰とも共有できるわけもなし。
 そこに現れたのが、あの黒いの。

 あたしが使い魔を育てる為に一般人を見殺しにしてると知っても、あいつは叱りもしなければ説教もしなかった。
 あたしは、何も知らないくせに上から訳知り顔で正論を垂れられるのが大嫌いだったから、それだけは少し嬉しかった。
 だからと言って、あいつは賛同もしなかった。

 ただ頷いただけ。
 理解を示しただけ。
 結局、あいつはあたしに先んじて、今夜の分の親玉を残して街の使い魔と何体かの魔女を全て狩ってしまった。

 それが余計にあたしを苛立たせる。
 獲物を横取りされたことにじゃない。
 考えてしまうんだ。

 もしかして、あたしは誰かに救いを求めてたんじゃないか。

 赦して欲しかったんじゃないか。

 教会でするみたく、懺悔がしたかったんじゃないかって。
 あたしは悪くない。生きる為に仕方がないんだと慰めて欲しかったのかも……。

 なんて思ってしまう自分が更にムカつく。

 手の中には、まだグリーフシードとソウルジェムが握られていた。
 このグリーフシードは元々、あたしが勝ち得たものじゃあない。
 魔女を狩ったあいつが、

「これが欲しいんならやるよ。俺には必要ないから」

 と言って投げ渡したものだった。癪だったが、貰える物は貰っとこうと受け取ったのだ。
 誰が倒してもグリーフシードさえ手に入るなら同じ。
 いや、自分の魔力を消費しないだけ得なのだが、やっぱり釈然としない。それは多分、理屈じゃないんだ。

 そもそも、あいつは何者なんだ?
 魔法少女とは違う――大人だし男なのだから当然だが――グリーフシードも必要としない剣士。

「ゼロ……」

 あいつが去った方角を見ながら呟く。

「一発も当てらんなかったな……」

 あいつとあたし、本番となれば、どちらが勝つだろう。
 あたしはまだ半分も本気を出していない。けど、奴も奴で遊び半分だった。
 腰の剣も抜いていないし、まだ他にも何か隠している気がしてならない。
 もし全力でぶつかれば、どちらかが生き、どちらかが死ぬか……。

 いや! 違う!!

 あたしは絶対に負けない。あんな太平楽な男とは懸けてるものが違う。
 戦う理由が違うんだ――。

「見滝原か……そういや、あそこには……」

 杏子は男の言葉を思い出す。
 次の仕事場、見滝原。どこかで聞き覚えのある街の名だと思っていた。

 この街の魔女も、分かっている限りでは残り一体。早々に片付けて河岸を変えるのも悪くない。
 どうせ宿なしの身だ。少なくとも、ここよりは退屈しないだろう。

 そうと決まれば、こんなところで寝ていられない。全身のバネを使って勢い良く跳ね起きる。
 頭上には円い月。明日の晩辺り、満月だろうか。
 やっぱり戦うなら、このくらい月の奇麗な夜がいい。ここみたく光源に乏しい場所なら尚更。
 もう周りは真っ暗なのに、月のせいか戦い易かった。奴の黒コートが闇に溶け切らず浮き彫りになっていたからだ。

 もちろん、それだけじゃない。円い月を見ていると気分が昂揚する。
 こんな美しい月光に、銀の双剣はさぞ映えることだろう。

 ふと思う。自分はこんなにも戦闘狂だっただろうか。
 それはあの男と戦ったせいか、好き嫌いは別として数少ない知り合いに逢えるからか。
 先ほどまでと打って変わって、杏子は狩りの前の興奮に酔い痴れていた。

 まるで自分が一匹の獣、満月に狂う人狼にでもなったかのよう。
 ならば狼らしく、獲物の喉笛を噛み千切って勝利の雄叫びを挙げてやるとするか。

 金色の月を見上げて、杏子は八重歯を剥き出しにして獰猛に笑った。



 夜が明けて朝が始まる。ごく普通の女子中学生――美樹さやかは、
いつものように起きて、いつのものように支度をし、親友二人と待ち合わせて登校する。

 既にその一人である志筑仁美は待ち合わせ場所に来ていた。もう一人が来るまで、彼女と適当に雑談で暇を潰す。
 話す内容と言えば、学校の勉強、行事。テレビや雑誌の話題、家族のこと、週末に遊びに行く計画等、極々ありふれたもの。
今日も昨日と同じ、そして明日も多少の違いはあれど、いつも通りの一日が過ぎていくのだろう。

 そう、だから友人の一人である鹿目まどかが少し遅刻してきたことくらい、些細な誤差に過ぎないと思っていた。
 彼女のトレードマークのリボンが、昨日までのものと異なっていたことも。
 ただ、そんな些細な変化も、退屈な日常では重要なエッセンスになる。
 さやかは、そんなまどかをからかいつつ歩を進めた。

「変な夢……見たんだよね」

 話題をリボンからそらす為か、まどかが今朝の遅刻の原因を語り出す。
 厳密には、それが直接の原因ではないらしいのだが。

「夢? どんな夢?」

「んっと……笑わない?」

 もじもじしながら、顔を赤らめるまどか。
 可愛らしい小さな身体と顔。おまけに無造作にこんな仕草をするのだから、女のさやかから見ても堪らない。
 
「笑わない笑わない」

「……やっぱり内緒」

 まどかは言い掛けてそっぽ向いてしまう。
 しまった、やはりニヤニヤが顔に出ていたのか。と、さやかは心の内で反省する。
 だからと言って、気になるものは気になるのだ。

「えー、何それ」

「隠されると余計に気になりますわ」

「だって笑われちゃうもん。私だっておかしいと思うくらいなんだから」

 ここまで言い渋るとは珍しい。よほど恥ずかしい夢なのかと考え、

「はは~ん、さては気になる男子の夢でも見たんだな~」

 ピンときた。
 と言っても、年頃の女子中学生が見る語りたくない夢となれば、色恋沙汰しか考えられないという、さやかの単純な推理だったのだが。

「ええ!? 違うよ! そんなんじゃなくって……」

「そうかそうか。まどかにもついに気になる男子ができたのかぁ……」

「まぁ……これはお赤飯ですわね」

「だから違うってば!」

 案の定、まどかは真っ赤になってかぶりを振る。どうやら嘘ではないらしい。
 でも、まどかの反応があまりにも可愛いので、もう少しからかいたくなる。

「それじゃリボンを変えたのも何か心境の変化ですの?」

 仁美も乗ってきたようだ。まぁ、彼女の場合は天然なのだろうが。
 まどかはというと、やっぱり必死で否定している。
 あまり弄り過ぎても可哀想なので、さやかはさり気なく助け舟を出した。
 
「色気づいちゃって、このこの。そうだよね、やっぱり仁美みたいにもてたいよねー」

「私……ですか?」

「またラブレター貰ったんでしょ? もてる女は辛いね~」

「仁美ちゃん綺麗だもんね。誰かに決めたりしたの?」

 まどかも誤魔化しついでに恋愛談議に興じている。

 矛先が向いた仁美は、やや困り顔で頬を赤らめている。
 まどかとは違うタイプだが、こんな姿も絵になるのが彼女だ。

「私は、その……お稽古事もありますし……なかなか殿方とお付き合いする間も……」

「へー、もったいない」

 と、さやかが油断していた時である。

「そういうさやかさんはどうなんですの?」

 不意打ちだった。
 人に振っておきながら、まさか自分に振られると思っていなかったのだ。

「え……あ、あたしは、ほら、別に……」

 しどろもどろになるさやか。心当たりがあるからこそ、思わず照れてしまう。
 脳裏に浮かぶのは一人の少年。上条恭介――今は市内の病院に入院している、幼馴染の少年だった。

「その慌て様、怪しいですわ……。どなたなんですの? さやかさんの乙女心を射止めた殿方は!」

 仁美が逆襲とばかりに食い付いてくる。さやかは、それをかわすので精いっぱいだった。
 にしても、だ。
 その絡みようが、やけに迫真に感じられるのは気のせいだろうか?

