水上雷撃機覚書

2013年09月20日 19:25

水上機
水上雷撃機覚書
やる夫短編集 (,,^ー゚)<すさまじい程に!阿修羅編 リィンと文のなぜなに水上機
日本海軍の水上戦闘機
→日本軍が飛行場の設営能力に乏しかっただけが水上機開発理由ではない
そもそも飛行場が設営できないような小島を多く所有していた
各島に飛行場を設営すること自体は漸減作戦による陸上攻撃機の問題から重視

日本での水上機は戦闘機攻撃機爆撃機の補完支援的準戦力として進化?

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黎明期の対艦航空攻撃 爆撃機 対 戦艦
黎明期の航空母艦水上機母艦

欧州では索敵哨戒雷撃機として進化、特徴として重い魚雷を使用するため双発機がいる(日本では飛行艇になっている)

フォッカーT4
オランダ海軍の要請によって製作された双発の水上雷撃機で1927年6月6日に初飛行した。1~12号機までは操縦席や各銃座がむき出しであったが13号機より改良されている。太平洋戦争初期にはオランダ領東インドに11機がおくられ沿岸哨戒にあたっていた。
発動機 :SR-1820-F2 空冷星型9気筒 768HP×2
寸 法 :全幅26.2m、全長17.6m
重 量 :自重4665kg、総重量7200kg
最大速度:260km/800m
上昇時間:1000m/3分6秒
武 装 :7.9mm×3 爆弾又は魚雷800kg

PC290146b.jpg
<T8Wシリーズ>:オランダ海軍の偵察・雷撃用水上機で、フォッカー社が開発し、1937年に完成した。合計36機が生産され、一部はイギリスに亡命したりドイツ軍に使用されたりした。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇
 <T8W/G>:全長13.05m、全幅18.08m、全備重量4.99トン。エンジンはライト社製ホワールウインド(450馬力)双発で、最大速度290km、実用上昇限度6800m、航続距離2100km。固定武装は7.9mm機銃3丁で、爆弾600kgを搭載できる。乗員3名。参考:第2次世界大戦軍用機ハンドブック・ヨーロッパ篇
HPIM4011.jpg
【質問】
 オランダ空軍は大戦中,何をしていたのか?

 【回答】
 結構,彼の国の軍隊は何もしなかったと言われているのですが,土台,4,000機の一線兵力を誇るドイツ空軍と,第一線機132機,うち戦闘機52機,しかも1937年には基地が僅かに1個しかない国が不意打ちを受けて戦闘するのは,所詮蟷螂の斧でしか無い訳なのです.

 その航空兵力は陸軍航空隊(Luchtvaartafdeling)と海軍航空隊(Marine Luchtvaartdienst)に分かれ,配置は本国と蘭印に分かれていました.
 戦闘機部隊は,陸軍航空隊にあります.

 1937年までは前述の通り,陸軍航空隊は形になっておらず,陸軍航空部という一回り小さな組織であり,基地は1カ所,兵員620名にしか過ぎませんでしたが,隣国の脅威から身を守るために,基地の増設,部隊の増設,新機材の発注が行われ,3個飛行連隊からなる陸軍航空隊に格上げされました.

 新機材としては,米国に

Douglass DB-8A-3N攻撃機を18機,
Curtiss Hawk75A戦闘機を35機(後に24機)

発注し,自国のFokkerに

D.21戦闘機36機,
G.1A重戦闘機36機,
T.5爆撃機を16機,
C.10偵察機を20機,
S.9練習機を24機,

KoolhovenにF.K.51複座戦闘機を53機

発注します.

 1940年には更に,KoolhovenにF.K.58戦闘機を36機,F.K.56直協偵察機を15機発注するなど,兵力の増強に努めますが,残念ながら,1940年5月10日の時点では,陸軍航空隊にFokker D.21戦闘機29機,G.1A重戦闘機36機,T.5爆撃機16機,C.10偵察機10機,C.5偵察機28機,Koolhoven F.K.51複座戦闘機16機,Douglass DB-8A-3N攻撃機11機に,古色蒼然たるD.17複葉戦闘機6機の合計132機がベルゲン,シュピオール,ワールハーゲンなどの基地に配備されていました.

