牙狼―GARO―魔法少女篇 第一話「終焉」 その3

2011年11月23日 19:03

まどか「黄金の……狼……」 牙狼―GARO―魔法少女篇

240 :◆ySV3bQLdI. [sage saga]:2011/07/03(日) 23:57:27.77 ID:e8voSFyko

 目の前には、キュウべえを抱えるマミと、それ心配そうに見つめるまどかとさやか。
 現場に到着した瞬間、ほむらは何が起こったのか即座に理解した。

――遅かった……!

 ギリッと、表にこそ出さなかったが内心で歯噛みした。
 まどかの救命、この点に限っては問題ない。誰がやろうとも、そこは無事で何よりだと喜ぶべきこと。
 むしろマミが来なければ高確率で手遅れになっていたのだから、感謝して然るべきなのだろうが。

 しかし、事はそう単純ではない。まどかはキュゥべえと接触してしまった。
 キュゥべえは間違いなく、まどかを誑かすだろう。
 その人間が本質的に望むモノを嗅ぎ付け、取り入ることに長けた奴だ、中学生一人を手玉に取るくらい容易い。

 それだけでも危険なのに、なお助長するのがマミの存在。
 何も知らずに甘い英雄幻想を夢見るまどかは、当然の如くマミに憧れるだろう。
 その果てに、どんな未来が待ち受けているとも知らずに。
 マミはマミで新たな仲間の出現を喜ぶ。これまでの例を鑑みるに断る理由はない。

 つまりはマミとキュゥべえが合流し、まどかと出会った時点で、ほむらの考えていた作戦は意味をなくす。
 妨害しようとすれば、マミは十中八九、反撃してくる。なるべくなら彼女とは戦いたくなかった。
 彼女は強力な魔法少女だし、一応は顔見知りでもある。何より意味がない。
 いや、マミがいなくとも結果は同じだったか。
 見た目は愛らしい小動物を殺めようとするだけで、まどかには悪者と見なされてしまう。
 信じてもらえなければ、どれだけ想っていても、正しくとも、無意味なのだから。

 そうしてしばらくの間、黙考を続けていたほむらだが、

「魔女は逃げたわ。仕留めたいなら、すぐに追いなさい」

 マミの言葉でハッと我に返る。
 そうだ。魔女は逃げ、キュゥべえの殺害に固執する必要もなくなった。
 故に当初の目的を考えれば、ここに留まる理由はもうない。
 そう、当初の目的では。

 再びの黙考。
 向こうも事を構える気はないようだ。
 その余裕は、襲われたとしても自分は負けないという絶対の自信から来ている。
 その慢心とも言える余裕振りに従うのも癪だが、僥倖に違いはない。
 ならば答えは――。

「その必要はないわ。私にはまだやることが残っている」

 マミは目を丸くして意外そうな顔をした。ほむらを賢く、計算高い人間だと分析していたからである。
 が、その驚きも一瞬。すぐに取り繕い、微笑を取り戻す。

「意外と鈍いのね。見逃してあげるって言ってるの」
 
「勘違いしないで。見逃してあげるのは私の方。心配しなくても、あなたに興味はないわ。そこのキュゥべえにもね」

「なんですって……?」

 挑発とも取れる言葉に、マミの表情がやおら険しくなった。対するほむらは涼しい顔。
 空気が張り詰め、さやかとまどかが剣呑な雰囲気に怯えながら両者を交互に見る。
 ほむらはマミの殺気を真っ向から受け止めた。引けない理由があった。
 まだ、危機は去っていないのだから。

 ついさっきまで戦っていた使い魔。髭と張の使い魔は魔女のそれだろう、いかにもな風貌をしていた。
 だがローブを着込み、ナイフを振り回す影はどうだ? 
 攻撃方法といい、意匠といい、魔女の使い魔らしからぬ印象を受けた。

 ここにいた魔女は1体。
 その点はマミが逃げたと言っていること、結界が解けたことからも確か。
 ではあの、あまりにも髭と共通点のない影は何だろう。
 思うに、あれは魔女の使い魔とは違う、別の何かではないか。

 推測の域を出ないが、裏付けるものはある。髑髏の指輪に『鋼牙』と呼ばれた白い剣士の存在。
 彼は強かった。それどころか歴戦の戦士と呼ぶに相応しかった。だが、それだけではない。
 影との戦いは、日常的に戦い慣れた者だけが為せる業。

 そして、どれだけのダメージを与えれば殺せるか、死ねば死体はどうなるか、特性を完全に理解していた。
 これらのことから推察するに、鋼牙の敵とは奴らではないか。そう、ほむらは考えた。
 極め付けが別れ際の一言。

――敵は魔女だけじゃあない。危険を感じたらすぐに撃て。

 敵が影だけなら、こんなことは言わない。おそらくはあれも使い魔、操る何者かが近くにいる。
 となれば、まどかをマミだけに任せて一人逃げるわけにいかない、絶対に。
 まだ張った気を緩めていないが故に、マミの挑発にも挑発で返してしまった。
 マミの片目がスッと眇められる。同時にほむらも、そっと左腕の盾に手を伸ばす。

 彼女の手の内は知っている。相性は悪いが、先手を取られなければ負けはない。
 無言で睨み合う両者。
 まさに一触即発の静寂に割って入ったのは、近付いてくる足音だった。

「誰!?」

 そう言ったのはマミ。足音に向き直り、マスケット銃を構えた状態で闇に目を凝らす。
 ほむらの反応は真逆だった。心なしか緊張の解けた顔で、マミと同じ方を向く。

――来てくれたの?

 ほむらには心当たりがあった。今、こんな場所に来る人間といえば一人しかいない。
 彼が、鋼牙が使い魔を片付けて来たのだと。
 やはり無事だった。そうだろう、彼があんな雑魚に負けるはずがない。
 我知らず口元が綻ぶ。だが胸の内に湧き上がる感情に、ほむら自身は気付いていなかった。
 それは安堵。彼が共にいれば、誰が相手だろうと負ける気がしないという確信。
 一緒にいた時間は10分にも満たないにも関わらず、ほむらは鋼牙に僅かながら信頼を抱きかけていた。

 
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 やがて、闇の中から足音の主が姿を現す。
 その時、最も平静に近かったのは、意外にもまどかとさやか。現われたのが人間だったからだろう。
 ほむらは落胆し、驚くと同時に警戒の色を強める。
 そしてマミは目を見開き、驚愕を露わにした。
 
「おい……そこにいるのは人間か……?」

 現われたのは、黒地に派手な柄の入った革のジャケットに、下品な金髪の男。
 おそるおそるといった様子でこちらを窺う顔に、マミは覚えがあった。

「あなたは……!」

 それは紛れもなく、今朝マミに絡んできて、
 涼邑零と名乗る謎の男に腕をねじり上げられていた不良だった。

「あぁ? お前……今朝の……」

 向こうも気付いたらしく、マミを指差す。
 マミは黙して答えず、どう応対すべきか迷う。
 不思議な気分だった。数時間前、乱暴される寸前だった不良男が目の前にいる。
 嫌悪の対象でしかなかった男が今、どういう訳か異常な空間に迷い込んできている。
 大の男でも、この場では守るべき非力な一般人に変わりはないが――。

