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幻の満州国皇帝救出作戦

2014年09月28日 19:01

【台北4日迫田勝敏】五十八年前の夏、一機の軍用機が岐阜県各務原飛行場を飛び立った。日本は敗れ、日本が建国した満州国も崩壊した。軍用機は同国の皇帝、愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の救援機。溥儀は当時のソ連軍に捕まり、脱出できなかったことを自伝「わが半生」に記述しているが、日本軍が救援機を飛ばした史実を知る人は少ない。その作戦に加わった台湾人、邱錦春さん(78)が台北で健在だ。「作戦参加を今も誇りに思っています」という邱さんに敗戦直後の救出作戦を聞いた。

(中略)

 ソウルに向かったが、敗戦のためか、無線連絡がとれない。「肉眼と地図を頼りの飛行だが、幸いに快晴で、順調だった」と振り返る。

 正午すぎにソウルに着陸。関東軍司令部から連絡はない。次に平壌を目指す。ここでも連絡がとれず、軍の招待所に宿泊。翌朝、関東軍からの無線連絡が入った。「満州国皇帝は奉天(現瀋陽)から平壌に行く。そこで即時、離陸できる態勢で待機せよ」。すぐに始動できるよう暖機運転を繰り返したが、その日も翌日も来ない。二十一日昼、緊急連絡。「皇帝は十九日、ソ連軍に逮捕され、平壌に日本軍の救出機が待機していることが知られてしまった。ソ連軍は平壌飛行場攻撃のため南下中。即時離陸せよ」。二十一日夕、各務原に帰還した。
http://kakutokuhatsu.katakura.net/fugi.html

さて、なんで皇帝溥儀が平壌にこられなかったかというと…

陸軍軍曹は大変なものを盗んでいきました:MURAJIの戯れ言

より引用
・終戦時に著者が行っていた任務は、95式1型中間練習機(Wiki)を特攻任務用として北京に輸送すること。
 奉天で足止めを食らってしまい、さらに乗ってきた飛行機が廃棄寸前のを引っ張り出したので飛行中に穴が開くような代物だったので、それで日本に帰国することも出来ず、現地の飛行場長に頼まれて示威飛行を行っていたら、近くの飛行場に真新しいMC20輸送機が転がっていたので、仲間を連れて「試験飛行を行う」と近くの兵に告げて、堂々と盗み出して日本に帰ってきた。
 ちなみにそのMC20輸送機は参謀本部が満州国皇帝溥儀救出のため、派遣したもので、奉天に辿り着いた溥儀一行は待っているはずの飛行機が盗まれてしまい脱出不能になり、ソ連軍に捕まってしまう事に。


思いがけず人は他人の人生を巻き込んでしまうとかいう…

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