「私、悲しいです……。さやかさんだけが一足先に大人の階段を上るなんて……」

 泣き崩れる振りをする仁美。
 まるで、冗談のヴェールの向こうに、何か重大な真実を覆い隠しているかのような……。
 疑問に思いこそすれ、さやかが、その真意に気付くことはなかった。

「だから上ってないって! ちょっと、まどかも何とか言ってよ――って、まどか?」

 助けを求めようと彼女を見やると、まどかの視線はまったく別の方向に向いていた。

 歩くうちに、いつの間にか三人は公園を横切る十字路に差し掛かっている。
 通勤通学の時間帯だが、交差する道から歩いて来ている人間は一人だけ。
 まどかの視線は、その人物に向けられていた。

 真っ白な、脛の辺りまで丈のあるロングコートを翻し歩く男性。開いたコートの内側は上下共に黒。
 かなり目立つ服装だ。

 歳は二十代半ばといったところか。髪は茶、顔立ちは整っており、美男子の枠に入るのだろうが、
 その精悍に過ぎる顔つきは戦士のよう。アイドルのように軽い印象を抱くことを許さない。

 纏っている雰囲気からして常人とは違う男は、やや早足の堂々とした歩き方で三人に近付く。
 目は前だけに向きながらも一分の隙もなく、どこか遠くにある目標だけを見据えているふうにも見えた。

 何故だろう、目が離せない。彼の眼に、強い意志の光を放つ瞳に吸い寄せられる。

 まどかとさやかは歩幅を落とし、彼とぶつからないよう道を譲った。
 徐々に接近する距離。
 その時、三人の目と目が合う。初めて彼が、まどかとさやかを視認した瞬間だった。
 それも束の間、すれ違った彼は再び前だけを向いて歩きだした。

「どうかしましたか? まどかさん、さやかさん?」

 唯一気付かなかった仁美は首を傾げているが、まどかとさやかは彼が通り過ぎてからも、
背中を目で追っていた。

「不思議な人……」

「て言うか、変な人……」

 彼はその後、道の端に寄って指輪にブツブツ話し掛けている。
 そもそも、こんな暖かい季節にロングコートなんて着ていることからしておかしいのだ。

 まどかは、その後も暫く彼を眺めており、釣られてさやかも見てしまう。
 このままでは埒が明かないので、

「ああいう人が、まどかのタイプなんだ」

 ぽつりと言うと、まどかはハッとなって、ようやくさやかを向いた。
 真っ赤になって手をパタパタ振っているのが、また面白い。
 それはまどかを動かす為の冗談が半分、自分の気持ちを誤魔化すのが半分。
 彼が気になるのはさやかも同じ。だが一目惚れなんてロマンティックなものでは断じてない。

 言葉では形容しづらいが、言うなれば匂い。日常ではまず出会えないスリル。
 彼の纏う非日常の空気がさやかの視線を捕らえた。
 住んでいる世界が違う。そこにいるのにいない、存在する時間や世界がズレているような感覚。 
 おそらくだが、まどかも同じ印象を抱いたのだろう。

 不安と期待が入り混じった、漠然とだが何かが始まりそうな予感。
 さやかはただ、胸の内に湧いた奇妙な感覚に翻弄されていた。 

 ――運命ってのは確かにあると思う。
 もし、まどかが遅刻していなければ、彼とすれ違うこともなかった。

 こんな……本当に小さなきっかけで、僅かな変化で未来は大きく変わる。
 もし、彼に出会っていなければ、あたしの人生はまったく違うものになっていた。
 些細な出来事の積み重ねで将来は形作られているんだと、つくづく思う。
 なるほど。これが、いわゆるバタフライ効果という奴か。

 全ての物事には発端がある。
 ただし、あたしの場合、始まりを何処に定めるかが難しい。
 あたしを取り巻く日常、という意味ならば、この時点ではまだ薄皮一枚で繋がっていると言えるだろう。

 けど、この街の平穏はとっくに終わっていたんだ。ただ、あたし達が気付かなかっただけで。
 いや、正確には知ってはいた。
 連続する怪死、変死、自殺に失踪――それらは隣の県だったり隣町だったりしたけど、市内でも数人、犠牲者は出始めていた。

 でも、どこか自分からは遠い場所で起こったものという認識が拭いきれなかった。
 それらの事件を調べると、遠くから少しづつ、でも確実に、この街に近付いていたのに。この街を蝕んでいたのに。
 あたしは、そんなことにも気付かず、のん気に笑っていたんだ。この日、この時までは。

 だから、あたしは始まりをこの時に置こうと思う。敢えて、あたしの日常が消え去る夜ではなく、彼との出会いの朝に。

 きっと逃れられない運命って奴は、遠からず訪れる、あたしという人間の終焉に向けて、この時から加速を始めていたんだ。

 他愛のない話題、温い日常。けれど全部が大切で、掛け替えのない時間だった。
 でも、それを自覚したのはずっと後。もう手を伸ばしても届かないという事実を突き付けられた後だった。
 失って初めて大事だと気付く――なんてありがちで、聞き古した言葉。
 ほんと、バカみたいな話……。



 季節外れのロングコートを着込んだ男は、朝の街を歩いていた。
 初めて訪れる街に戸惑う様子もなく、その歩みは堂々たるもの。
 朝露に濡れる公園を抜け、女子中学生の三人組とすれ違った直後。
 夜明けから数時間、これまで一度も休まず動き続けた健脚が初めて止まった。

『おい鋼牙、今すれ違った学生なんだが……』

 男――冴島鋼牙は、相棒の呼び掛けに立ち止まる。
 渋く掠れた、やや癖のある壮年男性の美声。が、肉声ではない。
 機械を通したかのように、くぐもった声だ。

 しかし鋼牙は一人である。周囲には誰の姿もない。
 声は、鋼牙の左手中指に嵌められた髑髏の指輪からだった。

「どうした、ザルバ」

 《魔導輪・ザルバ》。それが、この指輪に付けられた名前である。
 人知れず使命に臨む鋼牙をサポートする唯一無二の相棒、それがザルバだった。

『あのお嬢ちゃんたち、何かおかしい……。
力を感じる。ホラーとは似て非なる力……あれも魔力と言っていいのかどうか……』

 銀色の髑髏、ザルバは発声に合わせてカタカタ顎を慣らした。
 ザルバにしては珍しく歯切れの悪い答えに、鋼牙も眉をひそめる。

「誰だ? 全員か?」

『いいや、あの小さな赤いリボンの娘だ。とんでもないレベルの力を秘めてる。
それに比べると大分落ちるが、隣の青みがかった髪の女もだな』

「確かなのか?」

 鋼牙は普段、彼の探知能力に全幅の信頼を置いている。
 故に疑いの言葉を口にすることなど滅多にないのだが。

『わからん。俺様も初めての感覚だ。だが、おそらくは……魔法少女……とやらじゃないのか?』

「魔法少女、か……」

 言いにくそうにザルバは言葉を濁した。鋼牙自身、未だに慣れない単語ではある。
 話には聞いていたが、よもやそんなアニメのような存在がいるとは、俄かに信じ難かった。
 そんな鋼牙の心境を察したのか、ザルバが的確なフォローを入れる。

『おいおい。俺やお前も十分、ファンタジーだぜ。ただの人間からすればな』

「それもそうだがな」

 信じ難くはあるが、かと言って、その存在を疑ってもいない。
 何故なら、彼女ら魔法少女が敵対していると聞く怪物、《魔女》と鋼牙は戦った経験がある。
 夜の街を歩く仕事の特性上、場所によっては出くわすこともあったのだ。
 それは鋼牙の敵、魔獣《ホラー》とはまた別種の魔物だった。

 だが鋼牙は、こうしてここにいる。数体の魔女を屠り、今も生きている。
 となれば無論、只人ではない。

 《魔戒騎士》。
 闇の世界に生き、魔獣ホラーを狩る剣士。魔法少女以上に、宵闇に深く身を沈めている。
 もっとも鋼牙の場合、魔法少女なる存在がいると聞いただけで、直接会ったことはない。
 しかし、ホラーとも異なる怪物を目の当たりにしては信じざるを得なかった。

『で? どうするんだ?』

「どうもしない。俺は俺の使命を果たすまでだ」

『言うと思ったぜ。じゃ報告だ。この街にもホラーは既に潜んでいる。複数……はっきりとはわからないが、かなりの数だ』

 魔獣、ホラー。
 魔女よりも凶暴で醜悪な、魔界より来たる獣。人の肉も魂までも喰らう悪食。
 人の天敵。

 万物に存在する闇、即ち《陰我》に寄生――人の欲望や怒り、憎しみ、果ては愛情にまで付け込む。
 時には想いの込められた物も憑依の対象になる。

「既に人に憑依しているホラーが複数、という意味か?」

『さぁな。俺は気配を感知するだけだ。何せ、街に入る前から不穏な気配はぷんぷんしていやがる。
どうやら、この街は格別に陰我が濃い。おまけにホラー以外のものまで混じって、ろくに鼻が利かないと来た。
皮肉なもんだぜ、見た目はこんなにも綺麗好きなのにな』

 ザルバの言う通り、この見滝原の街はどこも整備され、真っ白で小奇麗な街並みを誇っている。
 だが、中身は他の街と大差ない。暮らしているのは同じ人間。
 嫉妬、不安、誰もが心の内に闇を抱えている。故に、どんな街もホラーの餌場であり隠れ家となり得る。

「素体ホラーが何体も現れていれば、とっくに番犬所が察知しているはずだ。奴らに、いつまでも隠れて人を喰らうだけの知恵はない」

『どうかな。気配を断って隠れる場所なら、いくらでもある。結界がそこかしこにあるようだしな。
これほどうってつけの街はそうそうない。しかしなんでまた、この街はこんなにも混沌としている?」

 ザルバの疑問に鋼牙は答えを持たない。
 魔女とホラーの共通点の一つに結界がある。魔女は必ず、ホラーは時折、結界を張る。
 こうなると捜索は容易ではない。ザルバの力に頼るにしても、近付いて目視しなければ判然としない場合も多い。