 果たして守る価値があるのだろうか。こんな少女に笑いながら掴みかかろうとするようなクズに。

 人を守り希望を振りまく魔法少女として、あるまじき考え方がマミを躊躇させた。
 黒く淀んだ感情が、澱のように胸の奥に溜まってつかえる。

「な、なぁ。何なんだ、ここは。いきなり変な化け物がうろついてたから必死に隠れてたけどよ。
壁や天井もおかしくなっちまったと思ったら、急に元に戻るし……」

 男はマミの正体と、何故ここにいるかという疑問をさておいたらしい。思い切りうろたえて四人を見回す。
 その狼狽振りを眺めていたマミは軽く深呼吸。息を落ち着かせ目を開くと、とうとうと語り出した。

「落ち着いて下さい。詳しくは話せませんが、もう安全です。この娘たちと一緒に出口まで送りますから」

「お、おう……」

 マミの事務的で有無を言わさぬ口調に、渋々といった体で男は頷いた。 
 今は遺恨は忘れて、すべきことをしよう。そう決めたマミの行動は素早かった。
 状況に置いてきぼりにされているまどかとさやかにも目を向け、

「さぁ、二人とも歩ける? もう大丈夫よ。念の為に私が先頭を歩くから、その人と一緒に付いてきて」

 男相手とは打って変わって優しく、不安を解すように促す。 

 結界が消滅したことにより、フロアは黒一色を取り戻した。
 普通の人間なら明かりなしでは歩くのもおぼつかない闇。
 使い魔共も逃げ出しているだろうが、まだ一匹くらいは残っていてもおかしくない。 
 資材の類もそこらに転がっている。念の為、自分が警戒しながら誘導しようと考えた。

「は、はい……でも……」

 まどかはチラリと、突っ立っているほむらを見やる。
 彼女はどうするのかと、色んな意味で気になるのだろう。
 それを受け、三人を従えたマミは列の先頭から、

「あなたも付いてきたら? 一緒に連れて行ってあげてもいいわよ?」

 またも挑発を投げかけた。
 間に挟まれたまどかとさやかは気が気でない。男は何が何やらといった顔をしている。

 ほむらは答えない。沈黙を保ったまま、矢の如く鋭い視線だけを向ける。
 マミがそれに応じ、数秒が経っただろうか。ほどなくして口を開くと、ぽつりと一言。
 
「あなたという人は……どこまでおめでたいの?」

「……どういう意味かしら?」

「こんなところを、馬鹿みたいに一列になって歩かせる気かと言っているのよ」

 徐々にほむらの語気と眼光が強くなっていく中、唯一の部外者である男だけはポケットに右手を突っ込み、平然としている。
 マミも、まどかも、さやかも、誰もそれを不思議に感じていない。
 ついさっきまで異様な結界と化していた場所で、少女二人が平気で火花を散らしており、
 しかも一人は、指を掛けたマスケットの引き金を今にも引き絞らんばかりの威圧感を漂わせている。

 真に一般人であるまどかとさやかは、板挟みの緊張から身を竦ませてしまっている。これが正しい反応。
 この男は、さも退屈そうに無表情で状況を見守っている。
 ごく自然にその立ち位置をキープしているが、離れて見れば逆に不自然。おかしいと思わないことがおかしい。

 ほむらの視線は、最初から一人に注がれていた。
 先頭のマミでも、その後ろのさやかでもなく、まどかの背後に立つ男の動向に。
 そうとも知らず、マミは自らの正統性を主張する。

「私は十分ではないけど視界も利いているわ。使い魔が残っている場合に備えて、私が道案内しつつ先頭を歩く。
何かおかしい? あなたもクラスメイトなら後ろを警戒くらいしたらどう?」

 ほむらは軽く溜息をついた。

 やはり、彼女に期待するだけ無駄、か。それとなくサインを送ったつもりだったのだが。
 マミは優秀な魔法少女だ。その点に措いては一点の疑いもない。
 彼女が気付けなかったのはひとえに疑っていなかったから。
 魔女と使い魔という固定観念に囚われていたからだ。可能性を考えもしなかった。

 ほむらとて、影の使い魔と戦い、鋼牙の忠告を受けていなければ見過ごしていただろう。
 正直、現時点でも確証には至っていないのだが。

「そうね、あなたが前しか見てないみたいだから……」

 私が確かめるしかない。

 ほむらは歩きながら、どこからともなく拳銃を取り出し、スライドを引き――

「彼女から離れて。それとポケットから手を出して、両手を上げなさい。ゆっくりと」

 男の後頭部に突き付けた。

「ほむらちゃん!?」

「ちょっと転校生! あんた何してんの!?」

 まどかとさやかの声が前方から飛ぶ。
 ほむらは敢えてそれを無視して、男に問う。手の内にある鉄の塊を、ゴリッと頭皮に擦りつけながら。

「答えなさい。あの使い魔を放ったのはあなたなの?」

「し、知らねぇよ! 使い魔って何のことだよ!?」

 男は膝と腕をガクガク震わせながら左手を上げた。
 声は震えて上擦り、顔中に冷や汗を掻き、全身で怯えを体現している。
 とても演技には見えないし、だとしたら大したものだ。
 だからといって勘で判断はしない。それは最後の最後の手段だ。
 同じく、いくら危険を感じたら撃てと言われていても、確証なしにはできない。

「私と白いコートの男を襲わせた、ナイフを持った黒いローブの影よ」 

「だからわかんねぇって言ってんだろ!」

「そう、そう言うと思ったわ」

 直接聞いて白状するとは思っていない。
 本当に運悪く迷い込んだ一般人でも、黒幕だったとしても、同じ台詞を吐くに決まっている。
 だから、こんな問いは何の意味も持たない。せいぜい間を持たせる意味しか。

 ほむらは拳銃を左手に持ち替えつつ、更に男を恫喝する。

「右手もポケットから出しなさいと言ったはずよ。早く!」

「あ、ああ、わかったよ……」

 恐る恐る右手が上がる。
 この男は最初からそうだった。右手は常にポケットの中にあり、何かを弄っているような動き。
 不審に思い、ポケットを探ってみると案の定、

「これは何かしら?」

「拾ったんだよ! 化け物がうろついてたんだ、武器になると思って……」

 出てきたのは錆が浮き、刃が欠けた小振りなナイフ。鞘にも収めず、剥き出しで入れられていた。
 かなり古そうな血痕が見られる。拾ったというのもあながち嘘ではないのか。
 こんなナイフでは使い魔はおろか、人を殺傷するにも不十分だろう。
 むしろ、こんなものにすら頼りたくなる心理の表れかもしれない。

 本当にこの男、ただの一般人なのかも。
 そんな予感さえ生まれ、信じたはずの直感がグラつく。

「ふん……」

 どの道、警戒するには及ばない。
 ほむらは、鼻を鳴らしてナイフを足元に投げ捨てた。元の持ち主がそうしたように。
 キンッと高い金属音を立ててナイフが転がり、何とはなしに、ほむらはそれを見やった。
 刃の表面はほとんど錆に覆われていたが、一部はまだ周囲の景色を映している。
 映っていたのは闇と見下ろす自分の顔。

 それともう一つ。
 自身の背後――肩の後から覗く黄色いリボン。

 背筋を冷たいものが走る。
 同時に理解した。正義の魔法少女を自負する巴マミが、銃を出してから一度も制止の言葉を発さなかった理由。
 既に彼女は、自分を敵として捉えている。交渉や会話の余地なしと考えている。
 故に、気付かれないようリボンを背後に這わせた。

 振り向きもせず、ほむらは素早く右手にも銃を握る。そして前方の標的に狙いを定める。

「動かないで!!」

 と、言いながら銃を向けたのは、マミでなく――美樹さやか。

「動いたら美樹さやかを撃つわ。あなたが私を撃つよりも、縛るよりも早く、私の指は引き金を引く」

 警告の対象はマミ。だが、銃を向けたのはさやか。
 無論、単なる脅し、ハッタリである。マミを止められるとしたらこれしかない。
 狙われたのが一人なら強引に拘束もできる。なら、二人ならどうだろう。
 自在に動くマミのリボンも、二丁の銃による狙いを同時に、かつ瞬時に外せるだろうか。

