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鬼戦車T-34考察

2013年10月29日 19:46


せっかく書いたのだから、このままハードディスクの肥やしにするのもあれなんで
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鬼戦車T-34考察
目次

はじめに

第1章 この映画の背景について
第1節 T-34中戦車について
第2節 時代背景について

第2章 体制批判映画と解釈する根拠
第1節 T-34の役割について
第2節 「管理」についての批判
第3節 自由への期待について

結論



はじめに

鬼戦車T-34(原題:「ЖАВОРОНОК」雲雀の意)とは1964年のソビエト映画である、監督はニキータ・クリーヒンとレオニード・メナケル、脚本はミハイル・ドウジン、セルゲイ・オルロフ(彼は詩人としても有名である)によってなされ、特にセルゲイ・オルロフは独ソ戦において、実際にT-34の乗員として戦っており、その時の経験がシナリオに生かされているという。

ストーリーを簡単に纏めるとこうなる。
1942年6月22日(この二年後同月同日に発動されたバグラチオン作戦によりソ連はドイツへ反撃に出るのでわざとだろう) 、第二次世界大戦中のドイツ国内では捕虜に修理させ、運転させたソビエト軍の戦車であるT-34を標的とした、新型の対戦車砲の運用実験を行なっていた。しかし主人公たちはドイツ軍の裏をかきそのまま実験所よりまんまと脱出し、ドイツ国内の街から街へと爆走する。
一旦仲間たちはわかれるのだが、結局また合流し再び国境を目指す。
だがドイツ軍の激しい追撃の前にまた一人、また一人と倒れていく仲間たち、一人残った主人公はドイツ軍の陣地へと戦車を自動操縦で突っ込ませその隙に逃げようとする、しかし戦車の前に突然ドイツ人の子供が飛び出してきてしまう、驚き思わず攻撃を中止するドイツ軍、主人公は戦車からおりその子供を助けるが、空気を読まない一人のドイツ兵により撃ち殺されてしまう、倒れこむ主人公の目の前を自動操縦の戦車はそのまま走りさっていく。

この映画は一般的には、独ソ戦争・T-34をモチーフとした娯楽映画もしくはプロパガンダ映画であると言われている。
しかしながら、プロパガンダ映画としても娯楽映画として見た場合でも、バットエンドでの終わり方や途中混入されるストーリーに直接関係ないシーンなど、プロパガンダ映画や娯楽映画の一言で片付けるには不可解な点がある。私はこの映画は遠回しなソビエト連邦に対する体制批判ではないかと考えている、このレポートではこの仮説について考察してみたい。



第1章 この映画の背景について
第1節 T-34中戦車について

この映画について考察を進める前にまず、この映画の顔とも言える「T-34」がソビエト連邦においてどういった位置づけにあった戦車であるかということを説明しなくてはならない。
まず一般的にはT-34はソビエト連邦の開発した第二次世界大戦における最良の戦車の一つであり、傾斜装甲の採用や、バランスのとれた能力や、生産・運用のしやすさなどでソビエト連邦に勝利をもたらした一因であると言われており、一般的にも評価の高い戦車の一つである。
一方で、粗悪とも一部に称される各パーツにおける精度の低さは、生産をしやすくしたものの、戦車自体の耐久時間を著しく低め、また設計ミスから初期に生産されたものはギア等に致命的な欠陥があったこともあり、決して「最高・最優の戦車」とは言われていない。

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図1 旧西ベルリン側にあるソ連対独戦戦勝記念碑

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図2 1948にソ連において発行された切手

一方ソビエト連邦においては「優秀な戦車」である以上に「救国の英雄」として扱われ、同国においては象徴の一つとなっている、これは実際にT-34がソビエト連邦において図1や図2のようにレリーフやモニュメントなどの一部として使われていることから伺うことが出来る。

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図3 劇中で使用されたT-34/76(ウラルマシ製砲塔)