 となれば、結局は足が頼み。
 幸い、時刻は朝。魔女もホラーも活発に動けない。訪れたばかりの街を散策する時間は十分にある。

『一つ、確実に言えるのは――鋼牙、敵はホラーだけじゃないぜ? もう一度聞く、どうするんだ?』

「まずは街を見て回る。エレメントがあれば浄化していく。その過程で得られる手掛かりもあるだろう」

『あの二人は放っておいていいのか?』

「制服は覚えた。曖昧なものなら、まずは様子を見る。この街にも魔法少女はいるだろう。探すなら、そっちが先だ」

『フフフ……ま、どうせお前のことだ。このまま知らない振りで立ち去るとは、俺様も思ってなかったがな』

 最初から答えのわかり切った質問だった。こう答えることもザルバなら百も承知だろう。
 これは確認ではなく彼なりの鼓舞であり、彼の好きな軽口だった。

『しかし残念だったな、鋼牙。ようやく指令を終えて帰れるところだったってのに。
使徒ホラー殲滅の次は、偶然に立ち寄った奇怪な街の謎解きとホラー退治か。難儀なもんだ』

 面倒臭そうにザルバがぼやく。

 鋼牙はここ数ヶ月、番犬所からの指令を受けて日本中を飛び回っていた。
 つい先日その指令を完遂し、我が家に戻る途中、ふと立ち寄ったのがこの街。

 番犬所とは、鋼牙のようなホラーを狩る魔戒騎士を束ねる協会であり、その指令は絶対。
 指令に逆らえば厳しい罰が待っている。
 だが、誰に言われなくとも、元より人を喰らう存在を許す気はない。それがホラーであろうと、なかろうと。

「それと、魔女も見つければ狩っていく」

自身の信念の下、鋼牙は街に留まる決意を固めた。

「やれやれ……仕事でもないってのに。また厄介事に首を突っ込む気か? 鋼牙」

 呆れ声のザルバに、鋼牙は答えなかった。必要がなかったからだ。言葉にしなくても、相棒は誰より知っている。
 冴島鋼牙とは、そんな頑固で不器用な生き方しかできない男。
 誓いと己が正義を決して曲げず、愚直に貫く男だ。

 守りし者となれ。そして強くなれ。

 片時も忘れず、胸に秘めている父の言葉。
 人に仇なす敵を打ち倒し、人を守るという約束。
 人には守る価値がある。たとえそれが強欲故にホラーに取り憑かれるような人間であっても。
 この世に喰わせてもいい命など、一欠片たりともありはしない。

 だからザルバも軽口で応じる。それが、彼らなりの絆のあり方だった。

「いや、違うな。厄介事がお前を呼んでるのさ。
来るなら来てみろ、ってな。これは無敵の黄金騎士様の宿命か?』

「同じことだろう」

『違いない』

 鋼牙はザルバの応答に初めて苦笑すると、数秒程度の、しかも立ったままの休憩から歩きだした。

 己が無敵だなどと豪語するつもりは毛頭ない。だが自負はある。誰にも負けないという自負が。
 それだけの修業を積み、修羅場を潜ってきた。驕りと誇りは別物だ。

 打ちのめされる度に二度と揺るがぬよう成長した心。
 二十年以上の歳月を費やし、実戦の中で研鑚した技。
 ある日を除けば、一日たりとも休まず鍛え抜いた体。
 
 それらは決して裏切ることはない。確固たる自信と経験として鋼牙に宿っている。

 鋼牙には強くあらねばならない理由があった。敗北が許されない理由があった。

 魔戒騎士の系譜は長く、黄金騎士だけでも幾十に亘る先達が、過去すべての騎士を含めれば数百人にも上る。
 ホラーとの戦いの中で斃れていった者。後継者を育て天寿を全うした者。不幸にも魔道に堕ちた同胞に命を奪われた者。
 最期は様々だが、鋼牙は彼らの名を穢さぬよう、英霊の魂に報いるよう、最強でなければならなかった。
 騎士の頂点に立つ称号を得た者として。

 だからこそ鋼牙は戦う。強いからこそ、強者は矢面に立って人を守らねばならない。
 闇より来る魔獣から人々を守護する最後の盾であり、最初の剣であれ。
 それこそが魔戒騎士の矜持であり、責任であり、宿命。

 冴島鋼牙。
 亡き父から、黄金の剣と黄金の意志を受け継いだ男。
 そして厳しい修行の末、黄金の鎧の召喚を許された男。

 鋼牙に与えられた、もう一つの名。
 光の世界に背を向け、戦いを日常とし、平穏を捨てた対価に得たもの。
 それは闇に光を、絶望に希望をもたらす魔戒騎士中、最高位の称号。
 即ち、最強の証。

 その名は――。



 巴マミ。
 彼女は見滝原中学の三年生である。
 起床後すぐに自分で弁当と朝食を作り、金の巻き髪を丁寧にセットして、時間に余裕があるうちにマンションの一室を出る。

 見送る者はいない。寂しそうに空の部屋を一瞥し、無言で扉を閉めた。
 数年前に事故で家族を亡くして以来、マミはずっと独りで暮らしていた。
 もう慣れたとはいえ、時折どうしようもなく寂しくなる時がある。

 交友関係は少なく、親友と呼べる人間は一人もいない。
 学内での人間関係は誰とでも、そつなくこなしてはいるが、本心では誰にも心を許していない。

 それは自分でもわかっている。マミの方から、どこかで一線を引いている。
 自分と他の人間は違うと。幼い日、両親を喪った事故の瞬間から、何かが決定的に食い違ってしまった。

 日中は学校。夕方から夜に掛けては魔女探し。部活もできないし、ろくに遊ぶこともできない。
 今年は高校受験だってあるというのに、勉強時間もろくに取れてない。
 他の中学生みたく青春を謳歌しているとは言い難かったが、それも人々を守る為だ、仕方がない。
 そう自分に言い聞かせて、自分の気持ちに嘘を吐いて誤魔化してきた。

 ――時折、思う。私は一体、何の為に、誰の為に戦っているんだろうって。
 魔法少女として、魔女から人を守りたい。その気持ちは今でも捨ててない。
 けど、いつの間にか擦り切れて小さくなってしまったのも確か。

 もう守りたい人なんていない。みんな、然して私に関係のない人たちばかり。
 助けたいとは思うけれど、果たして私の命を懸けるだけの価値はあるのだろうか。

 誰だってそうでしょう?
 人が溺れていれば手を差し伸べるけど、命の危険がある濁流に飛び込んでまで救おうとする?
 家族でも友達でもない赤の他人なのに。
 無論、そういう人もいると思う。誰でも一度や二度ならできるかもしれない。
 でも、私はそれを毎日しているも同然なの。
 だからこそ言える。私には言う権利がある。数年の時を経て、ようやく気付いた。

 使命の為、人の為なんてお題目で、安らぎも温もりも一切合切を打ち捨てる覚悟なんて持てるわけがない。

 少なくとも私の知る魔法少女は皆、自分の為に魔法を使い魔女を倒していた。
 じゃあ、私は何の為なの?
 わからない。
 自分を捨てて戦うなんて本当は嫌。でも、自分の為に周りを犠牲にするほど我欲に正直にもなれない。
 そんな私だから、もしも同じように人の為に毎日毎日、命を懸けて戦う人がいたら聞いてみたいと思ってる。

 それは本当に、あなたの気持ちと向き合って出した答えですか?
 後悔はしてないんですか? 

 どうせそんな人、いるはずもないけど。
 もしいたなら、会ってみたい気もするし、絶対に会いたくない。

 そんな高潔で、鋼鉄のような精神の持ち主に会ってしまったら、認めてしまったら、私はもう戦えないから。
 何ひとつ決められないまま、言われるがままに戦っている私は、惨めで弱い人間だと認めてしまうから。

 ……そうだ。敢えて私が戦う理由があるとするなら、彼が望むから、だろうか。
 私を救ってくれた、たった一人の友達。彼が対価として私に望んだのが魔女退治。
 彼は、とっくに終わっているはずだった私の命を長らえさせてくれた恩人。
 なら、私も一生掛けて恩返しをするのが当然。
 言うなれば、それが私の戦う理由。

 でも、それでいいの?
 私が彼を友達と思うように、彼は私を友人として大切に想ってくれてるの?

 無理に自分を納得させようとしても、時間が経つにつれ疑念が頭をもたげる。
 しかも、最近はより頻度を増して私を苛んでいた。

 魔法少女になってからというもの、私は人を疑うという嫌なことを覚えてしまった。
 多分それは、孤独に魔女を追い、戦うことに慣れてしまったせい。
 独りで魔女と戦い、生き残る為には、警戒心を高めなければならなかった。

 石橋を叩いて渡るくらいの用心でも、全然足りない。常に神経を尖らせ、目に映るすべてを疑うくらいでちょうどいい。
 魔女の作り出す幻惑の異空間では、常識や物理法則なんか何の当てにもならない。
 一見無害に見えるオブジェでも、いつ牙を剥くかわかったものじゃない。
 今は安定してる床が、いつ獲物を呑み込む口に変わるかもしれないからだ。

 私は自分以外のすべて――いいえ、自分自身すらも疑ってきた。
 家に帰っても安息は訪れず、銃を抱いて寝ずに震えていた夜もある。
 流石に今ではそんなことはないが、それも単に慣れたというだけ。
 睡眠中でも気配や物音で覚醒、即座に対応できるようになったから必要なくなっただけ。

 休んでいても、頭のどこかは絶えず周囲を窺っている。
 我ながら臆病者だと思う。しかし臆病が故に私は生きてこれたのだ。

 そんな日々を繰り返した結果、昼と夜の切り替えが曖昧になり、いつしか魔女のみならず、
 人間相手にも疑惑の目は向けられるようになった。日を追うごとに疑心暗鬼になり、人を容易く疑うようになった。
 だから考えてしまう。彼も本当は私のことなんて利用価値のある道具程度にしか思ってないんじゃないかって。