 確信はなかったが少しでも不安があるならマミは動かない。それは彼女が人を守護する正義の魔法少女だからだ。

「お願い。できれば撃ちたくないの。だから、もう少しだけ待って。私に撃たせないで」

「くっ……!」

 どうあれ、脅しとしては効果的だったらしい。マミは悔しげな呻きを漏らした。
 これで三人の印象は最悪だろう。今回はキュゥべえを狙う場面を見られていないから或いは、とも思ったのだが。
 これで完全に悪役決定だ。
 それでもいい。たとえ嫌われようと憎まれようと、このまま四人を行かせて全滅するよりはずっと。
 彼女が正義の魔法少女なら、自分は悪でも構わない。

 ほむらは努めて冷徹に、冷酷に声を出す。悪役らしく、冷笑を含ませながら。
 少しでもマミを牽制する為に。

「銃を下ろして、三歩下がりなさい。それと、間違ってもリボンを這わそうなんて考えないでちょうだい。
驚いて指が動いてしまうかもしれないから」

「あなた……どうかしてるわ!」

「そうね、どうかしてるのかも。でも、それはあなたも同じよ。
偶然こんな場所に迷い込んで、運良く使い魔共の目からも逃れて、わざわざ奥まった場所まで来るなんて。
そんな都合のいいこと、あり得るのかしら」

 大方、まどかとさやかはキュゥべえに誘われたのだろうが、この男は自らの意思で来た。
 このタイミングで、作業員でもないのに、だ。こんな場所、普通なら頼まれたって入りたくない。
 それだけでも疑うには十分なのに、使い魔を隠れてやり過ごし、フロアの奥まで入ってくる。
 途中には非常口を示す非常灯だってあったのに。

「あり得ないとは言い切れないわ」

 と、マミが言った。
 そう、有り得ないとは言い切れない。根拠として弱いことは自覚していた。
 だからこそ迷いは拭い切れないが、撃ちさえしなければ間違っていてもなんとかなる。
 大事なのは鋼牙が来るまで足止めすることだ。
 彼さえ来てくれれば、きっと何もかもがはっきりする。

――だからお願い……早く来て……!

 マミと、男と、さやか。額に汗を浮かべながら、ほむらは三方に注意を絶やさない。
 マミは敵愾心を隠すことなく、憎悪すら露わにして睨んでいる。
 さやかとまどかも気丈に口を引き結んでいるが、拳銃というリアルな脅威を前に震えていた。
 男は変わらずだ。

 この膠着状態、長くは維持できないだろう。
 ほむらが隙を見せるか、マミが想定外の手段で攻勢に出るか、さやかが恐怖に耐えられなくなるか。
 確かな事実は二つ。
 均衡が崩れれば誰かが死ぬこと。
 そして、すべての鍵はこの両手に掛かっていること。
 呼吸も忘れるほどの緊張。一瞬でも注意を緩めれば、マミか正体を現した男に容易く狩られる気がした。

 ほむらは願いを込めて鋼牙の姿を思い浮かべた。
 白いコート。赤い柄と鞘の剣。ザルバとかいう喋る指輪。
 それらを一つ一つ思い出す過程で、ほむらはハッとなる。
 目蓋の裏に焼き付いた鮮やかな緑の炎。挟んで視線を交わした。
 あの時、彼は何と言った?

「ホラーではない、か」

 ホラー。おそらくは、それが彼の敵。
 ホラーが何かは知らないが、あの緑色の炎を出すライターが《ホラー》とやらを見分ける道具。
 それをほむらにかざして確証を得たのだとしたら、一つの仮説が成り立つ。
 即ち、ホラーは人に化ける能力を持っている。

「そう、ホラー……あなたがホラーなのね?」

 ほむらは男に突き付けた銃に力を込めて言った。そう考えれば、鋼牙の忠告もすべて辻褄が合う。

「さっさと正体を見せたらどう? 時間を掛ければ掛けるほど、あなたに不利になるんじゃないかしら?」

「しょ、正体って……」
 
 あくまで白を切る気か。
 だがホラーという単語を口にした瞬間、男が僅かだが反応したのを、ほむらは見逃さなかった。
 これはかなり核心に近いのではないか?
 ここぞとばかりに、一挙に畳みかける。
  
「鋼牙――彼は、あなたの天敵はじきに使い魔を片付けてここに来るわ。それが怖かったから足止めをさせたんでしょう?
でも残念ね。いくら数に物を言わせても、あの程度の雑魚なんて彼の敵じゃない」

 間違っていてもいい。マミを少しでも信用、或いは攪乱させられるなら、今はとにかく喋ることだ。
 珍しく、柄にもなく多弁になるほむら。とにかく男の正体を暴こうと躍起になっていた。
 そこへ、蚊帳の外に置かれていたマミが口を挿むが、

「ちょっと、ホラーっていったい何の話――」

「クッククク……」

 と、不気味な含み笑いに遮られた。
 不様に怯えていた男が一変、さも可笑しそうに何度も頷いている。

「いや、その通りだ。ちょうど腹が減っていたところだしな。魔戒騎士が来る前に終わらせよう」

 姿は変わらないのに、口調も纏う雰囲気もまるで違う。
 中でも最たるものは声だ。地獄の底から響くような低く、重く、しゃがれた声。
 全身を縛り、絡みつくような空気が流れる。
 魔女のそれとも異なる重圧を、魔法少女のマミはもちろん、まどかとさやかも本能で感じ取っていた。
 
「そろそろ我慢も飽きてたんだ。こんなに美味そうで――壊し甲斐のありそうな餌が四人もいるんだからな!」

 声と共に、男の姿が変わった。
 いや、変わったという表現は相応しくない。
 皮を引き裂いて、肉片を一瞬で振り飛ばし、中から醜悪な怪物が生まれた。

 全身を覆うのは、朽ち果てた建物の壁を連想させる、赤黒く荒れた皮膚。
 触れただけでヤスリのように削られそうだ。
 腰と肩に見られる黒光りする無数の突起は、一つ一つが鋭利な刃になっている。
 印象としてはハリネズミに近い。
 人より縦長の髑髏に薄く皮膚を貼ったような顔には、人のものとは思えない尖った歯が並ぶ。
 だらりと垂れた左手は異常に長く触手状になっているが、両端は薄く研がれた――まるで両刃の剣だった。

 そのすべてが脈打ち、この怪物が生き物であると知らせる。
 一言で表すなら異形。
 なまじ魔女よりも認識しやすい形をしているせいか、より怖気を誘った。
 
「――っきゃぁああああああ!!」

「二人とも下がって!」

 まどかの悲鳴をBGMに、飛び退いたほむらはさやかを庇うマミと並び、怪物と対峙する。

「これがホラー……」

 ほむらは無意識に呟いていた。 
 結果を急ぐあまり追い詰め過ぎたのか。唯一、ホラーとの戦いを知る鋼牙はまだ来ていない。
 やはり彼が来るまで引き延ばすべきだったのだ。

 自らの不明を悔いるほむら。
 だが、もう遅い。今はマミと二人を守りながら戦うしかない。
 そう覚悟を決めて、両手の銃を構えた。

「何よ……これ……」

 呆然と呟いたのはマミ。
 触手を妖しくうねらせる怪物を前に、マミは立ち尽くしていた。
 まさか魔女でもない怪物が存在して、しかも人間に化けているなんて誰が思うだろうか。

 ――いいえ、こうなってしまった今だから言えるのかもしれないけど、予感はあった。
 彼が暗闇から現れた瞬間、言い様のない悪寒を感じた。人間の靴音に銃を向けたのもその為。
 よくよく注意すれば、気配といい目つきといい、ほとんど別人だと察知できたのに……!