また、舞台が1942年であるということに合わせ、数が少なく貴重にも関わらずT-34シリーズの前期生産型であるT-34/76をわざわざ用意していることからも、この映画に関わった人間のT-34に対するこだわりを垣間見ることが出来る。
そして、象徴であったがゆえにソビエト連邦、そして検閲総局が健在であった時代においてはT-34を批判することは不可能であった。何故ならばT-34はソビエト連邦における工業、技術力の象徴でもあり、それを形作ったソビエト連邦そのものの正しさ、強さの証明でもあった、つまりT-34に対する批判というのは、ソビエト連邦への体制批判ととられたのである。
こういった背景から私はこの映画においてはT-34=ソビエト連邦およびその体制という仮説を立てて考察を進めてみた。



第2節 時代背景について

この映画の制作年度は1960年代前半である、この少し前の1956年と1961年にニキータ・フルシチョフによってスターリン批判が行われ、また1962年に西側諸国であるカナダからの穀物緊急輸入を行い、冷戦の雪止めムードが少しずつ広がるなど、国内における恐怖政治のたがが少し緩んでいた時期でもある。
ソ連ではその後も秘密警察(KGB)が国民を監視するという恐怖支配の構図は変わらなかったものの、それは体制維持に関する事例のみで、一方においては強制力に頼ってきた労働規律がゆるみ、製品精度は下がり、軍需工場でも日常的な欠勤が相次いた結果、1960年代末期から1970年代初頭においてT-64、T-72といった戦車生産に影響を与えるほどであった。
その自由な空気は映画会にも影響を与えており、この時期に「誓いの休暇」という反戦映画とも捉えることの出来る戦争映画が製作、発表されている。



第2章 体制批判映画と解釈する根拠
第1節 T-34の役割について

この映画にはストーリーに直接関係のない不可解なシーンが登場する。
この3つのシーンが体制批判にあたるのではないかと私は考えている、以下にそのシーンを示す

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図4 捕虜となったロシア女性の中を走るT-34

max_20101201004911.jpg
図5 ナチスのニュース映画に突っ込むT-34

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図6 ラストシーン近く、撃たれた主人公を置き走り去るT-34

図4は脱走後偶々、ロシア女性の捕虜が働かされている農場を通りかかる、助けが来たと勘違いした女性たちが戦車のあとを追いかけるが、主人公たちにはどうしようもなく、見捨てて走り去る。
そして図5、図6は映画のラスト近くであり、追撃してきたドイツ軍に遂に追い詰められてしまうという、映画のクライマックスシーンである、このままラストシーンまで突き進むと思いきや、映画館に突っ込むシーンではわざわざ主人公は戦車を停車し、ニュース映画に流れるドイツ軍等々のシーンを見た後に戦車で突っ込み映画のスクリーンを破り外へと出て行くという演出がなされている。
これらの不自然なシーンにおいて、T-34を「ソビエト連邦」であるとの仮設の上で解釈していきたい。

まず、ロシアは元々農耕民族であり大地からの恵みを受けて生きてきたという歴史から「母なる大地」信仰というものがある、事実ロシア帝国および初期のソビエト連邦は農業国であった。しかしながら、その後スターリンによる急激な重工業化と農村集団化を柱とした、社会主義国家建設計画、通称「第一次五カ年計画」によって、大量の農民たちの犠牲と引き換えにソビエト連邦は工業国へと変貌する。
ここで「農場で働くロシア女性」を農業国ロシアの象徴であると仮定する。
そして私は図4、図5、図6のシーンは「ソビエトはファシストを打ち倒したが、それらは多くの農民や兵士を見捨て、犠牲にした結果である」というメッセージではないかと解釈した。
図5のシーンは体制批判と言うことは出来ないが、脚本セルゲイ・オルロフは独ソ戦に戦車兵として参加し、生き残ったという経験から「ソビエト連邦・スターリン体制だからドイツに勝利した」という思想を持っていても不思議ではない。