 でも、それは単なる被害妄想とは違う。
 際限なく膨らむ猜疑心は、私を嘘や秘密に敏感にしていた。
 言葉に嘘や隠し事が含まれていれば、ほぼ看破できるようになった。

 無意識に魔法が作用しているのか。それとも経験と注意力、洞察力の賜物か。
 確実なものじゃないから後者だと思うが、この際どちらかは重要じゃない。
 私の勝手な思い込みがたまたま連続して的中しただけ、という線も捨て切れないし。
 大事なのは、私自身が偏狭な考えに囚われて抜け出せないということ。

 結果的に私は、ちょっとばかり便利な特技を得た。
 もっとも、魔女退治には役に立たないし、私と周囲との溝をより深めもしたが。
 それは感情らしい感情を表さない彼に対しても例外じゃなかった。
 彼に疑問を投げかける度、私の直感が告げていた。根拠こそないが、確信はあった。

 彼は不変の表情の裏に何かを隠していると。

 でも、私は追及しなかった。笑顔を装って、気付かない振りをして彼との会話を楽しんでいる。
 否、楽しむ振りをしている。疑念は全部、胸の内にしまい込んで。

 真実を知るのが怖かった。

 私は私が怖かった。

 彼までも疑ったら、私にはもう信じるものが残されていない。
 誰の為でも――自分の為ですらない、魔女を殺すだけの存在。戦うだけのマシンと同じ。
 そんな私は人間と呼べるのだろうか。人間の形をした魔女に等しいのではないか。そう思えてならなかった。

 だから私は自分よりも彼を信じたい。それは、かつて抱いていた恩愛や友情とは違う。
 最早、意地や虚勢と呼んだ方が相応しいのかも。

 別に、彼が契約の為に私を助けたんだとしてもいい。彼のお陰で今の私があるのは事実。
 お互いの利益になったんだからいいじゃない。それで何の不満があると言うの……?

 頭では理解しているのに、心のざわめきは消えてくれない。それはきっと、私自身がそんな欺瞞を信じてないから。

 私はたぶん、愛情に飢えている。だから一方通行の愛情なんて耐えられない。
 彼が私を利用しているだけだとしたら、私はきっと自分を保てないだろう。
 彼を友達と思えなくなってしまったら、私は……。

 などと、つらつら並べて立ててみたものの、とどのつまり私は疲れてしまったんだ。
 安息もない、孤独を深めただけのこれまでと。
 いつまで続くかわからない、何の展望もない、戦いだけのこれからに。

 十年後、二十年後、私はどうしてるだろう。まだあんな連中の相手をしているのか。
 まさか二十歳を過ぎて魔法少女もないだろうに。
 それとも、もうこの世にいないのか――

 マミはそれ以上、考えるのを止めた。深く考えてしまえば、胸の内から何か黒い感情が芽生えてしまいそうで。
 それが何故いけないのかはわからない。
 わからないが、倫理や感情とは違う、何か良くないことが身に起こるような気がして、本能が栓をした。

 思索しながら歩くうち、いつの間にかマミは大きな交差点に差し掛かっていた。
 平日の朝だけあって、歩道は通勤通学の人混みでごった返しており、車道もかなりの交通量。
 横断歩道でマミと共に信号待ちをする人々は、誰も他人の顔なんて見ていない。気にしていない。
 それはマミも同じ。

 魔法少女として守るべき人々?
 そんなものは、どこにもいない。
 いつしかマミの大衆を見る目は変わろうとしていた。
 かつては、何気ない日々を過ごす人々を誇らしい気分で見ていたそれに、妬みや嫉みが混じるようになった。

 誰も彼も同じような顔、同じような服、同じような動き。
 よく見れば違いはあるのだろうが、彼女とっては些末なこと。さしずめ野菜か家畜のようにしか思えなかった。
 何の興味も感慨も湧かない。おそらく、彼らの目にはマミも同じように映るのだろう。
 群衆に埋もれた異分子である彼女が感じるのは、ただただ息が詰まりそうな不快感。

 ここは自分の居場所じゃない。
 早く、早く行かなければ。

 交差する車道の信号機だけを見て、一秒でも早く、この閉塞した状況から脱することを渇望する。

 でも、どこへ?
 自分が最も必要とされる場所、輝ける場所、いてもいいと言われる場所。
 自分にしかできないこと、という意味であれば、この世界にはない。
 どこを探したって見つりっこない。あの、おぞましい魔女の結界の中にしかないのだ。

 しかし求めるのは、あんな毒々しい悪趣味な空間とは違う。もっと美しく光り輝く、陽だまりのような場所だったはず。
 本当に求めるもの。両親と在りし日の自分を取り戻せる安らぎの世界。それはどこかと考え――彼女は思い至った。
 
 それは思い出の中に。でも、もうそんなものでは満足できない。では、どうすればいいというのか。

 意識すればするほど、息苦しさが加速度的に増していく。視界に移る街は色褪せ、目まぐるしく揺らぐ。
 今の自分は正常ではないと自覚しながらも、胸を掻きむしるような呼吸困難は耐え難いものになっていた。
 やがて信号が切り替わった瞬間、マミは脱兎の如くかけ出した。もう一秒だって、こんなところにいたくない。
 そう思ったら、身体が自然に動いていた。
 
 得体の知れない衝動に突き動かされ、マミは未だ自動車が激しく行き来する車道に飛び出した。
 
 だが、今のマミには、それすら些事に過ぎない。

 その瞬間の彼女の目には、彼女だけに見える安らぎの世界が、確かに手を伸ばせば届く距離まで近付いていた。

 マミはアスファルトを蹴り、垣間見えた何かに手を伸ばした。が、

「おっと。ちょっと待った」

 けたたましいクラクションに紛れた声と共に、唐突に引き離された。

「え……?」

 状況に理解が追い付かないマミの口から、思わず零れた言葉。
 たった一言だったが、含まれた切ない響きは、まるで親から引き剥がされる子供のよう。
 マミは一瞬だが、道の向こうに両親の姿を見ていた。その先には、自分が望んでいた世界があった。

 もう少し、もう少しで手が届いたのに。
 無性に悲しくなり、瞳に涙が滲む。

 最初に悲しみがあり、次にマミが感じたのは怒り。自分を、この穢れた世界に再び引き戻した相手への怒りだった。
 マミが道路に飛び出した次の瞬間、空いた左手が何者かに掴まれ、強い力で歩道に引きずり込まれたのだ。
 背後を振り向き、未だ左手を掴んだ腕の主を睨みつける。

 あっさりとした顔立ちの若い男性だった。歳の頃はおよそ二十歳前後といったところか。
 何が面白いのか、口元には微笑みを湛えている。顔だけなら普通の好青年、むしろ美形と言ってもいい。
 だが、マミは即座に男を怪しんだ。理由は男の服装、季節外れの黒のロングコートを羽織り、全身を黒で固めている。

 マミが昂った感情に任せて口を開こうとした、その直後だった。
 車道に踏み出したマミの片足、その数十センチ先を大型のトラックが横切った。
 急ブレーキを掛ける直前だったのか、運転手が窓からよくわからない罵声をマミにぶつけて走り去るが、ほとんど聞いていなかった。

 しかし、赤信号に突っ込んでくるとは、なんて危険なトラックだろう。
 辛うじて交通事故は避けられたからよかったものの。
 マミの胸に沸々と怒りが込み上げてくる。それは運転手に対してでもあるし、この男に対してでもあった。
 憤懣やるかたないマミだったが、この男がいなければ危険だっただろう。
 なのであまり強くも出られず、文句の一つも言おうとして、マミは口を噤んだ。

 仕方がない。取りあえず軽く礼だけ言って、さっさ走り去ろう。
 その為にも、どういうわけかまだ握っている手首を放してもらわなければ。

「あの、もう大丈夫ですから放してくださいっ」

「駄目だな」

「なっ……」

 絶句。
 離したらすぐに横断歩道を渡ろうと思っていただけに、その返事はマミを驚かせるのに十分だった。
 何故、この男は公衆の面前でこんなことを?