 それなのに、見す見す思い過ごしで片付けてしまった。原因は今朝の一件にある。
 自分に暴行を働こうとした彼に、マミは強い不快感と嫌悪感を抱いていた。

 ――たとえ一分一秒でも傍にいたくなかったし、なるべくなら口も利きたくなかった。
 そうやって関わりを避けたいと思うあまり、自ら発していた危険信号を、ただの悪感情と取り違えてしまった……!
 もっと早くに怪しいと思っていればこうはならなかった……今さら言い訳にしかならないけど。

 マミは横目でほむらを見やる。
 表情は緊張で固まり、こめかみを汗が伝っているが、自分に比べれば遥かに落ち着き払っている。

 ――それどころか、もし彼女の横槍が入らなければ、開けたここより狭く暗い通路を列になって進んでいた。
 しかも最後尾は彼。
 主に悪い意味でだが彼は男性だ。何かあった時も二人よりはリスクも少ない。私から遠くにも置ける。
 まさか、こんな時に妙な真似はすまい、と。
 そうなれば、最初に犠牲になったのは彼の前にいた二人。私の判断ミスで彼女たちは確実に死んでいた……。
 私のせいで――

 自責の念に駆られていた時間は長くなかった。すぐにマミはかぶりを振り、思考を切り替える。
 今はそんなことを考えている場合ではないと。
 気付くと、ほむらもマミを見ていた。

「反省なら後にしてちょうだい。やるの? やらないの? やるなら不本意だけど協力しましょう。そうでないなら早く逃げて」

 マミの心中を見抜いたような口振り。
 無遠慮な物言いにカチンと来ないこともなかったが、結果を見れば正しかったのは彼女なのだ。
 ここは従うほかない。
 言動に相容れない点は幾つもあるが、二人を守ろうという思いは変わらないと思う。
 多分、おそらく、思いたい。
 ならば、取るべき道は一つ。

「くっ……やるわ! あなたたちは逃げなさい! 早く!」

 まどかとさやかを下がらせ、銃を構える。
 相手は得体の知れない怪物。信用できるかは不安でも、戦力は多いに越したことはない。
 マミもまた、ホラーと戦う覚悟を決めた。

 そして、まどかとさやか。ほとんど腰を抜かしていた二人は、マミの指示でやっと我に返ったらしい。

「は、はい!」

 と、ぎこちなく答えて動き出した。
 背後を気にしながらマミは、

「それで? 何か策はあるのかしら?」

「私が囮になる。あなたは攻撃に集中して」

 問うと、すぐに答えは返ってきた。
 マミの戦法としては、動き回るより止まった方が戦いやすい。特に最大火力の必殺技は移動しながらでは厳しい。
 それ故に、ほむらの提案はありがたかった。
 しかし、見たところ彼女の武器も銃。負担は彼女の方が大きいが、よほど自信があるのだろうか。

 マミはチラリと背後を顧みる。二人はモタモタと逃げるのに手間取っている様子。
 先の戦闘で床に亀裂が入っていたり瓦礫が散乱している。おまけに非常灯が何個か壊れているせいで、やたら暗い。
 魔法少女の自分でも暗いのだから、彼女らは尚更だ。
 射程から逃れるにはまだ掛かるだろう。時間を稼ぐ必要があった。
 
「わかったわ。それで行きましょう」

 マミが頷くと、ほむらは答えずに駆け出した。答えの代りなのだろう、両手の銃を連射しながら突っ込んでいく。
 マミはまず、ほむらの攻撃とホラーを観察する。でないと、的確な援護のしようがないからだ。
 まず、ほむらが撃った銃弾のほとんどはホラーの胸部に命中したが、流石に正面は防御が固いのか、火花が幾つも散っている。
 金属音からして、弾かれている可能性が高い。

 それは、ほむらも見抜いている。狙いを手足にシフトさせつつ、側面に回り込む。





「今ね!」

 攻撃のタイミングを窺っていたマミは、今がその時だと軽く手を振った。
 床から――正確には、戦闘中にマミが床に開けた弾痕から生えたリボンがホラーの四肢を拘束する。
 同時に、自身の周囲に召還したマスケット銃を取って引き金を引いた。
 一発撃っては捨て、次を手に取り、代わる代わる射撃を繰り返す。

 無数の銃声に紛れて響く、聞くに堪えない醜い悲鳴。
 それでもなお手は止めず、容赦なく撃ち続ける。マミも、ほむらもだ。
 銃声と金属音、そして肉を穿つ音と悲鳴の四重奏。混じり合う音は、否応にも精神を昂揚させる。

 マミは確かな手応えを感じていた。
 やれる。
 倒せる。
 この異形の怪物を。
 
 動きを封じられ、黒い体液を撒き散らしながら仰け反っているホラーを見た瞬間、それは確信に変わった。
 ほむらも射撃の手を止め、力なく棒立ちになった敵を見ている。
 待っているのだ、怪物が崩れ落ちるのを。
 為す術なく拘束され、呆気なく全身を蜂の巣にされた怪物を哀れに思わないでもなかったが、考えないことにした。
 こんなものに同情したところで、何にもならない。正当防衛だと言い聞かせる。

 だが、いつまで待ってもホラーが倒れることはなかった。いや、それどころか――。
 マミとほむらは揃って目を見張る。
 全身に開いた穴がズブズブ音を立てて塞がり始めた。
 逆再生を見ているように、周囲の肉が寄り集まって傷口を埋めているのだ。

 四肢を拘束していたリボンは、銃撃の嵐で破れる度に次のリボンが巻き付くようになっている。
 むしろ何重にも巻かれ、強度は上がっているはずなのに。
 それすらも、ホラーが身をよじるとヤスリのような凹凸の皮膚に引き裂かれた。

「まだ足りなかったのね……!」

 マミは咄嗟に、再度ホラーを拘束しようと試みる。
 手を振り、増えた床の穴から伸びる何条ものリボンが四肢をからめ取った。
 まだだ、まだ足りない。今度は身をよじることも許さない。やり過ぎと思えるくらい、がんじがらめに縛った。
 次々にリボンを増やした結果、今やリボンでホラーの身体が埋め尽くされ、見えなくなっている。
 唯一、左腕の触手を除いて。
 
 ほむらも両手の銃を上げて攻撃に加わろうとするが、

「手を出さないで!」

 マミはそれを制した。
 今、拘束が少しでも緩まるのは避けたかった。
 これから繰り出す攻撃は外せない。大量の魔力を消費するそれは、拘束魔法とセットで使う、云わば必殺の一撃。
 一挺のマスケット銃に魔力を注ぎ込む。
 オレンジの光が銃身を取り巻き、マミの背丈にも届く巨大な銃身が生まれた。
 
 それだけでも十分な威力だが、マミはさらに魔力を集中させる。確実に葬り去る威力まで高めなければ。
 巨大な銃身をオレンジの光が包み込み、銃身はもう一回り巨大化した。
 マミの体躯を遥かに超えた銃身は最早、砲と呼ぶべきか。その巨大さ故に、台座で固定して安定を保っている。

「行くわよ――」

 ほむらは黙って見守っていた。何かあれば、即座に動けるように。
 その時、ホラーの動きに変化が起きた。と言っても、左手の触手が器用にうねり、全身をさっと撫でただけ。
 ただ、それだけでホラーを拘束していたリボンはすべて切断され床に落ちた。

「駄目!!」

 マミに向けて叫ぶほむら。巨大な銃身が陰になって、彼女からはホラーが見えていない。
 ほむらの制止でマミも何が起きたかを理解するが、既に遅い。銃口には光が集まりチャージを始めている。
 もう止まれる段階を過ぎていた。今、止めれば込めた魔力が無駄になる。

――撃つしかない!!