第2節 「管理」についての批判

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図7 すべての木に番号の振ってある森

図7は中盤、仲間の一人が戦車と別れて独自にドイツ領からの逃亡を目指している途中、森に迷い込んだシーンである。
この図7の男はここがドイツの管理下にあることを認識し、恐慌状態に陥るものの、偶々通りがかった主人公と合流し事なきを得る。
このシーンは恐らく世界史ジョークの一つである「ドイツでは森の木々一本一本にも番号を割り振り管理している」という話が元ネタだと思われるが、このシーンにおいて「Нет(ニエット)!」と叫びながら錯乱するシーンがある、それをそのまま読み取ればドイツ軍への恐怖で錯乱とも読み取れるのだが、前後のシーンにおいて「番号の割り振られた木」が何度もバンクされることから、むしろ「管理」に関する恐怖を表しているシーンだと私は解釈する。
更にこの少し前のシーンにおいて、地面を這いまわるアリが映され、この仲間が体についたアリを手で払うというシーンもある、イソップ物語でもわかるようにアリは「労働」や「勤勉さ」の象徴であり、上記の「番号の割り振られた木」と合わせて管理に対する反攻と解釈できる。
そもそも、ドイツ軍に対する恐怖を演出するのならば、他のシーンのように追撃するドイツ軍部隊を直接描けばいいからである。



第3節 自由への期待について

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図8 花

また、この映画の中で印象的に使われるアイテムに「花」がある、花は映画内で5回登場する。
一回目はオープニングおいて主人公たちのいる捕虜収容所の鉄条網のシーンが映った後、図8の花、そして収容所内の主人公たちへと移るというシーン、二回目は図4のシーン、走る戦車は途中で農場から花畑へ移り、残されたロシア女性がその花を花束にして持ち帰るシーンがある、三回目は脱走後小休止をとった主人公が戦車に引っかかっていた花を見つけ「ドイツに一泡ふかせる」と決意し、自分が暴れるついでに囮になるからその間に逃げろと他の仲間に戦車から降りてもらうシーン、四回目は主人公の戦車へ残った仲間のフランス人捕虜が「これが俺の制服だ」と言って帽子に飾りとして花をつけるシーン、そして五回目はフランス人捕虜が死んだ後、仲間の一人がその帽子を受け継ぎ逃げようとするが結局射殺されるシーンである。
私はこの花は、ロシアにおいて春を象徴する雲雀がタイトルであることや、前述した時代背景から考えて、「自由」の象徴であり、その自由によって変わりつつあるソビエト連邦に対する、期待と恐れを表していると解釈している。



結論

これまで示してきたように私はこの映画を体制批判の物語であると考える。
勿論、その結論出すにはやや強引な論理展開を行なっている部分もある、しかしながら、如何に自由な空気がかつてより広がっていたといえども、やはり体制批判を行うのは危険であり、湾曲的で抽象的な表現を行うしかなかった為だと思われ、事実1975年のアンドレイ・タルコフスキー「鏡」や1986年代のゲオルギー・ダネギア「不思議惑星キン・ザ・ザ」も体制批判映画として知られているが、これも一見してわからない湾曲的な表現にて行なっている、70~80年代ですらまだまだ直接的な表現が危険だったのだから、この映画の制作された60年台初頭では体制批判を思わせる表現を行うことは、更に危険だったと考えられる。
以上の点から私はこの「鬼戦車T-34」(原題:「ЖАВОРОНОК」)は表向きでは独ソ戦をモチーフにした戦争物の娯楽映画だが、実際に監督やシナリオライター達は体制批判や時代背景からくる、自由への期待などを湾曲的に表現した映画であると考えている


参考文献
ユナイテッド・ディフェンス(UNITED DEFENCE) http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/
歴史群像 ― 学研デジタル歴史館http://rekigun.net/
お散歩シネマ 映画の世界へ出かけようhttp://afternooncinema.blog.fc2.com/
宮地健一のホームページ 共産党問題、社会主義問題を考えるhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/kenichi.htm
洞窟修道院http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/
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