 マミの目がスッと細められる。混乱は治まらないが、思考を切り替える。この男は敵だと。
 状況は圧倒的にこちらの有利。未だ周囲には多くの人が立っている。
 魔法が使えなくても、この場を切り抜けるくらい造作もなかった。
 女子中学生の手を掴んで離さない男と、抵抗する少女。大衆がどちらを支持するかは言うまでもない。

「大きな声を出しますよ……!」

「出したけりゃ出してもいいぜ」

 それでも男は動じなかった。その妙に余裕振った微笑が癇に障る。
 周囲に視線を走らせるも、誰もが気まずそうに目を合わそうとしないか、怪訝な様子で主にマミに冷たい視線を送っている。
 世間は冷たい。
 マミはそれを身を以て知っている。けど、これだけいれば誰かしら助けてくれてもよさそうなのに。

 本当の勇気を持った人間は思いのほか少ない。
 この交差点には現在、数十人が集中しているが、一人もいないかもしれない。
 が、半端な正義を振りかざす連中は掃いて捨てるほどいる。
 そういった輩は、往々にして頼んでもいないのに首を突っ込んでくるものなのだが。
 特に味方が多く得られる、こういった状況なら尚更。

 それだけでは終わらない。マミが魔法少女の力を解放し、男の腕を剥がそうと引っ張っても頑として動かなかった。
 大の男でも一人くらいなら余裕で引きずり回せる力を以てしても、びくともしない。
 マミの顔が更なる驚愕に歪む。
 そして男は前方――今はマミの背後の信号を指差して一言。

「前、見てみなって」

「あ……」

 振り向いたマミの目に映ったもの。

「わかっただろ?」

 それは赤く光る信号。

――何で!?  確かに……確かに交差する車道の信号機は赤になっていたのに!――

 赤信号とは対照的に、マミは青褪めていった。
 火照った頭は急速に冷え、車道の信号を見て、はたと気付く。
 この交差点は複数の車線が入り込む為、十字になった信号が赤になったからといって、歩行者の信号はすぐに青にならない。
 もう何年も昔からそうだ。

 事実だけを見れば、信号が変わるタイミングを勘違いして急いだ結果、危うく事故に遭い掛けた。
 ただ、それだけ。
 だが、マミには違った。
 顔中蒼白になって口を覆い、全身を襲う震えは止まらなかった。
 毎日毎朝この道を通ってきた。何時何分に部屋を出れば、ここで何分待つか、感覚にまで刷り込まれているくらい。

 なのに、そんなことまで失念するほどに、自分は前後不覚に陥っていた。そして幻覚を見て車道に飛び出した。
 それが今さら恐ろしくなったのだ。自分自身すら信じないと言っておいて、本当に信じられなくなってしまったことが。

「はぁ……っ! はぁ……っ!」

 額を抑えたマミは、やがて立っていられず、その場にしゃがみ込んだ。
 周囲の対応も理解できた。何故、誰も助けてくれなかったのかも。
 きっと周りからすれば、ナンパ男に絡まれたか弱い女子ではなく、危険な行為を咎められている馬鹿な学生か、或いは自殺志願者にでも見えているのだろう。

 男はまだマミの手を握っていた。マミに合わせてしゃがみ込んでまで。
 ただし強く捕まえるのではなく、抜けようと思えばいつでも抜けられる優しい握り方。
 しかし何も言わない。大丈夫かと声を掛けることもしなければ、背中を摩るでもない。
 ただ、そこにいて、ただ、手を握っていた。
 けれどマミは確かに、その温もりに救われた。

 一分か二分経った頃、ゆっくり開かれた目に、最初に飛び込んできたのは微笑み。
 赤から青へ、また赤へと信号のように変わるマミの表情を、男はずっと見ていたのだ。
 この一分足らずの間に、代わる代わるマミを襲った感情の波は、ここに来て最後の一波を迎えた。
 最初に悲しみ。次に怒りが、やがて恐怖が。ようやく落ち着いたと思ったら、最後に羞恥が湧いてきた。

「っ……!」

 顔が見事な朱に染まる。薄い微笑みが間近にあった為に動転してしまった――のだと思う、たぶん。
 そう自分に言い聞かせて立ち上がろうとすると、思うように力が入らず少しふらついてしまう。
 すると男は掴んだ手を引いて、マミをそっと支えた。さながら姫と騎士のように。

「もう大丈夫かい、お嬢さん?」

 気障でおどけたエスコートに、顔の赤みと熱がいや増す。
 立ち上がると、男はマミの手を放した。放しても大丈夫、ということだろうか。
 両目をパチパチ瞬きし、視界を確認するマミ。
 よし、もう大丈夫だ。見えないものは見えない。
 あれは何だったのだろうと、少し考えたが見当もつかなかった。

 仕方ない、とりあえずの問題を先送りにし、マミは男に向き直って頭を下げる。
 命の危機を救われ、手を握っていてくれた。お陰で、大分落ち付けた。

「あ、あの……危ないところを助けていただき、ありがとうございました。それと……ごめんなさい」

 この時点で、マミは男に気を許しかけていた。彼女にしては珍しくと言っていいほど。
 次の彼の言葉を聞くまでは。

「それじゃお礼って言っちゃなんだけど、ちょっと頼みたいんだ」

「……はい?」

「君と話がしたくてさ、付き合ってくれないかな?」

 マミは顔をわずかにしかめる。
 会って早々に、話がしたいから付き合ってくれ、なんて言う男をどうして警戒せずにいられようか。
 胸の不信の芽がまたもや顔を出す。こんな男を信用するなと警告を発している。

「あの……なんですか? 私、これから学校なんです。急いでるんです。そう、だから今だって……」

「へぇ、じゃ今のは遅刻しそうだから急いでたわけだ。とても、そんなふうには見えなかったけどな」

「ぅぐっ……」

 見透かされて言葉に詰まる。実際は今、思い付いた言い訳だった。
 何故だろう、この男にはどんな嘘も通用しない気がする。

「歩きながらでいいし、手短に済ませる。少しならいいだろ?」

「……ひょっとしてナンパですか? 私、こう見えても中学生なんですけど」

 既にマミの中では、この男の評価がストップ高から一気に最安値まで急落していた。
 所詮この男も、そこらの男子と同じなのかと勝手に決め付け、落胆していた。
 中学生にしては成熟した身体を両手で掻き抱く。
 そんなマミの反応に男は苦笑した後、あろうことか鼻で笑った。

「悪いけど、俺も子供に興味はないんだよね。自意識過剰だな」

「何ですって!?」

 一笑に伏されて、思わず激昂するマミ。
 大人っぽいとは言われても、子供っぽいと言われたことだけは一度もないのが密かに自慢だったのに。

 が、声を荒げてから気付く。これでは背伸びした子供だと自己アピールしているも同然ではないか。
 男はやはり薄く貼り付けた微笑を崩さない。
 からかわれたのだと悔しくなるが、怒っては駄目だと、なんとか踏み止まった。

 男は胸を押さえて深呼吸するマミを面白そうに見ていたが、やがてその顔から薄っぺらい微笑が消え失せる。

「それとは別に、君の力に興味がある」

 男がマミに軽く人差し指を突きつける。
 もしペースを乱されていなければ、注意を解いていなければ、確実に男の纏う雰囲気が変わったことを察知していただろう。

 だが下らないナンパかと侮っていたマミは、そっぽを向いて無防備な状態で、続く言葉を受け止めてしまった。

「だって君――魔法少女だろ?」

「えっ……!?」

 唐突に背筋を悪寒が走る。すぐさま男に顔を戻すと、矢のような眼光に射抜かれた。
 鋭い視線に晒された瞬間、マミは声も出せず、静かに戦慄した。
 直感で理解する。
 この男の気障なところも、無邪気におどけた振りも全て演技、まやかしだ。
 冷たく研ぎ澄まされた刃――それが彼の本質にして本性。

 そうと知りつつも、マミは微動だにできなかった。指一本、動かせなかった。
 冷や汗だけがこめかみを伝う。
 蛇に睨まれた蛙。
 いや――狼と兎、と例えた方が適当か。
 事実、マミの目には男の姿が狼と重なっていた。
 逃げたいのに逃げられない。動けば即、その爪牙に引き裂かれる。
 そう思わせるだけの何かがあった。

 暫し沈黙が続き、息苦しさと居心地の悪さをマミが味わっていると、やがて男が破顔した。
 ピンと張り詰めた空気が弛緩すると同時に、マミは大きく息を吐いた。
 実際は数秒程度だっただろうが、体感はもっと長かった。

「はは、やっぱり驚いた。ごめん、ちょっとやり過ぎたかな」

「なんで……」

「なんで知ってるかって? 俺の話に付き合ってくれれば教えるけど……どうする?」

 この男はどういう訳か、わざと殺気を叩きつけたらしい。
 理由は知る由もなかったが、マミにも確かなことが一つだけ。

 ああ……やっぱり自分は、この呪われた運命から逃げられないのだ。

「あなたは……」

「俺は涼邑零。君は?」

「巴……マミ……」

 頭は真っ白。正常な判断は阻害され、マミは問われるがままに名乗ってしまった。
 言ってからハッとなるも、後悔先に立たずである。

 さっきとは別の意味で身体を掻き抱くと、マミは一歩、二歩と後退った。
 背中が何か硬いものに当たる。
 そっと振り向くと、そこにいたのは革のジャケットを着て髪を金に染めた、見るからに粗暴な男。
 歳は十代後半といったところか。
 マミが当たったのは、同じく信号待ちの不良の背中だった。

「あぁ?」

 険しい目つきで不良がマミを睨む。
 どこか焦点の定まらない目からして、ひょっとするとドラッグか何かキメているのかもしれない。

「何だ、お前?」

「あの……ごめんなさ――きゃっ」

 謝罪を言い終える前に、マミの肩が軽く突き飛ばされた。
 不良は口を歪め、下卑た笑い声を発しながら身体を睨め回してくる。
 マミは足をもつれさせながら、未だ纏まらない思考をフル稼働させた。
 恐怖はなかった。もう一人の男――涼邑零に比べれば、こんな不良は小うるさい虫も同然。