 幸い、ホラーは避ける素振りを見せない。一か八か、この一撃に賭ける。
 ほむらもマミを助けるべく、ありったけの弾幕を張る。
 マミの一撃が決まるまで、この場に押し止めなければ。
 再度の銃撃、ホラーは声も上げなかった。どれだけ肉が抉られようと仰け反りもせず、視線はマミを捉えている。
 その沈黙に、ほむらは不気味なものを感じずにはいられなかった。

 砲身を形成してから一秒余り。ほむらとマミには永遠にも感じられる一秒だった。
 砲口に光が集束し、

「ティロ・フィナーレ!!」

 マミの掛け声に合わせて炸裂。溜め込んだ魔力をエネルギーに変換した光弾を解き放つ。
 オレンジの光弾は砲口の大きさに見合った巨大なもの。当たれば、たとえ相手が誰だろうと無事では済むまい。
 それほどマミは、この技に絶対の自信を抱いていた。

 それと同時、ホラーも動きを見せた。
 腰と両肩にある黒光りする突起。
 ハリネズミの棘を連想させる無数の刃がすべて光弾に切先を向け、一斉に射出された。

「――ッ!!」

 ほむらの爪先から脳天まで震えが走る。
 これは駄目だ。
 これは絶対に危険だという直感。 

 撃ち出された刃は、さながらガトリング砲の如き連射速度でマミの切り札を迎撃する。
 空中で光弾と刃がぶつかり合い、激しい爆発を起こした。
 ほむらは身を伏せ、盾を前面に構える。耳と目を覆うことも叶わなかった。
 闇をも焼き尽くすような炎。目も開けられない光と衝撃波で、攻防の行方は窺い知れない。
 己の身を守るだけで精一杯だった。

 ただ、爆音に紛れて何かがヒュンと空気を切り裂いた。
 頭上を掠めた幾つものそれは、カカカカッと壁に突き刺さる。
 おそらくは破片だろう。伏せていなければ、どうなっていたことか。想像してゾッとする。
 側面ですらこれなのだ。正面に立つマミは全身を貫かれていても不思議はない。
 マミは、ホラーどうなっただろう。未だ爆煙が立ち込め、なんとか視覚が正常に戻っても両者の姿は見えない。

 ふと、立ち上がって壁を見る。突き刺さった破片の中には原形を留めている物もあった。
 手に取って形を確かめ、ホラーの姿、攻撃を思い出す。
 形は小振りだが、ひとつひとつが刃になっていることからも槍の穂に近い。長さはおよそ15cm以上はある。
 穂先の反対側は窄まり、刃が付いておらず、柄に繋がるような形になっている。
 なるほど、こちら側がホラーの体内に埋もれているのだろう。

 こんな凶器を大量に、少なくとも100や200では利かない数、ホラーは身に纏っているのか。
 方向を自由に変えられるなら、迎撃以外にも用途は広い。
 ファランクス――。
 二つの意味で単語が浮かんだ。もっとも、これはミサイルではなく砲撃だったが。
 槍を並べた重歩兵の大軍が、犠牲を払いながらも果敢に砲台に挑み、遂には噛み砕く。
 そんなイメージを抱かせる代物だった。

 やがて煙が晴れると二人の姿が露わになる。

「……やったの?」

 巨大な砲台こそ消えていたが、他は変わらず両者は向かい合って立っていた。
 と、思ったのも一瞬。
 マミの足が震え、膝から崩れ落ちた。

 飛ばされた槍の穂がマミの左肩と右足の太股を貫いていたのだ。
 当然、白いブラウスは赤く滲み、出血はブーツの中にまで伝い落ちている。
 今も穂が突き刺さったままの傷口は見ていて痛々しい。
 特に太股の出血は酷く、いかに魔法少女といえども治療しなければ危険だろう。
 それなのにマミは両膝をつき、右手に持ったマスケットで辛うじて姿勢を支えながら荒い息を吐くばかりだった。

「嘘……」

 愕然とするマミは力なく項垂れる。
 ティロ・フィナーレが相殺された。
 全力だった。
 絶対の自信を持ち、ありったけの魔力を注いだ切り札だったのに。

 今、マミの戦意は潰えかけていた。胸の闘志の炎は風前の灯火。
 傷の痛みより何より、目の前の怪物が理解できなかった。
 これでホラーが無傷だったなら、妙な話だがまだ理解できたかもしれない。
 完全に相殺されたか、かわされただけだと納得もできた。 
 次は回避されないよう当てればいい。
 なまじ手応えがあったからこそ、マミは困惑していた。

 必殺のティロ・フィナーレを前に、ホラーも無傷とはいかなかった。
 それどころかダメージはホラーの方が大きい。
 辛うじて逸らすのが精々だったのだろう。
 光弾を相殺しきれず、普通なら――普通という言葉がそもそも彼らに通用するかはともかく
 ――魔女であったとしても瀕死の重傷。

 しかし、眼前の怪物はどうだ?
 焼け爛れた右半身。右腕は吹き飛んで跡形もない。眼窩も抉られたのか、ギョロッとした右眼が半ば露出していた。
 焦げた肉から立ち昇るのは、吐き気を催す異臭を放つ煙。
 右半身の各所から黒い体液を噴き出しながらも――ホラーはなお悠然と立っていた。

 結果だけ見れば痛み分け。いや、ティロ・フィナーレは完全ではないにしろ、十分な効果を発揮した。
 だとしても、マミは膝を屈しホラーは立っている。この現場を見て、マミが優勢と判断する者はいないだろう。
 そして最もマミの絶望を煽るのは、ホラーの負った深手が徐々にではあるが確実に再生を始めていることだった。
 
「化物……」

 今さらわかりきった事実。
 どうすればいい?
 どうすれば、この化物に勝てる?
 知恵を振り絞って考える。

 無理だ。

 この傷で、魔力を大量に消費した状態で、どうやっても勝てる術が見つからない。
 マミの心を支配する恐怖。一たび恐怖が顔を出せば、次に生まれるのは怯懦と相場が決まっている。
 生き残る目があるとすれば手段は一つ。

 逃げるしかない。

 なりふり構わず、何もかもかなぐり捨てて。
 自分以外のすべてを犠牲にしてでも、みっともなく尻尾を巻くしか。
 まだ魔法少女はいる。消耗した自分がいても足手まといになるだけ。
 後輩二人も逃げ始めている、なんとかなるだろう。
 自分への言い訳なら、幾らでも湧いて出た。

 ホラーは動かない。嬲り殺しにでもするつもりか。
 自然と膝が浮く。
 腰が引け、足が逃げ出す為に後退りを始める。
 太股に激痛が走るが、まるで気にならなかった。

 マミが反転し、駆け出そうとした瞬間――。

「さやかちゃん! 大丈夫!? しっかりして! さやかちゃん!!」

 耳に届いたのは悲痛な叫び。目に映ったのは力なき少女の涙。
 床に倒れていたのは、まどかとさやか。
 何故、彼女らがまだこんなところにいるのか。
 考えるよりも先に、マミの足は意思に反して踏み止まっていた。