そのうち,C.5/C.10は1920~30年代初期の複葉偵察機,D.17も同様に1920年代の戦闘機であり戦力にならず,戦闘機として迎撃に使用できるのは,第1飛行隊のD.21×11,第2飛行隊のD.21×10,第3飛行隊のG.1×11,第4飛行隊のG.1×12,第5飛行隊のD.21×8(1e~5e Jachtvliegtuigafdelingen)のみだったり.

海軍の兵力は,それに輪を掛けて貧弱で,近代的なのはFokker T.8W/G水上雷撃機が19機のみ,後はS.9練習機27機,C.8W/11W水上偵察機14機,C.14W水上練習機24機,T.4水上雷撃機が24機,Koolhoven F.K.52複座戦闘機若干という陣容でした.

こんな状況ではありますが,政府は中立政策を厳格に採用し,1939年9月の第二次大戦勃発時には,陸軍航空隊は哨戒飛行を実施し,領空侵犯に対応します.
この時,第1飛行隊のD.21がドイツのHe-111を,第3飛行隊のG.1Aが英国のWhitleyをそれぞれ撃墜していますが,反面,海軍のT.8W/Gの1機がドイツのDo-18Kに連合軍機と誤認されて海上で撃沈されるという事件も起きました

さて,運命の1940年5月10日,電撃的に侵攻したドイツ空軍は,航空隊の各基地を攻撃し,第4飛行隊は,12機のG.1Aのうち,1機を残して破壊され,第1飛行隊のD.21のうち,8機は上空でBf-109戦闘機8~9機と空戦し,4機を撃墜しますが,自らも4機しか残りませんでした.
また,第3飛行隊のG.1Aの8機はドイツ爆撃機部隊を迎撃し,14機を撃墜する活躍を見せますが,戻ると基地は空挺部隊によって占領されており,1機を除いて場外に不時着して失われるなど,62機が失われています.

翌日,D.21のうち残存機を集結し,12機が空戦,地上攻撃,爆撃機護衛にと活躍をします.
うち,ルース軍曹は,D.21を駆って単機で3機のBf-109戦闘機と戦い,被弾したため,脱出しようと風防を捨てたところ,その風防が相手のプロペラに当たって,彼の機は撃墜を思いとどまり,九死に一生を得,再び体勢を挽回して,別のBf-109を撃墜し,最終的に自軍の対空砲火で損傷したので,脱出ということをしています.

爆撃機にしても,T.5爆撃機は,マース河に掛かる鉄橋を爆破するために,使用可能な11機が爆撃を繰り返し,最後の1機になるまでその活動は止みませんでした.

5月12日に海軍機はフランス,次いで英国に亡命します.
亡命したのはT.8W/Gが10機,C.8Wが5機,C.11Wが11機,C.14Wが14機で,T.8W/Gは1940年10月まで亡命オランダ人で編成された英国第302中隊で哨戒飛行に使用され,残りの水上機は,蘭印に送られて,再び日本軍と戦闘を交える羽目になります.
ちなみに,Fokkerの生産ラインにはT.8W/Gの発注分残りが8機,改良型のT.8W/Mが12機,Finland発注分のT.8W/Cが5機ありましたが,占領ドイツ軍によって生産が命令され,ドイツの駐留オランダ部隊で使用されました.


G.1Aも損耗が激しく,14日の降伏当日にはEstoniaの発注分を接収し,武装を施したG.1Bを3機投入しますが,これまたドイツの対空砲火で使用不能にされてしまいます.

結果的に,14日に生き残ったのは,陸軍の戦闘機としてはD.21戦闘機8機とG.1Aが2機だけで,残りは全て損耗し尽くしました.
代りに,ドイツ軍は231機(ドイツ側の記録)~525機(オランダ側の記録)の機体を喪失しています.

後に亡命したオランダ陸軍航空隊の操縦士によって,1942年8月に第167飛行隊B小隊が誕生し,1943年6月には第322飛行隊に格上げされ,1944年6月から2ヶ月間,SpitfireMk.14でV1を108.5機破壊,うち一人は1日5基破壊の記録を打ち立てました.

V1迎撃作戦の後は,Mk.9に機種変換し,大陸方面の爆撃機護衛任務に就いて,1944年末には本国に帰還しました.
これが,戦後の空軍の中核の一つとなったわけです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2006年10月15日22:3

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