 魔法で軽く捻ってやるか。いや、目立つことはなるべく避けたい。
 やはり、足を絡め取るかして気を引いてから逃げるのが得策だろう。
 邪な感情をありありと浮かべ、手を伸ばしてくる男を迎え撃とうとマミが構えた。
 その時だった。

「おいおい、危ないな。女の子相手に暴力なんて、かっこ悪いぜ?」

 いつの間にか不良の側面に来ていた零が、その手を取り捩じり上げた。
 不良は見るからに体格も大柄でがっしりとしている。
 当たった背中の感触からもそれなりに鍛えているらしかったが、それでも零に抵抗できない。
 まるで大人と子供。勝負にすらなっていなかった。

「いてててて!!」

 苦悶の声を上げる不良を見ながら、マミは考える。
 今、零の注意は自分から逸れている。逃げられるかもしれない。
 咄嗟にそう決断するや否や、横目で背後を窺う。今度は同じ愚は犯さない。
 信号はマミが蹲っている間に一度青になり、また赤に。今、再び青になったのを確認してマミは駆け出した。

「あーあ、逃げられちまったか・・・」

 遠ざかるマミを見ながら零が呟く。
 彼は今も右手を捩じり上げ、背中に回して動きを封じていたが、マミが去った方の信号が赤に切り替わり、人波の動きが変わると共に零は不良を解放した。
 マミが逃げ、彼も泣きを入れた以上、捕まえておく意味はない。何より通行の妨げになる。
 右手を放すと、不良は零を恨めしげに睨みつけた後、ありきたりな捨て台詞を吐いて逃げていった。

 さて、どうするか。今から追いかけることもできないではないが……。
 零が立ち止まって思案していると、

『ねえ、ゼロ。少し性急なんじゃない?』

 左手首のアクセサリから女の声が響く。
 狼の顔をした銀細工だが、狼の上顎の下に人間の――それも艶めかしい女の唇と下顎があり、そこが声に合わせて上下していた。
 魔道具、シルヴァ。
 零の使命を助ける相棒である。

 シルヴァの声は群衆のざわつきに紛れて周囲には届いてない。それを知って語りかけてきたのだろう。
 零も雑踏に混じって歩き出すと、シルヴァに答えを返した。

「……かもな」

 零が街を歩いていた際、シルヴァが彼女を発見した。声を掛けようとしたら、どうも様子がおかしい。
 赤信号で飛び出そうとしたので、寸でのところで引き戻して今に至っている。

『あなたが脅かすからよ』

 ただ話したいと言っても、まず聞き届けられないだろう。そんな時は示してみせるのが一番、手っ取り早い。
 自分達が同じ夜の住人、魔を狩る者であると。
 よって、あのような乱暴な手段を取ってしまったのだ。
 同業者と面識があるかどうか、本当に魔法少女かどうかも、大凡これで判別できる。
 戦い慣れていれば、必ず何らかの反応を示す。
 結果、前者は否。後者は灰色だが、不良への素早い対応とシルヴァの感知からして、まず間違いない。

 加えて彼女が、あの良く言えば勇ましく、悪く言えば好戦的な魔法少女と同じかどうか試す腹積もりだったのだが、どうやら逆効果だったようだ。
 零の知る魔法少女は彼女一人だけだったので、皆ああもギラギラしているのかと思ったら、そうでもないらしい。

『あの調子じゃ追っても無駄でしょうね。一旦、時間を置いた方がいいと思うわ』

「だな……出直すか。まさかナンパに間違われるとはなぁ」

『無理もないわ。外見だけだと、あなたは軽く見えるから』

「おいおい。そりゃ、どっかの誰かさんの仏頂面に比べれば軽いだろうさ」

 苦笑してシルヴァに答えた零は、脳裏に自分とも馴染み深い、白いコートの男を思い浮かべた。
 いつもムスッとして無愛想だが、その実力と、愚直とも言える誠実さは零も一目置くところである。

『あら、褒めてるのよ? 色男だって』

「そいつはどうも。にしても……」

 彼女の不安定さは気に掛かる。ただの疲労やストレスとも考えにくい。
 何にしろあの調子では、この街の夜に潜む魔獣に付け入られないとも限らない。



 白く美しく、近代的に開発された都市にも、管理が行き届かない場所はある。
 いや、だからこそだろうか。どこであれ吹き溜まりは自然と形成されるものだ。
 或いは、敢えて放置されているのかもしれない。

 水清ければ魚棲まずと故事にもあるように、街が、世界が、穢れを孕まずにいられない。
 人が人を憎み、妬まずにいられないのだから。
 取り分けそこは、そんな澱を溜めこみやすい箇所だった。

 見滝原市中心部に張り巡らされた地下街の一角。
 明るい通路から一本外れれば、環境整備された地上とは打って変わって空気は淀み、壁の色もくすんでいる。
 昼でも薄暗く、深夜には不良少年や浮浪者の溜まり場になりがちな、まさしく掃溜め。
 近道にも使えるが、住み慣れた者はあまり近付かないエリアだった。
 日中は彼らも各所に散っているので人気が完全になくなるのだが、そんなところを朝から徘徊する男が一人。
 彼もまた、世間一般から外れた、つま弾きの日陰者であった。

「ちっ!! なんなんだよ、あの野郎はよ!」

 髪を金に染めた、いかにもな不良青年は憤りを足に乗せて、壁にぶつけた。
 蹴られた壁は鈍い音と衝撃を返すのみ。気分は一向に晴れやしない。

 つい先程のことである。横断歩道で信号待ちをしていた彼は、背後から女子高生らしき少女にぶつかられた。
 かなりの美人、加えて肉付きも良い少女だった。
 彼は下衆な欲望を刺激され、少女の肉感的な身体を舐めるように見回した後、手を伸ばした。
 とはいえ、その場で手を出そうとか、これを口実にどこか引っ張り込もう、とまで考えたわけではない。
 獣性に駆られたことは否定しないが、この時はただ触れたかった。
 もっとも、他人に話しても信じてもらえないだろうが。
 彼は美しく神聖ですらある少女を、自分のようなクズが触れることで貶めたかったのだ。

 彼はどこにでもいる、ありふれた不良だった。
 やること為すこと上手くいかず、世間への不満を周囲に当たり散らすだけのろくでなし。
 彼がこうなったのは、本人の自業自得も大いにあるのだが、元を正せば不運がいくつか続いたことが原因だった。
 それは事故だったり、家庭の不和であったり、受験の失敗であったり。
 ひとつひとつを取り上げれば、どこにでも転がっている不運。

 しかし彼は絶望し、道を外し、誰彼構わず災厄を振り撒き出した。
 すべてが憎らしく思え、手に入らないからこそ眩しくもあった。 
 だから壊した。壊して壊して、同じだけ壊された。
 そして誰からも疎まれ、蔑まれ、唾を吐かれて今に至っている。
 そんな力の伴わない破壊欲の塊が、脆く儚く、故に美しい少女を壊したくなるのは当然だった。

 だが、伸ばした手は直前で阻まれた。
 手を取ったのは、同じように少女に絡んでいた男。季節外れの異様な格好の優男だった。
 ところがこの男、優しげな顔に反して妙に強い。万力のような腕力で締め上げられ、手も足も出なかった。
 結局、みっともなく許しを乞うて逃げた。かといって、このままでは気が治まらず、
 しばらく物陰から復讐の機会を窺っていたのだが、まったく隙は見つからなかった。
 挙句、男が拾って無造作に投げた空き缶がゴミ箱の角に弾かれ、隠れていた彼にクリーンヒット。
 跳ね返ってゴミ箱に入るなど、何故かついてないことが続く始末。

 渋々、彼は復讐を諦めてここに来た。ここならケンカする相手には事欠かないし、警察に捕まる恐れもまずないからだ。
 そう思って来たのに、結果は空振り。満たされない代替行為は、逆に鬱憤を溜めるばかりだった。
 せめて何かないかと周囲を見回す。
 頼りない電灯の光が届かない隅の暗がり、しかも物陰にも関わらず、転がっていたそれは視線を吸い寄せた。

 それは所々に黒く錆が浮き、刃の欠けた小振りなナイフ。

 おそらく、どこぞのチンピラが古くなって捨てたものだろう。
 何とはなしにナイフを拾い上げる。柄を握ると、流れ込むように言い知れぬ感情が胸の内に湧き起こった。

 それは同情と共感。こんな日も射さぬ場所で、ゴミとして投げ捨てられているのが急に不憫に思えた。
 まだ使える。まだ壊せるのに。

 彼はナイフと自分を重ね合わせた。
 ナイフのように尖ってみたものの、大それたこともできず、半端に人を傷付け、何ひとつ欲望は満たせないばかりか、自分にも報いは跳ね返ってくる。
 このナイフと同じ。刃が欠け、錆びついて捨てられた、なまくらのような男。
 それが彼という人間だった。

 彼が刃を見つめ哀れんでいると、突如、黒い錆がぼぅっと揺れ、その中に像が映る。
 それは彼と寸分違わず同じ顔をした男だった。

 鏡の男は語りかける。

『壊したいか……?』

 と。

 一瞬面喰ったものの、彼は迷わずこう答えた。

「ああ……壊したい」

 もう手に入らなくてもいい。幸せになれなくてもいい。
 その代わり、全部壊れて皆が不幸になればいい。
 破滅的で分不相応な願いでも、それが彼の嘘偽りのない正直な気持ち。

 次に、

『憎いのか?』

 と問われれば、

「何もかもが憎い」

 と、熱に浮かされたような顔で答える。
 何故、刃ではなく錆に顔が映るのかなど考えもせず。
 彼の答えに満足行ったのか、鏡像はニタリと笑い、霧散して元の錆に戻った。
 ただ一言を残して。

『なら、俺が壊してやる……お前に代わって!』

 そして彼の願いは聞き届けられた。

 直後である。
 黒い錆が広がり刃全体を覆ったかと思うと、ナイフから浮き出し、空中で形を作った。
 錆よりも黒い肌は不気味にぬめって光沢を放ち、瞳のない眼だけが青いくらいに白い。
 造形こそ人に近いが、他に類を見ないほど醜悪でおぞましい怪物の形を。

「うわぁぁぁああああああああ!!」
 
 考えるより先に、悲鳴が喉から絞り出された。
 彼はナイフから手を放そうとしたが、いくら振ろうと手はナイフの柄に張り付いて離れない。
逆に錆が柄から手を侵食し、掌がじわじわ黒く染まっていた。
 
 怖い!
 恐い!
 