 ただでさえ、腰が抜けかけていたのに。
 逃げようにも暗闇で足下も定かでなく、そこかしこに転がる瓦礫で足取りは覚束ない。
 仕方なく、さやかとまどかは円形のフロアの外周に手をついて逃げるしかなかった。
 今もマミとほむらとホラーの激しい戦闘は続いている。
 反響して耳がおかしくなりそうな銃声と、それを上回る咆哮とも思える怪物の悲鳴。
 聞こえる度に身体が竦んでしまう。特にまどかは顕著だった。
 
 銃声が聞こえて数十秒、不意に周囲が明るくなった。
 原因はマミだった。
 凛々しい顔つきが、巨大な砲台の先から溢れる光に照らされていた。
 光はさやかの元まで届き、ホラーの姿もぼんやり照らし出している。
 さやかは恐ろしさと醜悪さに目を背け、まどかに視線を戻すと、彼女はマミに目を奪われていた。
 逃げることも忘れて。

 確かにマミは美しかった。それでいて、かっこよかった。
 夢見がちなまどかが憧れるのも頷ける。
 あの砲台はいわゆる必殺技というヤツなのだろう。
 これで終わってくれるんだろうか。マミが終わらせてくれるんだろうか。
 さやかはそんなことを思い、恐怖を堪えてホラーに目を移すと、

「駄目!!」

 直後に転校生、暁美ほむらが叫んだ。
 ホラーの両肩と腰から突き出す突起。すべてが一斉にマミの砲台に向いていた。

「ティロ・フィナーレ!!」

 掛け声と共に撃たれる光の弾丸。同時に、ホラーの腰と両肩から何がが飛んだ。
 何が飛んだのか、考える間もなく光が爆ぜる。


「きゃっ――」
「うぁっ――」

 まどかの声なのか、自分の声なのかも判然としない。正しく声が出ていたのかさえも。
 轟音と閃光と熱風で何もかも曖昧になった。
 キーンと耳鳴りがして頭が痛い。眩しくて目も開けられない。
 さやかにわかったのは、ホラーから撃ち出された何かが、マミの必殺技を迎撃したことだけ。

「まどか! 大丈夫!?」

 返事はない。届いていないのか、たとえ返事があっても聞こえないだろう。
 とにかく、すぐ側にいたのは確かなのだ。
 触感しか頼れるものがなく、さやかは片耳だけ押さえて手探りでまどかを探す。

 向きは変わっていなかったので、すぐに手は彼女を探り当てた。
 制服の感触と、布越しの温もり。間違いない。
 感じられる確かなものを離すまいと抱き締めようとした、その時だった。

 ヒュンと耳元を掠める音。耳朶を実際に掠りでもしたのか、耳鳴りの最中でも感じられた。
 何かが飛んできている。疑いはすぐに確信に変わった。

「痛っ!」 

 耳を押さえていた手に感じる痛み。
 それが光弾と激突して砕けた刃の破片であると理解するより早く、寒気が駆け抜けた。
 ここは危険だと、本能的に感知する。

「まどか伏せて!!」

 言うが早いか、まどかを突き飛ばして、自分も上に覆い被さる。

 直後、さやかのいた場所を飛散した無数の破片が通り過ぎた。
 間一髪――とはいかなかったようで、さやかの左足のふくらはぎに破片が一つ突き刺さる。
 かなり無理な体勢を取ったせいか、右足首が変な方向に曲がったのを自覚する。
 どうやら挫いたようだ。

「さやかちゃん……?」

「まったく、鈍臭いんだから……」

 不安そうに尋ねる親友に呆れ顔で、しかし明るく振舞って見せた。
 彼女の性格はよく知っている。
 内気で臆病。それでいて心優しくて友達想い。
 人一倍、他人の痛みや苦しみ、悲しみに敏感で、誰かの為に涙を流せるタイプ。
 知っているからこそ、この極限状況で不安にさせたくなかった。

「うん、ごめんね、さやかちゃん。それと、ありがと」

「いいって。それよりも早く逃げよ?」

「うん、そうだね……って」

 そう言ってまどかは立ち上がろうとし、苦笑する。

「さやかちゃんが退いてくれないと私が起き上がれないよぉ」

「あ、うん……そうだった……」

 さやかも苦笑いで返す。ただし、苦し紛れの引きつった笑いで。
 まどかの顔の横に手をついて身を起こそうとし、

「っぐぅっっ――!」

 突っ張れずに、彼女の上に崩れる。思ったより腕の傷が深かったようだ。
 両足を支えようにも、まるで力が入らない。もう全身で痛くない場所などなかったが、
 特に両足は今も疼くような激痛を訴えている。

「ごめん……ちょっと……無理、かも……」

 笑顔を作ろうとしたが、今度は形にならなかった。

「さやかちゃん!」

 只事ではないと察したまどかが、さやかの下から慌てて這い出る。
 全身は熱いくらいなのに、どこか寒くもあるような変な感覚。
 ひんやりしたタイルは心地よかったが、やはりまどかの上の方が柔らかくていい。
 こんな状況で何を考えているのか。
 内心で自嘲しつつ、さやかは火照った頬を冷たい床に当てたまま、動けなかった。

「さやかちゃん! 大丈夫!? しっかりして! さやかちゃん!!」

 揺さ振られても答えられない。
 ぼやけた視界で見たまどかは、目にいっぱいの涙を湛えていた。

――ああ……やっぱり泣かせちゃったか……。

 彼女の泣き顔を見ていると、やるせなさが胸に溢れてくる。
 どうして泣かせてしまうんだろう。
 自分には彼女を庇う程度しかできなくて、助けることも涙を止めることもできやしない。
 無力な自分が無性に悔しかった。 

「頑張って、さやかちゃん。今度は私が助けるから……!」

 励ましながらまどかはさやかを背負おうとするが、立ち上がることもできずに潰れてしまう。
 当然だ。彼女はさやかに比べ、小柄で力も弱い。脱力した身体を背負える訳がない。
 だが彼女は諦めない。何度でも腕を肩に掛け、必死に背負おうとしている。

 その横顔に胸が締め付けられた。

――あたしは大丈夫。だから、まどかは先に逃げて。
 そう言えたなら、どれだけかっこよかっただろう。 
 でも言えなかった。どれだけまどかを危険に晒していたとしても、側にいてほしい。

 もし独りになってしまったら、きっと怖くて、心細くて、寂しくて。
 ギリギリで保っている緊張の糸が切れて、子供みたいに泣き喚いてしまう。
 なら、せめて今のあたしがまどかにしてあげられることは――

「まどか、もういいよ」

「え?」

 さやかは顔を真っ赤にして踏ん張っているまどかの腕をそっと解いた。
 背中から降りて足を着くと、鈍い痛みで身体が強張る。立っているだけでも辛い。
 でも、まどかに無理をさせる方が苦しかった。
 自由になる右腕だけまどかの首に回して、

「っく……うん、これで大丈夫。さ、行こう」

 そっと口の端を持ち上げた。
 体重の半分をまどかに預けてもまだ足は痛んだが、今度は上手く笑えたと思う。
 まどかも意図を理解したらしく、回された腕の上から、さやかの肩に手を掛けた。

「うん、急ごう」

 生きる為に。
 二人で元の世界に、光の当たる場所に戻る為に。
 少女たちは歩き出した。


 一歩一歩、踏み締めるように歩く。ゆっくりではあったが、確実に前に進んでいた。
 二、三歩進んだあたりで、ジャリッと破片を踏む音と気配に振り向く。
 まさか、あの怪物だろうか。
 マミの必殺技を受けて、生きているのなら――そういえば、マミはどうなったのだろう。
 揃って戦々恐々としていると、