 彼の願って止まなかった破壊。そこに自分自身は含まれていなかった。
 だから恐れた。もう願いも何もかもどうでもいい。今はただ、この恐怖から逃れたかった。

 半狂乱で叫び続ける彼の目の前で、怪物が"解けた"。
 解けた、という表現が正しいのかはわからない。
 霧のような煙のような、靄のようでもあり煤のようでもある細い影が、怪物から伸びた。
 それは何かの文字のようでもあったが、とても確認する余裕などない。
 影は彼を目掛けて伸びていたからだ。

 いくら拳を振ろうと細い影の全ては振り払えず、当たったとしてもそこから侵食される。
 走って逃げようにも、ナイフから手が離れないのなら無意味だ。
 幾条もの影は、目、口、鼻、耳、ありとあらゆる穴という穴から体内に入り込み、侵食する。

 そして数秒後、怪物が完全に解けて消えた時、彼はもう叫んでも暴れてもいなかった。
 力なく立ち尽くし、がっくりと項垂れている。あれほど騒がしかった地下は、すっかり静まり返っていた。
  傍目には何も変わらない。しかし、彼はもう彼ではなかった。

 あらゆるものの破壊を願った馬鹿な男。
 彼の願いを聞き届けた魔獣が最初に行ったのは、願った彼自身の破壊だった。


*


 その頃、一人の人間が地下を歩いていた。歳は三十代前半、ここいらに屯する連中とは何の関わりもない女性。
 用事に遅れた為、仕方なく近道を通ろうと通り掛かっただけの一介の主婦だった。

 彼女は運悪く、一帯に木霊する絶叫を耳にしてしまった。
 聞かなかったことにして立ち去るべきだったのだが、ただならぬ空気を感じ、様子を見に行ってしまったのが運の尽きである。
 声の方に進むにつれ、辺りが薄暗くなってくる。
 そろそろ引き返そうかと不安になり出した時、物陰で蹲っている男性を見つけた。
 この男だろうか。後ろ姿は見るからに危険な印象を受けたが、彼女は勇気を振り絞って問う。

「あの……大丈夫ですか?」

 男は答えなかった。ゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと振り向く。

「ひぃっ……!」

 彼女は息を呑み、小さく鳴いた。悲鳴すら出せなかった。
 男は振り向いただけだった。そう、上半身を一切動かさず。 
 男の首は180度回って振り向いたのだ。

 人間ではあり得ない動作。
 その目はぐるんと裏返り、瞳孔が消え失せていた。
 あるのは青いまでの白と、血管の赤。

 全身を怖気が駆け抜け、彼女は踵を返し一も二もなく逃げた。逃げようとした。

「誰か――」

 助けを求めようと声を発するも、言い切ることはできなかった。
 言葉は途中で途切れ、不意に視界が回転する。

「――え?」

 口から出たのは、そんな間抜けな言葉。
 身体から力が失われ転倒、暗い床が迫る。

 二転、三転。頭を強かに何度も床に打ちつける度、顔中に激痛が走る。
 彼女は何故、こうなっているのか理解できずにいた。ただ躓いただけなら、こうはならない。
 よほど速度が乗っている状態ならまだしも、まだ走り出したばかりだったのに。

 何回も顔面を床に擦りながら回転し、ようやく止まった。ひり付く顔をさすろうにも、手足の感覚がない。
 指一本動かせなかった。
 ゆっくりと閉じた目を開いた時、そこに彼女が見たもの、それは――。

 やけに高い天井。

 90度回転した景色。
 
 そして首から上がないのに立っている身体。

 身に付けている服も、自分が今朝着てきた服と同じ物。

 男は左手で首のない身体を支え、右手には錆が浮き、刃が欠けた小振りのナイフ。

 彼女は数秒間、放心状態になり、徐々に状況を把握する。
 無痛故に、彼女の意識は不思議と冴えていた。
それも含めて腑に落ちないことは多々あったが、自分の身に何が起こったのか、その一点に措いてのみ疑う余地はなかった。
 
「あ、あ……」
 
 叫ぼうにも、既に肺と繋がっていない口からは、断続的な呻きしか漏れない。
 代わりに表情は歪み、涙は溢れて止まらなかった。どうしようもなく悲しくて、恐ろしくて堪らなかった。
 信じたくなかったが、信じざるを得なかった。


 自分が、男の持ったナイフによって首と胴に分かたれたのだ、と。

 
 首のみとなった彼女は考える。何故、こうなったのかを。
 それしかできることはなかった。

 自分の首を切ったのは、あの小振りなナイフ。
 だが、いくら女の細首とはいえ、人の首をあんな欠けた刃で――それも一瞬で切断できるものだろうか?
 斬られたことにも気付かないほど素早く、鋭利に。男の右手に握られたナイフには一滴の血も付いてないのだ。
 では、この状況を他にどう説明付けられる? 

 現に自分の首から下の感覚はなく、冷たい床の感触だけが頬に伝わる。
 一切の痛みがなく、あるのは顔を床にぶつけた際の痛みだけ。今も痛みは感じない。
 ここから見える、男に斬られた首の切断面からは骨や肉が露出していたが、やはり血は流れていない。
 いくら斬った瞬間に血が流れなくとも、心臓はすぐに止まる訳ではない。
 本当なら鮮血が噴き出しているはずであり、やはり何か超常の力が働いているとしか思えない。 
 そのせいか、著しく現実感を損なった光景に思える。いっそこれが夢であることを願うばかりだった。

 しかし男は嘲笑うかの如く、現実を突きつける。
 再びナイフを一振り。抗わない胴体から、右腕が切り離される。

 彼女は、自分の身体が解体される様子を客観的に眺める異常さに震えた。
 切り落とされた腕からも断面からも、血は滲んでこそいるが、滴り落ちてはいない。
 彼女が心底恐怖するのはここからだった。
 男は右腕を口元に持っていく。あんぐり開けた大口に指先から差し入れる。

 まさか――。
 その、まさかである。
 鋭く尖った歯、いや、最早それは牙か。
 男は牙を以て一口で骨ごと手首を食いちぎった。

「ひっ……」

 短い悲鳴を意にも介さず、続けて腕を口に運びつつ噛み切る。骨も筋もなんのその、すぐに腕は男の口の中に収まった。
 バリ、バリ、シャグ、シャグ、と。およそ人肉を咀嚼しているとは思えない音だけが地下に鳴り響く。

 彼女はそれを茫然と見つめる。目を閉じ、耳を塞いで現実逃避できたなら、どれだけ楽だっただろう。
しかし耳は塞げず、目を閉じても音は入ってくる。何をされているかわからない恐怖は、目に見える恐怖に勝った。
 そして何より。
 目を閉じれば、待っているのは絶対の死。

 首を落とされているのに何を、と思われるだろうが、そもそもこの光景が現実とは思えない異常事態なのだ。
もしかしたら、砂漠の砂の一粒でも救いの可能性が残っているかもしれないではないか。
 彼女は、その希望に縋って目を開く。その希望が、最期の絶望を増大させるのだと心のどこかで感じながら。

 ナイフという物体を通したが故だろうか。
 手間を掛けずとも食えたにも関わらず、男は――否、男の皮を被った異形はナイフで獲物を解体した。
 特に必要性はない。言うなれば、それが彼なりの拘りであり様式美。
 人で例えればステーキの焼き加減程度の意味しか持たないが、譲れない拘りなのかもしれない。
 その割には柔らかい乳房も、硬い骨盤もお構いなしに切り刻み、噛み砕き、淡々と呑み込む。
 乱雑な食事風景は、とてもグルメには見えない。

 だが、おそらくはこうだ。
 敢えて痛みを感じさせず生き長らえさせ、自分の身体が食われる様を見せつけることで、恐怖と絶望という調味料をじっくり馴染ませる。
 それが彼の好みの味付け。
 好物を最後に取っておくタイプであることは間違いないだろう。
 もっとも、人食いの嗜好などわかりたくもないが。

 壊したいという欲求は、支配欲の裏返し。
 対象を喰らい、自らの身体に吸収することは、ある意味では最大の支配であると言える。 
 一滴の血も余さず、原型すら留めず、魂さえも胃の腑に収める行為は、破壊と支配を両立させる意味もあるのだろう。

 一滴の血も流さず、黙々と男は食事を続ける。
 その身体の主だった女性は、およそ三分もの間、自分の身体が喰われるのを眺めていた。
 ストッキングと靴ごと足を食べ切ると、後には何も残らなかった。
 彼女を構成していたものはもう、首から上しか残っていなかった。
 その他の全ては、グチャグチャになって男の胃袋の中にある。

 胴体を食べきっても、彼はまだ満足していない。まだメインディッシュが残っているのだから。
 期待に舌舐めずりしながら、その足は転がった首に向けられた。

「あ……あぁ……」

 近付いてくる。
 死が。
 絶望が。
 終わりが。
 コツコツと靴音を響かせ、一歩一歩、にじり寄ってくる。

 さっきまで抱いていた僅かな希望は、既に木端微塵に砕け散った。
 かと言って潔く諦めることもできず、ただ怯えている。
 いっそ食われる前に死んでしまいたかったが、恐怖で歯の根が噛み合わず、舌を噛み切ることもできない。

 神でも誰でもいい。助けてほしい。
 がむしゃらに祈る。
 数分前までと異なり、圧倒的な現実の前に祈りは具体性を保てなくなっている。
 彼女自身、もうそんなものは信じていないからだ。

 心の中で家族の名を叫んだ。
 父と母と、夫と娘。
 顔を浮かべて別れを告げた。精神を蝕む恐怖に、理性を完全に失う前に。
 居もしない神やヒーローに祈るくらいなら、その方がよほど有意義だと思った。

 髪の毛が両手で鷲掴みにされ、目の高さまで持ち上げられる。いよいよ、その時が近付いてきた。
 脳裏に浮かべた家族の顔が塗り潰される。どす黒く荒れ狂う恐怖に押し流される。
 眼前には、大きく人間の限界を超えて開けられた口。
 その奥に広がっているのは無限の闇。
 首だけとなってもなお、悪寒が脳天を突き抜ける。
 
 せめて一瞬で終わらせてほしい。口には出さずに願う。
 もう怯えることに疲れた。最後の瞬間くらいは心静かに迎えたいと、諦めを受け入れた。
 だが、彼女の最後の願いすら男は裏切った。

 彼女の首が下から解けていく。
 首が、顎が、数秒も掛けてゆっくりと闇に吸い込まれていく。
 諦めで覆い隠した恐怖が再び顔を出す。

「いや……助け……」

 それが最後の言葉だった。ついに語る唇が解けてしまったのだ。
 次に鼻、次に目と耳、順に感覚が失われる。
 唯一残される思考。
 一つの言葉と一つの感情が彼女を支配する。

 どうして私がこんな目に。

 最期の瞬間、彼女が求めたものは救済ではなく、家族との再会でもない。
 破壊だった。世界すら壊せそうなほどの激しい憎しみが、彼女の内に生まれた。
 死の間際、彼女は呪った。男の姿をした化物を、自分をこんな運命に追いやった世界を憎んだ。

 そして男が大きく一吸いすると、黒く染まった意識は完全に闇に同化し、消失する。
 あまりに呆気なく、彼女は抱いた憎悪ごと喰われた。彼女という人間は、薄暗い地下で誰にも知られず死んでいった。

 公には失踪、行方不明として処理される。現場には靴や小物はおろか、血痕も残っていない。
 遺された家族は帰りを待ち続けるだろう。気持ちに区切りをつけることもできずに。
 男に憑依したモノ――即ち、魔獣に喰われるとは、多くの場合そういうことなのだ。
 
 全ての人間の天敵である魔獣、ホラー。
 陰我のあるオブジェが彼らの世界、魔界と通じるゲートとなり、この世界に現れる。
 陰我とは万物に存在する闇。ホラーは人や物の陰我と引き合い、憑依、同化する。
 性質はホラーにより異なるが、多くのホラーに共通する根源の目的は人間の捕食である。
 太古の昔からホラーは人間を狙って、この世界に現れてきた。

 その度、人を陰ながら守り、ホラーを狩ってきたのが魔戒騎士。しかし、彼らとて万能には程遠い。
 結局、彼女に救いは訪れなかった。どれだけ憎もうとも、ホラーの前では無力。
 彼女の憎しみはホラーに吸い上げられ、この時は発現することはなかった。
 
 人間を一人平らげ、とりあえず腹を満たしたホラーは歩きだした。
 この場には、もう何の用もない。
 行くなら、もっと人の多い場所。そして動くなら夜だ。
 狩りの時間が待ち遠しいと、期待に胸を膨らませながら、人の皮を被った魔獣は歩き去る。
 後には何も変わらない、閑散とした地下の薄闇だけがあった。


*

 私は今だに思う。
 この日、涼邑零と巴マミが出会っていなければ、どうなっていただろうかと。
 青年の運命は確実に変わっていただろう。
 巴マミに絡んでいなければ彼は地下を訪れず、ナイフを拾っていなければ彼は死なずに済んだのだから。

 他に引き合う陰我を持つ者が来る前に、涼邑零は魔道具シルヴァの導きでホラーを浄化していた。
 また平時の巴マミなら、青年の首筋に刻まれた印、魔女の口付けと呼ばれるマーキングを見逃さなかった。
 結果、ホラーは顕現せず、魔女の餌食にもならなかっただろう。彼の命は救われていた。

 もしもそうなっていれば、この夜の出来事もなく、後の全ての事象が大きく変わっていたはずだ。
 少女たちは危険に晒されることもなく、その代わり騎士と出会いを果たすこともない。
 運命は交わらず、両者はすれ違ったままで終わっていたかもしれない。
 その場合、彼女らは遅かれ早かれ、ホラーの毒牙に掛かっていた。

 言い換えれば、青年の死によって他の誰かが生き延びた。その命は、彼の犠牲の上に成り立っていると言えよう。
 誤解を恐れず言えば、彼の死は少女の生の為に必要な犠牲だった。
 だが、彼がそれを知ることはない。もっとも仮に知ったとしても、何の慰めにもなりはしないだろう。

 では彼女は? ホラーに憑かれた青年に喰われた哀れな主婦の死には、何か意味があったのだろうか?
 私は、その問いに対する答えを持たない。
 ただ一つ確かなのは、人間が牛や豚を食べるのと同じ感覚で、魔獣は人間を食べるということ。
 行為自体はホラーにとってごく自然なことであり、それ以上の意味などありはしないのだ。

 彼らは物語の上では名もなき端役に過ぎないが、それぞれ家族があり、人生があった。
 少女たちのそれに比べても、けして軽いものではなかったはずだ。
 命の価値に貴賎はない。だが少女は救われ、彼らは救われなかった。

 では両者の違いとは?
 明暗を分けたものはなんだったのか。

 特別な違いなどないのだ。

 ただの偶然。
 ただの幸運。

 救いが間に合ったかどうかの差でしかない。
 見えざる手に操られたかの如く運命は選り分けられ、二人は死に、少女たちは生き残った。

 そして生き残った少女たちは、その幸運に見合うだけの不幸に見舞われる。
 生き残ったが故に希望を持てる彼女らは、絶望もまた背負うことになる。
 それは誰であれ、動かせない摂理。

 
 人の一生の禍福、幸運と不運は等量と言うが、何事にも例外はある。
 幸運が巡ってくる前に、希望を掴む前に、不運にも人生が終わってしまった場合だ。 

 魂を食い荒らされ、人を喰らう魔獣が己の皮を被って成り済ます。
 生きたまま解体され、無痛故に意識を失うこともなく、ゆっくりと喰われていく。
 その絶望と恐怖は如何ばかりか。

 前者――ナイフに喰われた不良青年、彼はまさしくそれだった。
 不運に不運が重なり、自業自得とはいえ最後に最悪の不幸に喰われてしまった。
 更に後者、彼に喰われた主婦に至っては不幸だったとしか言い様がない。
 彼女は夫と子供に恵まれ、極々平凡で慎ましやかな、それでいて幸せな人生を歩んでいた。
 大きな善行もなければ、これといった罪もない。その対価がこれならば、世界は余りに残酷過ぎる。


 この深い恐怖と絶望に釣り合うだけの希望が、果たして二人の人生にあったのだろうか。
 それほどのものを得てきたのだろうか。
 答えを知る術はもう、ない。
 死の間際の絶望は、幸せな記憶も希望も全てを黒く塗り潰してしまった。
 最後まで二人は救いを求め、それが得られないと悟った最期の瞬間に、二人はこの世を呪った。
 それは誰しも、生きている限り逃れられない定めかもしれない。
 魔を狩る少女や騎士とて、決して例外ではいられないのだ。


 ここから約九時間、街は何事もなく流れる。
 太陽が天頂まで昇り、落ちる。
 逢う魔が時と呼ばれる夕暮れが過ぎ、夜が来る。
 暗く、深い闇が街を覆う夜が。

 夜は魔女や魔獣と呼ばれる存在に形を変えて人々を襲う。
 人は魔の者共に抗う術を持たない。
 だが、もし運が良ければ一筋の光明を目にすることもできるだろう。

 そしてこの夜、私は――少女たちは眩いほどの金色の輝きを目にする。
 闇の中に立ち上がる、黄金の狼の雄姿を。



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