「あなたたち! 何してるの、早く逃げなさい!」

 姿は見えなかったが、強い声は確かにマミのもの。無事だったのだ。
 まどかは、ほっと安堵の息を吐きながら尋ねる。

「マミさん……無事だったんですか?」

「……ええ、大丈夫よ。全然平気。でも、まだ怪物は生きている。
さ、このまま真っ直ぐ行って。すぐ片付けて後を追うから」

「はい、ありがとうございます!」

 マミは爆発に巻き込まれたかに見えたが、力強い声で導いてくれた。
 良かった、本当に良かった。
 不安が一つ解消され、まどかの顔から笑みと涙が一緒に零れる。

――これなら大丈夫かもしれない。
 
 マミさんとほむらちゃんが力を合わせて、あの怪物を倒してくれて、きっと家に帰れる。
 いつもの日常に帰れる。
 あ、でもその前にさやかちゃんを病院に連れて行かなくちゃ。
 明日になったら、マミさんとほむらちゃんにお礼を言って、それから、それから――

 自分で自分を鼓舞しながら、まどかは歩を進める。足取りは強く、さやかの重みも気にならなかった。
 もちろん、隣のさやかを気遣うことも忘れない。
 
「さやかちゃん、もうちょっとだからね」

「うん、ありがと。って……ねぇ、まどか……」

 顎をしゃくって前を示すさやか。従って目をやると、生き残っている非常灯の前に人影があった。
 進むうち、徐々に明らかになる。長い黒髪と、白と薄紫の服。
 てっきりマミと一緒に戦っているものと思っていた少女。

「ほむらちゃん……?」 

 暁美ほむらが待っていた。

*

「ふぅ……行ったわね」

 二人がゆっくり遠ざかっていくのを確認して、マミは息をついた。
 痛覚を麻痺させることで、痛みはほぼ緩和できた。しかし傷口の、特に太股の出血は如何ともし難い。
 当然だ、槍が刺さって穴が開いているのだから。

 動脈を貫いている槍の穂を抜けば出血が酷くなるので、敢えてそのままにしてある。
 なので、あまり激しい動きはできそうにない。拘束魔法を使えない相手には致命的と言えよう。
 大技も二度は通じない。
 圧倒的に不利な状況。だというのに、マミは不思議と落ち着いている。
 腹を括ってみれば意外と心穏やかだった。ただ諦めただけとも言えるが。
 
『君は逃げなくていいのかい?』

「キュゥべえ……もう大丈夫なの?」

 足下に見慣れた小動物。
 治療の途中から突発的な事態が続き、まどかたちに託す間もなく、物陰に隠していたのだ。
 あれから気に掛ける余裕もなかったが、どうやら巻き込まれずに済んだらしい。

『うん、なんとかね。動けるようになったのはついさっきだけど』

「何にせよ、無事で良かったわ。あなたも早く逃げて」

 動かないホラーと正対したマミは、ホラーから視線を外さずに答えた。
 果たして動かないのか、動けないのか。再生の為に止まっているのだとすれば、待つのは不利になる。
 逆に様子を窺っているのだとすれば、こちらから仕掛けるのは危険。
 マミは二つの選択肢を天秤に掛け、キュゥべえとの、ひとときの会話を選んだ。

 どうせ留まって戦うと決めた時点で、生き残れるとは思っていない。数秒の違いで覆せる戦力差とも。
 足の傷も同じ。治療すれば攻撃に回す分の魔力が減る。
 ならば後先など考えず、この身体が動く限り戦うのもいい。

 そもそも何故こうなったのか、マミは胸中を振り返る。

――倒れた二人を見た瞬間、勝手に逃げ足が止まった。
 その時、私は本心を悟り、身を呈してホラーを食い止めようと決めた。
 鹿目さんや美樹さんの為じゃない。あの子たちにそこまでの愛着はない。

 キュゥべえの為。
 もちろん、それもあるけど、最たる理由は意地。或いは妄執。いいえ、呪縛かしら……。

 人を守る正義の魔法少女として戦う。
 それだけが私のアイデンティティ。
 たった一つ、世界と繋がっている証明。
 他には何も残ってないと気づいてしまった。

 けれど、ここで二人を見捨てて逃げれば否定したことになる。
 そうなれば私は死んだも同然。
 だから逃げられなかった。ここで死ぬとしても――
 
『どうして死ぬとわかってて……僕には君が理解できないよ』

「そう……あなたにはわからないでしょうね」

 結局、最後まで彼と真に心を通わせられた実感はない。
 もっとも、こんな自身の恥部を理解してほしくもなかったし、理解できないのも当然。
 高潔な自己犠牲とは程遠い。美談にもならない。これは歪み。

 人を守ると言いながら、人を見ていない。大事なのは人ではなく役割なのだ。
 魔女と戦う使命に疲れただの、本当は嫌だなどと苦悩していても、執着せずにいられない愚かな自分を知った。
 これを歪みと言わずして何と言おう。

『まどかとさやかを説得して、魔法少女になってもらおう。君を助ける為なら契約してくれるかもしれない』

 本当にそれだけ?
 あなたが契約したいだけではないの?
 問い正したくなったが、止めておく。
 彼とは友達でいたかった。道化でもいい。自分だけでも友達だと信じて別れたかったから。

「無理よ。出会って間もない人間を助ける為に命を懸けられる人間なんていないわ。
それにアレ相手じゃ多分、無駄になるだけ。逃げられる間は逃がしてあげて。
いざとなれば契約せざるを得ないんだもの」

 戦って初めてわかる。あの怪物、強さだけなら、これまで戦った魔女でいえば中の上程度。
 だが、あれは魔女とも魔法少女とも異なる理で動いている気がしてならない。
 故にあれを倒せるとすれば、同じ理の内にある者だけだろう。

「でも、それじゃ君が死ぬことになるよ。それに、まどかなら、きっと――』

「もういいの。あなたも行って。色々あったけど、あなたに会えて良かった。ありがとう……さようなら」

 キュゥべえの言葉を途中で遮り、マミは一方的に別れを告げた。
 あれこれ考え出して、迷いが生まれるのが怖かった。
 ちっぽけなプライドと与えられた役割だけを後生大事に守って死んでいく。それでいい。

 キュゥべえは説得を諦めたのか首を横に振り、

「そうか……わかったよ。さよなら、マミ」

 別れを告げると走り去った。途中、一度だけマミを振り向いて。
 すぐに闇に掻き消えた白い身体を見送りながら、マミは寂しく微笑んだ。

――思えば、私の戦いはキュゥべえに捧げる恩返しであり、支払うべき対価だった。
 でも、それも今日で終わり。
 私は最後の最後まで、あなたのくれた使命を全うするから――

 キュゥべえが去ると、ついにホラーが動き出した。
 マミは周囲にマスケット銃を召喚。一挺を手に取り、クルリと一回転させて言い放つ。

「さぁ来なさい、化物。相手になってあげるわ……!」

 肩と足を貫かれ、血塗れの衣装でありながらも、彼女は堂々と気高く在った。
 その胸に悲壮な決意を抱いて。

*

 ほむらは握り締めた拳を震わせた。
 満身創痍のマミを見たほむらに、最初に沸き起こった感情。
 それは怒りだった。
 決着を急いだマミへの。何よりも無暗にホラーを挑発し、マミを止められなかった自分への。

「だから駄目だと言ったのに……!」

 回避と防御に専念していれば、防げない攻撃ではなかった。
 引きつけつつ、深く切り込まずに時間を稼ぐだけでよかった。
 待っていれば、必ず彼が来るはずだったのに。必ず、助けに来てくれるはずで――。

「でも、来ないじゃない……」

 ぽつりと呟く。
 ほむらの憤りの、もう一つの理由。
 いつまで待っても現れない鋼牙への苛立ち。
 信じる気持ちが揺らいでいた。

 あと何分何秒待てばいいのだろう。 
 もう一分一秒だって待てないくらい限界なのに。

 鋼牙は当てにせず、自力で対処すべきだろうか。
 そう考える頃にはもう、取れる手段はないに等しかった。
 いつの間にか鋼牙に頼ることばかり考えて、他の対策を講じもしなかった。

 握り締めた拳を開き、額に手の平を勢いよく打ちつける。
 激しい自己嫌悪。
 こんなにも自分を憎んだのは、魔法少女になったあの日以来。

――私のミスだ。そのせいで、何もかも手遅れになってしまった。

 私はこんなふうに他人に依存する人間だったろうか。
 私は、いつからこんなに愚鈍で他力本願になったの?
 まるで昔の私のよう。あの時からまったく変わってないじゃない……!

 巴マミは正しかった。結果はどうあれ自分だけを信じて、敵を倒す為に戦っていた。
 間違っていたのは私。あんな男、最初から信用するべきじゃなかった!
 今日出会ったばかりの人間に勝手に期待して、勝手に失望して……馬鹿みたい――

 額に手を当てて数秒、ほむらは首を振った。
 反省も後悔も後だ。ついさっき、マミにそう言ったばかりではないか。
 今からでもできることがある、まだ一つだけ残っている。

 目的を思い出せ。何故、自分がここにいるのかを。
 ホラーに勝てなくとも、優先順位の一番大事なものだけを守れればそれでいい。

 あの日、決めたのだ。
 もう誰にも頼らないと。
 たった一つの大切なものを――鹿目まどかを守る。
 他のすべてと引き換えにしてでも。

 改めて心に誓うと、ほむらはまどかの前に立った。

*

「あ、ほむらちゃん……どうしたの? マミさんは……」

 何故か待っていた少女に戸惑いながらも、まどかは彼女の名を呼んだ。
 ほむらは答えず、まどかとさやかに近付くと、

「まどか、手を貸して」

 簡潔な一言と共に手を差し延べた。静かなのに語気ははっきりと、有無を言わさぬ雰囲気がある。

「え? あ、うん。代わってくれるの? でも私はまだ大丈夫だから、ほむらちゃんはそっち側を――」

 まどかはさやかに肩を貸す役を交代すると解釈し、もう一方の腕を差す。
 しかし、ほむらはそれを無視。黙ってまどかの首に回されたさやかの腕を外すと、まどかを押し退けた。

「……え?」

「ほむらちゃん……?」

 困惑の声を上げるさやかだったが、抵抗もできず為すがままになっている。
 まどかもまた、真意が理解できず混乱するしかない。
 ほむらは掴んだ腕を首に回すことなく、暫しの沈黙の後、手を放した。

 突然支えを失ったさやかはバランスを崩す。
 まどかは助けようとしたが、ほむらに手を捕まえられた。
 さやかは両足に掛かった負担で立っていられず尻餅をつく。

「痛ぅっ……!」

「ほむらちゃん、何するの!?」

 まどかの抗議に耳を貸さず、ほむらはさやかを見下ろした。
 その眼差しは、いつもの如く細波一つ立っていない。
 違うのは、何かを堪えているような微細な手の震え。

「許してとは言わないわ…………ごめんなさい」

 押し殺した声で言うなり、ほむらはまどかの手を引いて走り出す。
 同時に左腕の盾に触れ、中心の砂時計を傾けると、ほむらの魔法が発動する。
 魔法の正体は時間操作。
 今、ほむらと手を繋いでいるまどか以外の時間は停止している。

 もっとも、まどかは知る由もなく、ただ転ばないよう足を動かすので精一杯だった。
 立ち止まろうとしても、細腕に似合わぬ強い力で引きずられてしまう。

「待って、ほむらちゃん! どうしてさやかちゃんを置いていくの!?」

 歩くのも困難な怪我人を、こんな場所に置き去りにすることが何を意味するか。
 わからないはずがない。
 だが、ほむらは答えなかった。

「駄目だよ……こんなの酷いよ! 止まって! 止まってよ!!」

 こうしている間も、どんどん距離は開いているのに。
 ほむらは前方を見据え、まどかを見ようともしない。
 唇をきつく噛み締め、ひたすら強引にまどかを連れて走る。
 
「お願い! マミさん……誰か、誰でもいいから――さやかちゃんを助けてぇぇぇぇぇ!!」

 まどかは力の限り叫んだが、静止した時の中で、その声がほむら以外に届くことはない。
 せめてもの祈りを込めた叫びは、空しく闇に吸い込まれていった。

*

 さやかが我に返った時、既にまどかとほむらの姿はなかった。
 何が起こったのだろう。ゆっくりと記憶を辿る。
 確かほむらに組んだ肩を解かれ、バランスを崩して転んだ。そして、ほむらはまどかと手を繋いで――。

「まさか……」

 さやかは両手で身体を掻き抱く。
 背筋が凍った。寒くもないのに震えが止まらない。

――あり得ない。そんなこと、ある訳ない。でも、それならどうして……まどかはここにいないの?
 
 必死に言い聞かせても疑念が拭い切れない。
 意識が途切れたのは一瞬。と言っても、まどかの姿を探すまでに数秒のラグはあったかもしれない。
 こっそり遠ざかる時間は十分にあった。

 非常灯があっても視界が利くのは数メートル。
 近くではマミがホラーと戦っていて、銃声がひっきりなしに聞こえてくる。
 視界から消えれば、多少の足音はわからない。 

 すべての状況証拠が、ある一つの事実を示している。唯一、理由だけを除いて。
 それでも、どうしても信じられなかったし、信じたくなかった。


――まどかが……あたしを見捨てて逃げるなんて。


 さやかは首を振って馬鹿げた想像を振り払おうとする。
 けれども恐怖は正常な判断力を奪い、侵食する暗闇は振り払った疑念ごとさやかを押し潰す。


 強引に連れ去られたのだとしたら、どうして悲鳴の一つも聞こえないのか。
 ほむらがそんなことをする理由も思いつかない。
 やはり、二人して足手纏いを捨てて逃げたのでは――。 

 もしそうだとしても、誰にも責められない。頭ではわかっているのに。

「どうして……こんなの嘘だよね?」

 涙が溢れて止まらない。
 呪文のように呟く「嘘だ」は、次第に嗚咽に変わる。

「行かないで……あたしを独りにしないでよ……まどかぁ……!!」

 二人だから辛うじて保てていた緊張の糸が、ついに切れてしまった。

 悲痛な叫びに応える者はいない。
 残ったのは暗闇だけ。
 聞こえるのは銃声だけ。
 
 さやかは、か細い明りに縋るように壁にもたれ、膝を抱える。

 もう何も見えない。
 もうどこへも行けない。
 
 顔を伏せ、すべてを拒絶すると、後はもう泣きじゃくるだけだった。



一人は使命に殉じ、一人は救いを待たず自らの力で足掻き、一人は絶望に暮れ、一人は救いを求めた。
いずれにせよ、その先に希望など待っていないことは誰もが予感している。
そして、希望の名を持つ騎士はまだ、現れない。




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